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【京都市】上京区 『此付近水戸藩邸跡』で「この紋どころが目にはいらぬか」を感じる!

高津商会RICALIFE&文化芸術☆プロデューサー/ジャーナリスト(京都市)

『京都御苑』がある烏丸通下長者町西入北側に『此付近水戸藩邸跡』の立札を見つけました。

この辺りは、江戸時代に「水戸藩邸」があった所だそうです。

京都放送などもあるこのエリアには、平安京を作ったと言われる平安京の建都に貢献された和気清麻呂公(わけのきよまろこう)が祀られている、「護王神社」もあります!

過去記事参照→恒例『護王神社』の大絵馬が来年の干支であるウサギに!

その「護王神社」から道路を渡った向こう側に立札がありました。

水戸藩は、徳川家康の子頼房を初代藩主とする御三家(尾張、紀州、水戸)の一つです。

2代藩主であった「徳川光圀(みつくに)」は「大日本史」編集の事業を幕末まで継続したことでも知られる人ですね。

「高津商会」の小道具たちも大活躍している時代劇ドラマ「水戸黄門」でもお馴染みのあのお方です!

「大日本史」編集の資料を集めるため、京都にも多数の係員が派遣、その際に借用資料の筆写などが行なわれた場所だそう。

藩邸は元治元年(1864)蛤御門の変で焼失してしまいますが、幕末には水戸藩は尊王攘夷と佐幕とに藩論が分れたが、諸国志士の運動に多大な影響を与え「桜田門外の変」や「天狗党の乱」へと続いたと言われています。

「この紋どころが目にはいらぬか」と言ったか言わなかったかはわかりませんが(w)、京都御苑のこの立地にあったことが日本史にとって、すごく意味があったことがわかりますね。

水戸藩邸跡

住所:京都市上京区烏丸通下長者町西入北側

LIFE&文化芸術☆プロデューサー/ジャーナリスト(京都市)

京都で生まれ育つ。世界各地を周遊、欧米中心に20年ほど滞在し京都に帰還。日本のコアな伝統文化や芸能、神社仏閣や裏歴史、催事らを国内外の旅サイト・雑誌・新聞で執筆。経験に基づく“陰謀説”の電子書籍出版あり。ジャーナリスト、写真映像家、イベントプロデューサー、特殊ツアーガイドから日本庭園庭師までマルチに活躍。京都太秦にある老舗『髙津商会』にて映画・美術装飾・アート&エンタメ、海外事業に携わりつつ伝統文化・芸能などに関わる史実や古美術らについて勉強中。『京愛』や『日本愛』を深める毎日。

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