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「つぶれたらどうしよう…」震災復興を支えた宿が10年目で強いられる激変と、挑む再出発 #知り続ける

長塚洋

映像ディレクター

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2011年の東日本大震災の被災地で、復旧・復興事業にあたる作業員たちを泊め続けてきた宿がある。女将は津波に家族を奪われた悲しみをこらえ、地元の復興のためにと、快活な笑顔で家庭のようなもてなしを提供してきた。だが、発生から10年の節目に変化を強いられる。政府の復興予算が11年目から大幅に減らされるため、作業員たちが一斉に引き上げたのだ。10年間ほぼ途絶えていた観光客相手に再出発を強いられたまさにその時を襲ったのが、新型コロナの感染急拡大だ。それでも、自力で次を模索していくしかない。決して終ってはいない「復興」への闘いを、現地で追った。

■「復興の宿」で10年間

太平洋に面する岩手県田野畑村は、人口3200余り。NHKの朝ドラ「あまちゃん」の舞台ともなった久慈市の南に位置し、断崖美日本一とも言われる名勝・北山崎など、自然の美しさに恵まれた村だ。村の一角の明戸海岸には、2011年に大津波の巨大なエネルギーで引き裂かれた防潮堤の一部が震災遺構として残っている。それを見下ろす高台に、「ひらいが海荘」がある。客室7部屋の小さな宿だ。

震災発生から10年の2021年3月。作業服姿の男性ばかりが泊まる宿でとびきり快活な声を響かせていたのが女将の畠山香さん(54)だ。疲れ切って帰って来る作業員たちに、「今日は早かったね!」などと家族を迎えるように笑顔で声をかけている。30年前この宿の二代目である拓雄さん(66)に同じ村内から嫁ぎ、客の相手だけでなく料理も掃除も片付けも、宿の全てをこなして来た。

ひらいが海荘は目と鼻の先まで迫った大津波をからくも逃れたが、香さんは父親と兄を失った。それでも村内では沿岸部の他の宿の多くが被災して使えなかったこともあり、その痛みをこらえながらもすぐに作業員たちを泊め始めたという。それ以来、一般の観光客はほとんど泊めず、全てを復興のため捧げてきた。だが10年目となるこの時、大きな転機が迫っていた。常に客室を埋めていた作業員たちが、ほとんどいなくなるというのだ。10人以上の作業員たちを相手にせわしく働きながら、香さんは強い不安を口にした。「やって行けるのか。つぶれたらどうしよう」

■ 一気に去っていく復興需要

2011年の震災後、津波被災地を取材する者の多くが宿探しに苦労した経験を持つ。決して多くはない海沿いの宿泊施設に、復旧・復興に携わる大勢の人たちが押し寄せていたからだ。廃業寸前で再開した港町の旅館もあったし、大手のホテルチェーンが新築したホテルも各地で見られた。同時に多くの人が気にかけたのが、こうした需要が終る時、一体どうなるのかということだ。岩手の沿岸部は、もともと観光客の減少に悩む地域だったからだ。

そして、その節目がついにやって来る。震災10年目の2020年度の1年間に投じられた復興予算は、岩手、宮城、福島の被災3県で約2兆3千万円。だが翌21年度からの計画では、向こう5年間の総額で1兆6千万円程度だという。とくに原発事故の影響が今も続く福島以外の、岩手と宮城で減少が著しい。

■ 旅行割引が終ったら……

東京でオリンピックとパラリンピックが開催された2021年夏。その激変が小さな宿を直撃した。作業員たちのほとんどは、ひらいが海荘をすでに去っていた。夏は海辺の宿にとって最も多くの観光客が訪れるハイシーズンだが、新型コロナの緊急事態宣言で宿泊キャンセルが相次ぎ、客がゼロの日が続いた。それでも秋以降は、少しは客が来た。岩手県と田野畑村がそれぞれ行った宿泊割引の効果だったが、どちらの割引制度も3月中には終ることになっている。香さんが案じるのは、その後の客足だ。2月までは復興関係の客が1組泊っているが、3月以降の予約は一切入っていない。

田野畑村では、震災前から観光客の減少が続いていた。香さんと拓雄さんは将来の厳しさを見据えて、ひとり息子の拓海さん(26)には宿を継がずにサラリーマンになることを求めた。拓海さんは故郷を出て、盛岡で家庭を持った。

■「ハード」に偏った 復興予算

巨額の復興予算をいつまでも支出し続けるわけには、もちろんいかない。だが巨費が投じられた末に、被災地がかつてのように自力で生きていくことさえ苦しい現実をどう考えたらいいのか? 巨大な防潮堤や高速道路ができれば、それで地域は「復興」できるのだろうか? ハードのインフラだけで、人々の生活は再建できるものだろうか?

答えを求めて、田野畑村役場で産業振興課長を務める佐藤智佳さんに話を聞いた。大津波のあのとき役場からマイクロバスで駆けつけ、立ち往生していた避難者を避難所に搬送。その後も復興対策部門で生活再建の相談に応じたり悩みを聞いたりと、ずっと被災者と直接相対してきた職員だ。佐藤さんが案内してくれたのは、香さんの実家があった場所に新築された村のコミュニティーセンターだ。住民たちは落成をとても喜んでくれたのだが、三陸鉄道の島越(しまのこし)駅前である一帯は津波の直撃を受け、ほとんどの住民が高台に移転。地区全体の人口も3分の1ほどに減った。この施設に住民が集まることは少なく、維持費が悩みの種になっているという。「この10年の復興は、国からの予算があるうちにとにかくハードをつくろうという復興だったが、ソフト面には手薄だったのではないか」。もう少し知恵が出せればよかったと悔やむ胸中を明かしてくれた。
人口も産業も縮小し、観光客も減っていく村の現実。佐藤さんは地元の観光業者へのこんな思いを語る。「今までと同じことをやっていても厳しい。その店や宿の個性を出して『推し』を作っていだだけたら、それをPRしていけたらと。村としても協力していきたい」

■ 売り出せば完売の新商品「どん肝すし」

2021年の暮れ。そんな「推し」の開発を、ひらいが海荘ではすでに始めていた。それが「どん肝の寿司」だ。もともとこの宿では、冬に獲れる深海魚「どんこ」を尻から串刺しにして焼く「逆さ焼き」が名物だ。そのどんこを、にぎり寿司にアレンジしたのだ。握るのは息子の拓海さん。盛岡で寿司職人しとして有名店に勤めていたがどうしても両親の宿で働きたいと、妻と2人の幼子を連れて戻ってきていた。

肝を味噌などで和えて寿司にトッピングする。インパクトがありながら生臭さはなく、美味しい。この季節に、肝が新鮮なこの地でしか出せない味。まさに個性だ。寿司は、仮設店舗で営業するなじみの鮮魚店に置いてもらっている。「8カンで1,000円」はこの地域で決して手頃とは言えない値段だが、取材した日は1時間ほどで4パックを完売した。その後も売れ行きは好調だという。

香さんはいずれこの宿で食堂も開きたいという。経営が厳しい宿泊一本槍(やり)ではなく、外食との多角経営によって息子家族の選択肢を広げる将来を心に描いている。

■ 被災地の「持続可能な」復興とは

香さんは、津波に奪われた兄と父への思いをこう吐露する。
「最初の何日かは海を見ながら、どんだけひどい事すんのって思った。でも自分たちは海と暮らしている。兄だって父だって海にいてこちらを見てるんじゃないか。朝も海の日の出をみれば、自然に会話になっているような気がする。海を嫌いにはなれない」

被災地では、後継者を得られずに廃業していく店や宿が少なくない。店や宿がなければ訪れる観光客も減り、ますます地域が縮んでいく負のスパイラルに入ってしまう。そうした中、海の宿を妻子とともに受け継ごうとする拓海さんは、地元にとってある意味「希望の星」だ。

村職員の佐藤さんはこの10年の経験をもとに、後継者育成や「推し」のブラッシュアップなどソフト面に予算を割く視点が、東北に限らずこれからの災害復興に必要なのではないかと語る。
予算はまずハードづくりにとなりがちな社会の発想を、より持続可能な人づくり重視へと見直すことが求められている。

10年が過ぎたから復興が終るわけではない。被災地の人々は、いまも必死で闘っている。

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