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高田純次はいかにして「5時から男」から「適当男」になったのか?

ボブ内藤編集者、ライター、インタビュアー
撮影/八木虎造

2024年1月、ダイヤモンド社から『最後の適当日記(仮)』を上梓した高田純次さん。読めば、「適当男」の脳内を眺めるかのような臨場感のある、抱腹絶倒の日記文学だ。

そんな高田さんに「5時から男」から「適当男」になったいきさつについて、話を聞いてみよう。

「5時から男」みたいなキャッチフレーズは、自分からそう名乗ったわけではないんだ

今では高田純次さんと言えば、誰もが「適当男」というキャッチフレーズを思い浮かべるだろうが、実はそれ以前は「5時から男」と呼ばれていたことは、40代後半の人なら誰でも知っているはずだ。

1985年に放送が始まった『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』(日本テレビ系)でレポーター役に起用され、「早朝バズーカ」や「勉強して東大に入ろうね会」などの伝説的コーナーを担当。女優の清川虹子さんの豪邸に押しかけて、愛用の指輪を口に入れたりしてハチャメチャなレポートをして人気者になってはいたものの、出演料は安かったそうだ。安アパートに住んで妻子を養っていた高田さんは、工事現場の肉体労働や大道具、キャバレーのボーイ、ちり紙交換などのバイトをしなければ食っていけない生活だったという。

そんな渡り鳥のようなバイト生活にピリオドを打つことができたきっかけが1988年、「5時から男」のキャッチフレーズのグロンサンのCMに起用されたことだった。

1988年というと、ちょうどバブルのころでしょ? 夕方の5時、仕事に疲れたサラリーマンがグロンサンを飲んで元気になって、夜の街へと遊びにくり出すという、CMで描かれた風景は時代の空気にマッチしていたんだね。

ただ、どっちかというと実際のオレは、仕事には真剣に臨んで、それが終わればぐったりしたままってタイプだったから、「5時から男」というより「5時まで男」というのが本当の姿だと思っているけどね。

そんなふうにキャッチフレーズというのは、誰かがオレをそう呼ぶことで定着していったものなんだよね。「自分はそんな人間じゃありません」なんて否定するんじゃなくて、「あ、そうですか。じゃあ、5時から男で行きます」って受け入れていくスタイル。

「5時から男」のほかにも、「平成の無責任男」とか、「芸能界一いい加減な男」と呼ばれたこともあるけど、どれも自分からそう名乗ったわけじゃないんだ。

撮影/八木虎造
撮影/八木虎造

「適当男」って、オレ自身ではどんな男なのかわかっていないんだ

高田さんによれば、「適当男」というのも、それと同じようにして自分からそう名乗ったものではないのだという。

きっかけは2006年、高田さんが59歳のときに『適当論』(ソフトバンク新書)という本を出したことだった。

精神科医の和田秀樹先生が、オレとの対談を通じて性格とか言動を分析するという内容で、この本がかなり売れたんだ。
オレ自身、売れたのは90%以上、和田先生の力だと思ってるけどね。ただ、本が売れたことで「高田純次=適当男」というイメージが定着したんだと思う。

だから、「適当男」はオレの60代以降のキャッチフレーズということになるね。そんなに昔から、そう呼ばれてきたわけではないんだ。

「適当」という言葉には、「量や程度がほどよいこと」という意味と、「その場かぎりでいい加減なこと」というふたつの意味がある。

「適当男」には後者の意味が多く含まれていることは、想像に難くない。

よくわからないな。オレ自身、「適当男」がどんな男かって、分析したこともないし、どれだけ分析しても最後までわからないんじゃないかな。

だから、人から「いつものように適当にしてください」と言われるとオロオロしちゃうんだ。で、そのオロオロぶりが周囲に「適当男」っぽく見えてるってだけなんじゃないかな。そんな気がする。

ところで、『最後の適当日記(仮)』のなかで高田さんは、「年をとったらやってはいけない三原則」というものを挙げている。その内容は、こうだ。

一、昔話をしない。

二、自慢話をしない。

三、説教をしない。

この三原則が生まれたきっかけについて、高田さんはこう説明する。

確か、数年前に『情熱大陸』(MBS毎日放送)の取材を受けたとき、気の利いたことを言わなきゃと思ってひねり出したんじゃないかな。

でも、今も質問されるがままにベラベラしゃべってるけど、人から聞かれればバンバンするよ。昔話も自慢話も説教も、自分からしないってだけで、ジジイからそれを取っちゃうと、あとはエロ話するしかないじゃない。

今の時代、そんな話ばかりしてるジジイは、芸能界からも世間からも消されるよ。

撮影/八木虎造
撮影/八木虎造

大腸ポリープを取ったことが、オレにとってせめてもの「終活」かな

『最後の適当日記(仮)』には他にも、40代からの付き合いになるイボ痔の話や、60代後半で手術した脊柱管狭窄症の話、それから生まれて初めて受けた人間ドックで大腸ポリープが見つかった話など、「病」や「老い」について、赤裸々に告白する箇所がある。

2024年1月21日で御年77歳の喜寿となった高田さんは、自らの加齢をどのように意識しているのだろうか?

2014年の年末、腰痛がひどくなって、椎間板ヘルニアと脊柱管狭窄症の手術をしたんです。

ところが結果が思わしくなくて、正月は痛みで七転八倒。病院を変えて2度目の手術をして、通算で20日ほど入院した。

その後の経過は順調で、タイミングのいいことに、その直後にテレビ朝日の『じゅん散歩』の仕事をいただいてね。

もし、手術の経過がよくなければ、散歩どころではなかったわけだから、健康のありがたみを身に沁みて知ったよ。

昔から体は丈夫で「病気で仕事に穴をあけたことは一度もない」ってことを誇りに思ってたけど、これからは油断しないように気をつけなきゃいけないなと思ってるよ。

と言う高田さんだが、定期的に人間ドックで健康診断を受ける習慣はなく、初めて受けたのは2022年のことだった。

今までずっと、受けたことのなかった人間ドックを受けたのは、コロナのおかげなんです。

ドラマの仕事が入って、半年先までスケジュールを押さえられていたんだけど、最初の数シーンを撮ったところでほかの俳優とスタッフがコロナに罹って撮影が中止になったの。

で、何かの拍子にオレが一度も健康診断を受けたことがないことをしゃべったら、「嘘でしょ」とか、「絶対行くべきです」とかいう周囲の反応に驚かされて、受けることにしたわけ。

ポリープは全部で10個あったんだけど、最初の健診では7個しか取らなかったんだ。お医者さんもオレだけ診てるわけじゃないから、疲れて全部取れなかったじゃないかな。こう見えても気の弱いところがあるので、くわしい理由は聞けなかった。

でも、その後、全部取ってくれたから問題はないよ。これからは定期的に検査を受けようと思ってる。

『最後の適当日記(仮)』は当初、『適当日記 終活編』というタイトルだったんだけど、大腸ポリープを取ったことがオレにとって、せめてもの終活かな。

ホントは女房と離婚しようかと考えたこともあるんだけど、女房はオレに無関心だから、そんなつもりもないみたい。そのうち、女房が終活を始めて、オレのほうが捨てられるかもしれないね。そうならないよう、せいぜい気をつけておくよ。

「高田純次」になりたければ、オレの本を10冊買うといいよ

『最後の適当日記(仮)』を手にとった読者は、帯に書いてある「この本をオレの遺言と思ってくれていいよ」という文句にドキッとするはずだが、その後に続く「あと50年は生きるけど」という言葉にホッとするはず。

ああ、高田さんの「適当男」ぶりは相変わらず健在なのだなぁ、と。

本の題名に「最後の」ってつけちゃって大丈夫なの? って心配してくれる人もいるけど、オレなりに対策は考えてるよ。

この本が売れたら、『続・最後の適当日記(仮)』を出せばいいじゃない。その後も、『続々』、『続々々』、『続々々々』とやったら永遠に続けられるよね。

最近、俳優の松山ケンイチくんがテレビのインタビューで「高田純次みたいになりたい」と言ってくれてたそうだね。

簡単だよ。高田純次になりたかったら、『最後の適当日記(仮)』を10冊買えばいい。それを知り合いや、家族や親戚に1冊ずつ配って「この本を受けとったら、同じ適当日記を10冊買って配るように」って言うんだ。

これを実行すれば、誰でも必ず「高田純次」になれるはずだよ(笑)。

※この記事は、かっこよく年を重ねたい人におくるWEBマガジン「キネヅカ」に公開された記事を加筆・修正したものです。是非、そちらの全長版も読んでください。

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編集者、ライター、インタビュアー

編集プロダクション方南ぐみを経て2009年にフリーに。1990年より30年間で1500を超える企業を取材。財界人、有名人、芸能人にも連載を通じて2000人強にインタビューしている。著書に『ビジネス界に脈々と伝わる先人の知恵 業界のセオリー』(徳間書店)、『人を集める技術!』(毎日新聞社)、『はじめての輪行』(洋泉社)などがある。また、出版社の依頼で賞金500万円の小説新人賞の選考事務局を起ちあげ、10年間運営した経験のもと、齋藤とみたか名義で『懸賞小説神髄』(洋泉社)を執筆。それをきっかけに、池袋コミュニティカレッジ「小説のコツ」の講師を2013~2023年の10年間つとめた。

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