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「金継ぎ」の技術で繋ぐ新たな工芸の姿!九谷焼を輪島塗の職人が金継ぎで修繕する復興支援プロジェクト

日本茶ナビゲーター Tomoko日本茶インストラクター
渋谷のTCS会場にて3/16~24まで能登半島地震で割れた器などが展示されている

割れた九谷焼の破片、埃や土を被った輪島塗の漆器。

お茶の世界と切っても切れない縁のある伝統工芸が、能登半島地震により、今、危機にあります。

2024年1月1日。

新年を祝う気持ちで午後のお茶の時間を楽しもうと、祖父が遺した九谷焼の茶器で玉露をいれようとした瞬間、ぐらんぐらんと長い横揺れを感じました。

しばらくして能登半島が震源であるとニュースで流れ、被災地の方々の無事を祈るとともに、日本の伝統工芸品である九谷焼や輪島塗の産地のことが気になりました(その日のインスタグラムの投稿(外部サイト))。

大変な被害に遭われた方々、特に大きな被害を受けたところに何かできることはないか、いろいろなところで寄付をしたりもしましたが、輪島市の被害をニュースで見るたびに輪島塗は今後どうなるのか、職人の方々はどう過ごされているのか、何か支援ができないかと思い、いろいろなサイトを見ていました。

つい先日、以前「進化系茶器」の取材でお目にかかったプロダクトデザイナーの鈴木啓太さん(取材記事はこちら)のSNSで輪島塗の職人たちへの支援プロジェクトを知り、渋谷bunkamuraブックストアで3月16日から24日まで関連した展示があると教えていただきました。

今回はその展示の様子と、復興支援のプロジェクトについて伺いました。

石川県の伝統工芸の「九谷焼」と「輪島塗」

石川県は伝統工芸大国とも言われるほど、古くからの伝統産業が盛んな地域です。

その代表として海外にもその名が知れ渡っているのが「九谷焼」と「輪島塗」です。

どちらも職人による手仕事の最高級品というイメージで、百貨店やギャラリーで美しい作品がたくさん展示・販売されています。

九谷焼

九谷焼は江戸時代から続く伝統ある磁器です。

石川県の「能美市九谷焼美術館」のサイトによると

九谷焼の歴史は、江戸時代前期の1655(明暦元)年ごろにさかのぼります。加賀の支藩だった大聖寺藩の初代藩主・前田利治(まえだ・としはる)が、領内の九谷(現在の石川県加賀市山中温泉九谷町)の金山で陶石が発見されたのに着目し、金山で錬金の役を務めていた後藤才次郎に命じて肥前有田で製陶を学ばせました。その技術を導入し、九谷に窯を築いたのが始まりとされています。

とあります。

九谷焼の茶器なども見かけますが、大きく色彩豊かな絵皿が印象的です。

※詳しくは能美市九谷焼美術館のサイト(外部サイト)に書かれています。

輪島塗

輪島塗は石川県輪島市の伝統産業です。

輪島塗の発祥は、約1000年前の大陸伝来説、15世紀初めに輪島に来た根来僧が普及させた説、近くの柳田村に伝わる合鹿碗[ごうろくわん]が原型という諸説があるが、 文明8年(1476年)には輪島に塗師がいたことは明らかになっている。
堅牢な塗りと加飾の優美さを特徴とし、日本を代表する漆器として高く評価されている。 特に、輪島特産の地の粉(珪藻土の一種)を下地に塗り、塗り上げるまでに20工程以上、総手数では75~124回にも及ぶていねいな手作業で作られるため、堅地漆器の名声を博している。 さらに、木地の外側や損傷しやすい箇所に漆で麻布を貼る布着せの技法や地付けの際、下地が剥離破損し易い上縁に桧皮箆[ひかわべら]で生漆を塗る地縁[ぢぶち]引きが、漆器の品質と堅牢度を高めている。 また、加飾にも優れ、特に、沈金技法は輪島で完成したといわれ、多くの名工を育ててきた。 昭和52年4月25日国の重要無形文化財に指定されている。

石川県中小企業団体中央会のサイト(外部サイト)より抜粋。

輪島塗の角偉三郎氏の工房より(写真:今回のプロジェクトメンバーでもある塗師屋「高洲堂」より)
輪島塗の角偉三郎氏の工房より(写真:今回のプロジェクトメンバーでもある塗師屋「高洲堂」より)

九谷焼も輪島塗も購入するには高嶺の花という印象ですが、茶器や小皿、お箸など普段使いできる品もあります。

渋谷の「HOPE with NOTO」の展示

能登半島地震では震度7もの大きな揺れで、九谷焼の器も窯元や販売店などでたくさん割れてしまいました。

今回のTCS(東京クリエイティブサロン)2024の渋谷bunkamuraブックストアでの展示「HOPE with NOTO」では割れた九谷焼の器や瓦礫の中から救い出された輪島塗の漆器が被害を受けたままの状態で展示されています。

TCS2024のサイト(外部サイト)に展示の紹介があります

渋谷bunkamuraブックストアでの「HOPE with NOTO」の展示。能登半島地震で割れた九谷焼の器や、埃や土をかぶってしまった輪島塗の漆器、被災地の写真が展示されている
渋谷bunkamuraブックストアでの「HOPE with NOTO」の展示。能登半島地震で割れた九谷焼の器や、埃や土をかぶってしまった輪島塗の漆器、被災地の写真が展示されている

複雑な製造工程で沢山の人の手仕事により一つ一つ丁寧に長い時間をかけて作られた器たちが無残な姿になっていて、能登の被災地のことを思うと胸が締め付けられます。

九谷焼の様々な器の破片。破片の中には九谷焼の特徴でもある色彩豊かな器も
九谷焼の様々な器の破片。破片の中には九谷焼の特徴でもある色彩豊かな器も

渋谷bunkamuraブックストアの中から展示を見た様子
渋谷bunkamuraブックストアの中から展示を見た様子

実際に被災地ではこの展示の何十倍もの器が割れ、破片となってしまったそう。

震災で割れてしまった器を見た時、作り手の方はどう思われたのでしょうか。

言葉にならない想いで見つめていたのではないでしょうか。

輪島塗の職人たちはどうだったでしょう。

HOPE with NOTOの展示の中の輪島塗の器。震災のがれきの中から救い出されたもの。埃や土をかぶってしまったため、くすんで見える
HOPE with NOTOの展示の中の輪島塗の器。震災のがれきの中から救い出されたもの。埃や土をかぶってしまったため、くすんで見える

ニュースや新聞では、輪島市の被害は大きく別の場所に避難している人も多いため、分業で仕上げる輪島塗の職人たちも散り散りになってしまい、このままでは輪島塗は存続の危機と言われていました。

職人の手は作り続けないと手がなまって技術が失われると。

被災地から遠く離れ勝手な考えかもしれませんが、難しい状況ではあるけれど伝統工芸の技術は繋いでいってほしい。そう思っていました。

震災で割れた九谷焼の器を輪島塗の職人が「金継ぎ」する支援プロジェクトがスタート!

TCSの展示にも関わっている先述のプロダクトデザイナーの鈴木啓太さんは東京の青山にオフィスを構えつつも金沢や石川県には縁が深く、これまで金沢美術工芸大学での講義やデザインミュージアムの構想に関わったり、さらに初めての個展も金沢だったのだそう。

ここ数年は能登半島もよく訪れ、輪島の塗師屋(ぬしや)の方とも知り合い、輪島塗の職人がもつものづくりに真摯に向き合う姿勢を美しいと感じていたとのこと。

輪島塗の下地職人の方の手元。下地塗は木地の継ぎ目や節を補正して、痛みやすい部分を補強し、丈夫で緻密な塗肌を作る工程
輪島塗の下地職人の方の手元。下地塗は木地の継ぎ目や節を補正して、痛みやすい部分を補強し、丈夫で緻密な塗肌を作る工程

能登半島地震ではまず被災地の状況を把握することに徹し、震災前より親交のあった輪島塗の塗師屋さんや金沢在住の方々と会話を重ねたといいます。

そこで得た「輪島塗と九谷焼の出会い」というひらめきから、職人が1日でも早く仕事に戻れるよう二次避難中の職人が使える仮設工房を、九谷焼の産地である石川県能美市に設立

以前から集めていた九谷焼の破片と、今回の地震で割れた破片を、比較的早く仕上げることができる金継ぎで繋いでいくプロジェクトはこうしてスタートしたのです。

仮設工房では、廃棄されるしかなかった九谷焼の破片が、輪島塗の職人の手により新しい美となって生まれ変わります。

そんななか、グッドデザイン賞の審査などで繋がりのある齋藤精一さんから「能登半島のことで何かお手伝いできることはありませんか?」と声をかけられ、今回のTCS参加につながったそうです。

仮設工房で作業する輪島塗の蒔絵職人の親子
仮設工房で作業する輪島塗の蒔絵職人の親子

ここでプロジェクトメンバーである鈴木啓太さんのお話を一部紹介します。

現在能登半島地震へさまざまな支援がありますが、私は人々、特に職人たちに焦点を当てたいと思います。
途方もない技術と時間をつかって美を創る職人たちの手仕事を深く尊敬しており、職人が築いてきた遺産はこれからの未来に不可欠だと信じています。
まざまざと失われていくなんて、絶対にあってはなりません。
私たちはまだまだ支援の第一歩を踏み出したばかりですが、詳細や今後の展開については、3月19日に日本橋で開催されるトークイベントでお話ししたいと思っています。
今後、さまざまな場所で輪島塗や石川の工芸の展示を行う予定です。
また職人や作り手とのワークショップも企画中ですので、「復興支援」と難しく考えず、「心が震える美を楽しむ場」としてぜひお気軽に遊びに来てください!

プロジェクトはまだスタートしたばかり。

今後様々な場所で「新しい工芸の姿」が見られるとのこと。

一度壊れてしまったものを修繕する技術としての「金継ぎ」が物だけではなく人と人を繋ぐプロジェクト

新たな可能性を感じます!

実はこちらはプロダクトデザイナーの鈴木啓太さんによるCGで作られた見本。実際に金継ぎをする職人たちに「こういったものを」とイメージを伝えやすいようにCGで見本を作ったそう。
実はこちらはプロダクトデザイナーの鈴木啓太さんによるCGで作られた見本。実際に金継ぎをする職人たちに「こういったものを」とイメージを伝えやすいようにCGで見本を作ったそう。

鈴木啓太さんが登壇されるトークイベントの詳細はこちらです。

【東京クリエイティブサロン連携「北陸復興」トークイベント】
日時:令和6年3月19日(火)19時30分~22時00分
場所:日本橋とやま館(東京都中央区日本橋室町1-2-6日本橋大栄ビル1F)
参加費:無料(申し込み不要、どなたでも参加可能とのこと)
登壇者(予定):
大西 洋 氏((株)羽田未来総合研究所代表取締役社長執行役員)
斎藤 精一 氏(Panoramatiks主宰)
桐山 登士樹 氏(富山県総合デザインセンター所長)
林口 砂里 氏((株)水と匠代表取締役)
鈴木 啓太 氏(PRODUCT DESIGN CENTER)
富山県のサイト(外部サイト)より

トークイベントの内容(追記)

トークイベントでは鈴木啓太さんが輪島の今の状況を写真で説明した後、このプロジェクトを始めた経緯を涙をこらえながら語っていらっしゃいました。

3月19日の北陸復興トークイベントで輪島の現状を伝える鈴木啓太さん
3月19日の北陸復興トークイベントで輪島の現状を伝える鈴木啓太さん

今、輪島では人口の30パーセントが二次避難場所などへ移り、街には人が少なくなっています。
輪島の人々は忘れられていくことへの恐怖や絶望感に包まれています。
このままでは輪島塗は存続できないのではないか・・・。
一度失われた技術は元には戻りません。
製造に必要な材料やそれを扱う人が集まらないという現状。
輪島塗は分業のため、いくつもの工程に何人もの職人さんが関わっています。
1つでも工程が欠けると輪島塗は完成しません。
職人の手はアスリートやピアニストのように使わずにいると感覚が鈍り、元のような作品が作れなくなります。
そうならないために、二次避難場所で輪島塗の技術を使い、九谷焼を金継ぎすることで職人の手の感覚を維持する支援プロジェクトをスタートしました。
輪島塗の伝統が途絶える・・・そんなことは絶対にさせない!
今できることは、忘れないということと、職人さんたちを元気付けることです。
石川県を訪れることやSNSでの発信も、現地の方々の生きる力になります
ぜひお力をお貸しください!(一部のみ要約)

自分にできることは何か、今一度考えていきたいと思います。

「金継ぎ」は再生と復興の象徴に

割れた九谷焼を輪島塗の職人が金継ぎで修繕し、新たなものを作る。

なぜ金継ぎを輪島塗の職人が?と疑問に思われる方もいらっしゃるかもしれないので、補足しておきます。

金継ぎとは、漆(うるし)と金粉などの金属の粉を使って割れた陶磁器を継いで修繕する、古来からの日本独自の技術です。

漆で器を修繕する技術は縄文時代からとも言われています。

貴重なものだから壊れても直して使う。

後に金継ぎは千利休により高く評価されて広まり、金継ぎ師や漆を扱う漆器関連の職人が金継ぎを行ってきたという歴史があります。

茶道の世界では金継ぎで修繕された部分も「景色」、つまりデザインとして美しく価値のあるものとして楽しむ文化があります。

美術館の古い陶磁器の展示でも金継ぎが施されたものも多く、どれも美しいです。

現代の輪島塗の職人たちも漆と金粉(蒔絵に使う)を扱うプロフェッショナル

このプロジェクトの九谷焼の金継ぎも間違いなく美しく仕上がることでしょう。

金継ぎで修繕された美しい器は再生と復興の象徴のようなものになると思います。

期待しています!

継いで繋いでいく未来

今では外国人観光客にも大人気の「金継ぎ」。

物を大切に扱う日本の伝統文化がSDGsの面からもARTとしても評価されているそうです。

物を繋ぐ金継ぎが、人と人とを繋ぎ、被災地の人とそれを支援する人を繋ぐ、大きな輪になっていく。

2024年の能登半島地震で大きな被害を受けた輪島市。地震から2ヶ月近くたった2月後半の撮影当時も、町中で倒壊した建物がそのままになっていたそうです
2024年の能登半島地震で大きな被害を受けた輪島市。地震から2ヶ月近くたった2月後半の撮影当時も、町中で倒壊した建物がそのままになっていたそうです

がれきの中の輪島塗の器。輪島塗の職人の多くが被災し避難せざるを得ない状況にある
がれきの中の輪島塗の器。輪島塗の職人の多くが被災し避難せざるを得ない状況にある

仕事がしたいな、手が忘れんうちに仕事がしたい」という職人さん。

またみんなで輪島塗をつくりたい!」という塗師屋さん。

一度廃れてしまうともう元には戻らない伝統の技術。

継いで繋いで、日本の伝統工芸を紡いでいきたい。

職人をまじえてのプロジェクトのミーティングの様子。右から二番目が鈴木啓太さん(写真:鈴木啓太さんより)
職人をまじえてのプロジェクトのミーティングの様子。右から二番目が鈴木啓太さん(写真:鈴木啓太さんより)

渋谷での「輪島塗と九谷焼の出会い」の展示を見ながら、このプロジェクトの想いをひしひしと感じました。

※プロジェクトの詳細はこちらのサイト(外部サイト)に掲載されています。

思いを繋ぐ器

我が家には祖父母や実家から譲り受けた茶器や器が少しあります。

普段使いのものから少し高価なものまで、九谷焼や輪島塗も使っています。

祖父が遺した九谷焼の茶器セット(玉露用の小ぶりな宝瓶、湯冷まし、茶碗)。裏に「九谷」の刻印があり、大衆向け量産品のもので「九谷焼茶器 菊詰細字」というものだと最近人づてに聞きました
祖父が遺した九谷焼の茶器セット(玉露用の小ぶりな宝瓶、湯冷まし、茶碗)。裏に「九谷」の刻印があり、大衆向け量産品のもので「九谷焼茶器 菊詰細字」というものだと最近人づてに聞きました

高価かどうかよりも思い出の品や想いのこもったものは、もし割れてしまっても金継ぎをしてその思い出とともに次の世代に繋いでいきたい。

そう思って大切に使っています。

今回のプロジェクトにより金継ぎにより美しく新たなARTとして再生された作品は、世代や国籍を超えて評価され、きっと数十年後も美術館やギャラリーに飾られるはず。

HOPE with NOTO

その言葉とともに能登への想いが込められた展示は、それを見る人々が被災地に想いを寄せるきっかけになることと思います。

想いを寄せる。

忘れない。

支援の手を差し伸べる。

復興には長い長い年月がかかります。

金継ぎが様々な形で能登に力を与えると信じています。

いつか、輪島塗の職人による金継ぎが施された九谷焼の器でお茶の時間を過ごしてみたい。

応援しています!

取材協力:鈴木啓太氏(PRODUCT DESIGN CENTER(外部サイト))

日本茶インストラクター

【お茶の世界の扉を開く日本茶ナビゲーター】 日本茶専門店で7年勤務、茶道歴25年の経験を活かし、大手百貨店や外国の大学等でのワークショップで国内外2,000名以上の方に日本茶の魅力を伝える。美味しい日本茶とそれにまつわる伝統工芸品を後世にも繋いでいきたい、日本茶への愛と想いで日本茶情報を発信中。日本茶の商品開発やカフェ・飲食店での日本茶コーディネートや淹れ方指導。NPO法人日本茶インストラクター協会認定日本茶インストラクター(2004年取得)。

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