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25歳で突然の介護離職。「家族のお手伝いを頑張っていただけ」から始まったヤングケアラーの揺れる思い

水嶋奈津子Video Director/Videographer

大人に代わって家族の介護や世話をする18歳未満の子どもたち「ヤングケアラー 」。その中でも、病気や障がいを持つ兄弟姉妹がいる「きょうだい」には、物心がついた時から親を手伝い、当たり前のように兄弟姉妹のケアをしてきた子どもが多い。

5歳下の妹がいた沖ゆかりさんもその1人。幼い頃から難病を抱えていた妹の面倒を見続けてきた彼女は、進学や就職などの節目の度に家族のケアと自分の人生との間で揺れ、将来について悩み続けてきた。そして社会人3年目を迎えたある日、突然母親が病でなくなったことを受けて介護離職を決意した。家族のケアが日常にある環境で大人になっていく中で、彼女はどのように将来への不安や葛藤と向き合い、自分の人生とケアのバランスをとってきたのか。元ヤングケアラー ・きょうだいであるゆかりさんに、これまでの軌跡と抱き続けてきた思いを聞いた。

■「お手伝いを頑張っていただけ」当たり前だった家族の介護
ずっと妹が欲しかったゆかりさんは、5歳下の妹のお世話をするのを楽しみにしていた。お母さんと一緒にベビーカーを押し、ミルクをあげ、オムツも変えてあげる。ちょっと歳の離れた妹をかわいがる面倒見のいいお姉さんだった。しかし、妹が2歳の頃に知的障害を伴う進行性の難病を発症し、3歳になる頃には自力で歩くことも一人で食事をすることもできなくなった。

ご飯はミキサーにかけてペースト状のものを用意し、食後には薬をヨーグルトに混ぜて飲ませ、着替えやお風呂の介助なども手伝うようになっていった。家族で過ごす日常の中に通院があり、中学生の頃からはたんの吸引などの医療的ケアも行うようになった。家にいる時は常に、妹のたんがからまっていないか耳をそばだて、呼吸を確認し、見守り続けるのが習慣になっていた。それでも学校には普通に通っていたゆかりさんは「学校から見ると何も困っていない子に見えていたと思う」と語る。

幼かった彼女にとって、それは介護ではなくあくまでも家族のお手伝いだった。毎日大変そうな母親を少しでも助けてあげたい、妹のために何かできることをしてあげたいという気持ちから、むしろ手伝うのが当たり前という感覚が強かったという。

■ケア負担よりも将来への不安に悩む日々
ケア負担よりもゆかりさんの心を占めていたのは、将来への不安だった。小学生の頃から「妹と自分の将来は一体どうなるんだろう」という漠然とした不安を抱き始め、それは徐々に「私がずっと面倒を見なきゃいけないんじゃないか」「親がいなくなったら自分一人が頑張らきゃいけないんじゃないか」というプレッシャーに変わっていった。親にも誰にも言えない悩みを一人で抱え、「不安に押しつぶされそうになる夜も何度もあった」とゆかりさんは話す。

この類の悩みは友達にも親にも相談することが難しい。むしろ親からは兄弟姉妹の面倒を見てくれることを期待されているケースもあり、多くのきょうだいが一人で抱え続けている困りごとと言えるだろう。祖父母や親の介護と違って、ケアする対象が同世代であるきょうだいは、これから続く介護と自分の人生との狭間で、半永久的に悩み続けるかもしれないのだ。

■「自分だけが楽しんでいいのか」自分の人生を生きることへの罪悪感
県外の大学に進学することにしたゆかりさんは、家を出ることに後ろめたさを感じていた。親は行きたい道へと背中を押してくれたが、自分がいなくなった分母親のケア負担は増え、妹の病気が進行したら介護はもっと大変になるかもしれない。キャンパスライフを謳歌しながらも、「自分だけが楽しんでいいのだろうか」という罪悪感に苛まれていた。

それでも初めての一人暮らしでは、自分中心の生活の中で自由な時間を過ごしながら、自分の人生とじっくり向き合うことができた。年に数回ペースで実家に帰るものの、それ以外は大学生活や就職活動に専念した。しかし、自分も大人になり親も歳をとっていく中で、「いずれ親が亡くなった時、自分はどうなるんだろう」という悩みはさらに現実味を帯びていった。

■突然の「親亡き後」。介護と自分の生活で揺れる思い
ゆかりさんが社会人3年目を迎えた年、母親が突然病気で倒れ、その2カ月後に亡くなった。「いつかは…」とは思っていたが、まさかこんなに早くその日が訪れるとは思わず、まさに晴天の霹靂だった。悲しみに暮れる間も無く、彼女は「親亡き後」の介護に直面することになった。

「自分の人生も大切にしたいから、妹の介護にはそこまで深く関わらないでいよう」当時はそう考えていたが、いざ母親が亡くなった現実を目の当たりにして、「姉としてもう少しできることがあるんじゃないか」という気持ちが芽生えた。このままだと妹の生活は病院しかなくなってしまう。それなら妹が病院以外でも自分の時間を過ごすことができ、自立した生活ができる環境を整えるまではやり切ろうと、期間限定と割り切って妹のサポートに尽力した。

■介護休業から介護離職へ。社会から外れることへの不安
介護休業を最大約3カ月で取り、地元に帰ったゆかりさんは、病院や福祉施設、ソーシャルワーカーとのやりとりに奮闘した。それでも3カ月では事が進まず、悩んだ末に退職を決意した。まだ社会人歴3年未満でスキルや経験も浅い自分が、今仕事を辞めてこの先また再就職することはできるのだろうか……。一人社会から離れてしまうことへの不安はとてつもなく大きかった。

その後、なんとか妹を預けられる施設やお世話できる環境を整えた彼女は、ハローワークに通って仕事に就くこともできた。マーケティングや企画といったそれまでの経験も生かせる仕事で、家庭の事情も介護を考慮した柔軟な働き方も受け入れてくれた。地元での生活がようやく落ち着き、約2年がた経った頃に妹が亡くなった。そんな喪失感の中でも「仕事があることで自分の居場所があるように思えた」とゆかりさんは話す。理解ある職場の存在は彼女の生活の基盤になり、精神的な救いにもなり、社会復帰することを後押ししてくれた。

「若者ケアラー」と呼ばれる18歳〜30代のケアラーの多くが、仕事と介護の両立という問題にぶち当たる。限られた時間の中で、介護をしながら仕事を続けることも、家庭の事情を受け入れた上で雇用してくれる職場に巡り合うことも、今の社会ではかなりハードルが高い。「何かあった時にすぐ対応できるようにパートでしか働けない」「フルタイム勤務が難しいため正社員になれない」「介護の経験しかないため福祉業界で働くしかない」「働きたくても働けない」職業選択の場面ひとつを切り取っても、いろいろな声が聞こえてくる。そのどれもが当事者にとっては深刻な問題であり、彼らの経験はこれから先私たちが直面するかもしれない現実と社会全体で取り組むべき課題を浮き彫りにしていると言えるだろう。

■「そういうことあるよね」心のよりどころになった“きょうだい会”
ゆかりさんの一番の心のよりどころになったのは、同じように病気や障がいを持つきょうだいがいる人が集まり、その経験を語り合う「きょうだい会」だった。大学生の頃に初めて初めてきょうだい会を知った彼女は、「子どもの頃に我慢することが多かった」「家族のことを友達に言えなかった」「小さい時から将来が不安だった」など、そこで話される言葉のどれもが自分のことのように感じたという。「不安に思っていたのは私だけじゃないんだ」と思えることで、自分の悩みも吐露できるようになり、地元に戻った後も家族が亡くなった後も、きょうだい会の存在は彼女の心の支えになっていた。

「1人で悩んでいる人たちに寄り添える場所をもっと増やしたい」という思いから、ゆかりさんは地元で「静岡きょうだい会」を立ち上げた。参加者はみんなそれぞれ状況も経験も違う中で、同じような悩みや困りごとを抱えていたり、社会からの孤立感や誰にもわかってもらえない孤独感を感じたりしている。そんな彼らの話を聞いてきたゆかりさんは、「家族を大切にしたいのも、自分の人生を大切にしたいのもどっちも事実。そんな気持ちが揺れ動く中で、みんなそれぞれが悩みながらやっている介護なんだということを理解することが大切」だと教えてくれた。

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「ヤングケアラー」と呼ばれる子どもたちは、中学・高校生ではクラスに1〜2人の割合でいるという実態が国の調査で明らかになった。自治体を始めとする関連機関で対策が進んでいるが、普段の生活の中で彼らの存在に気付くことは難しいと言われている。家族の病気や障がいのことを話したくない、家族のことを悪く言われたくない、学校だけでもいわゆる普通の子と同じように過ごしたいなど、さまざまな思いが交錯して周りに話せずにいる。その中には「介護をしている自覚がない」というケースもある。

子どもが介護やケアを日常的にしていることにも、そのことを周りに話せず、むしろ話したくないと思っていることにも、みんなそれぞれ理由がある。“ヤングケアラー”や“きょうだい”と一括りにしたラベルで見るのではなく、一人ひとりの困りごとに耳を傾けることができたら、彼らの声はもっといろいろなところで聞こえてくるようになるかもしれない。

高齢化や核家族化が進む今の日本においては、誰もがいつか介護する側・される側になるかもしれない。ヤングケアラーや若者ケアラーたちが直面した現実や彼らの困りごとを理解し、彼らを起点としたサポートの仕組みについて考えることは、私たちがこれから進んでいくべき道を照らしてくれるだろう。

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クレジット

監督/撮影/編集 水嶋奈津子
撮影       山元環
取材協力     静岡きょうだい会

Video Director/Videographer

WEBメディアのエディターから、動画メディアのディレクターへ。色々な人に会いに行き、人にフィーチャーした動画や映像コンテンツを制作。

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