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【富田林市】郷土の誇り、河内にわかの伝統を残そう!明日すばるホールで開催の舞台の直前練習を見学

奥河内から情報発信奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

コロナ禍は伝統文化にまで巻き込みましたね。昨年の秋祭り、だんじりも、規模を縮小してでしたが、3年ぶりに復活。喜志の宮さんこと美具久留御魂神社(みぐくるみたまじんじゃ)では河内にわか(俄)が行われ、その様子を実際に拝見してきました。

そして今年、コロナ禍で3回延期されていた「下水分社喜楽座第3回公演」がようやく開催されることになりました。この公演は、だんじり上で演じられる河内にわかをステージでというものです。

建水分神社拝殿
建水分神社拝殿

下水分社喜楽座第3回公演については、昨年、千早赤阪村にある上水分神社こと建水分神社に参拝した時にはじめてその存在を知りました。

壁に貼ってあるのを見たのは、このような公演の案内。それは楠木三代楠木正儀(くすのきまさのり)に関する公演会を行うという内容です。

これは昨年の春先に見つけたものなのですが、残念ながら引き続き延期となり、その公演が明日ようやく開催されるのです。ところで楠木正儀(くすのきまさのり)とはいったい何者なのでしょうか?

私が奥河内に引っ越した2021年1月以降、この地域にいると意識せざるを得ない存在として、大楠公(だいなんこう)こと楠木正成(くすのきまさしげ)がありました。

現在は河内長野を中心に正成とその子・小楠公正行(しょうなんこう、まさつら)をモデルにした大河ドラマの誘致活動が積極的で、昨年それに関係するすばるホールでの講演会にも参加したことがあります。

しかし、楠木正儀という人はこの時は出てきません。

改めて調べるてみると、正儀は正行の弟で、正行が四条畷の戦いで命を落としてから楠木家の三代目当主として南北朝時代に主に南河内地域で活躍した武将です。

そんな矢先、ある方から喜楽座第3回公演が今年は行われるという情報を得ました。

とても気になりましたので、座長の尻谷廣海さんに連絡と取ったところ、ちょうど子どもにわかの練習があるからということで見学させていただくことになりました。

河内にわかといえば、先に書いたように、昨年各だんじりが宮入りした時に演じられていましたね。最初に舞台の上で口上が行われます。

次に舞台の上で2,3人の演者が出てきて大体10分程度芝居を演じます。

芝居の最後にオチがあって、そのあとだんじりを上下に振り回して終わるという内容。生で拝見しましたがなかなか楽しいものだと思いました。

さて、尻谷さんと約束の時間になったので、練習場所である喜志会館に向かいます。

ちょうど練習が始まったところでした。子どもたちとその親御さんの姿がありました。

右側にいるのが尻谷さんです。「声が小さいよ」と、アドバイスをしています。

練習を拝見していると、どうやら江戸時代のころの物語のようで、外見とは全くイメージの違う江戸風の言葉をしゃべりながら、酒(もちろん中には何も入っていない)を飲むようなシーンを子どもたちが演じます。

最後のオチの部分です。尻谷さんの鋭い視線。

でも、出番ではない子どもたちはこのように宿題をしていて、しっかりと勉強もしていました。

こうして練習が終わった後、休憩になったので尻谷さんからお話を伺いました。

尻谷さんからこちらのガイドブックが手渡されました。これは文化庁の補助事業で作成されたそうで、にわかについて非常に詳しく書かれています。

簡単にまとめると、にわかには地域によっていろんなスタイルがあるらしく、元々は大坂にわかというのがあって、それが各地に広まったとのこと。(ただし別の意味合いとして「にわか」を使っている地域もある)

大坂にわかは明治以降に廃れたそうですが、南河内のにわかは続けられ、現在に至るそうです。

そんなにわかも、昭和50年代のころには宮入りするだんじりも3つしかなかったそうで、平成、令和と時代が進むにつれ、伝統芸能の大切さが再認識されるようになってから、だんじりも現在の数(11町)まで復興したとのこと。

また河内にわかのほうも、この当時は本来のものとははかけ離れていた、コントや漫才のようなものになっていたそうです。尻谷さんはそのことに危機を感じて、伝統的な河内にわかを復興させ、河内にわかの台本を書くようになったそうです。

ここでなぜ尻谷さんが河内にわかに情熱を燃やしたことが気になりました。それをお伺いすると、全国的に有名な岸和田だんじりにないものとして、南河内に残る河内にわかをクローズアップさせたいということだったのです。

美具久留御魂神社の氏子でもある尻谷さんでも、岸和田のだんじりを日本一の祭りだと思っていました。しかし、こういう考えがおかしいことに気づきます。

どういうことかといえば、本来郷土、氏地にある氏神様のお祭りこそが日本一と思わないと氏子としておかしいということです。つまり美具久留御魂神社の秋祭り・だんじりこそが日本一だと考えるべきであると。

岸和田のだんじりと比較した時に、岸和田にはもうにわかの伝統は残っていませんでした。しかし南河内には、にわかが残っている。だから尻谷さんは、郷土の誇りである河内にわかをもっと盛り上げようと思い、下水分社喜楽座を立ち上げました。

なお下水分社とは美具久留御魂神社の別名で、上水分社の建水分神社と対になっている呼び方です。

河内長野のだんじり
河内長野のだんじり

富田林のだんじりは、岸和田や河内長野のだんじりと比べて大型です。これは石川型だんじりと呼ばれるもので、だんじりが大きいのは、だんじりそのものが動く芝居(にわか)舞台であり、さらに演者の楽屋も兼ねているからなんだそうです。

尻谷さんは本来はだんじり上で演じられる河内にわかをもっと多くの人に知ってもらおうと、河内にわかだけをホールで演じることを思いつきました。第一回目は2018(平成30)年に行なわれた「加賀屋甚兵衛物語」です。

喜志出身の加賀屋甚兵衛は、大坂淡路町の両替商に奉公の後、独立してから新田開発に携わりました。

大和川が現在の位置に付け替えられてから河口近くに土砂が溜まった結果、干潟ができたことから、甚兵衛が新田開発を担当し、「加賀屋新田」と呼ばれる新興の場所ができました。その名前は現在の北加賀屋駅などの駅名や地名としてのこっています。

2回目にあたる2019(令和元)年には、「忘れないよ大槌町」というタイトルの河内にわかが演じられました。これは岩手県大槌町復興支援の意味もあります。

2011年の東日本大震災で津波に襲われて壊滅状態になった、岩手県大槌町の民家跡に、塩害を乗り越えて穂をつけた稲が発見されました。

これを「奇跡の復興米」として富田林市喜志の田んぼで栽培したという経緯の物語です。

奇跡の復興米は地元喜志の小学生が稲刈りなどを手伝っていて、田んぼの前にある壁ではこのように絵がパネルで展示されていたのを見たことがあります。

今回の3回目は楠木三代、楠木正儀の戦いを取り上げています。コロナ禍による延期が続きましたが、ようやく公演が決まりました。本当によかったですね。

尻谷さん提供:楠木正儀の墓
尻谷さん提供:楠木正儀の墓

「正儀に関しては非常に思い入れがあるんです」と尻谷さん。楠木といえば正成、正行が有名なのに対して、正儀に関してはあまり知られていないことが残念だといいます。

南朝総大将として北朝から京を4度奪還しただけでなく、槍(やり)を用いた戦術を初めて普及させ、兵站(へいたん)・調略・後詰(あとづめ)といった戦略を重視するなどの戦術家でもあったのですが、他の楠木氏の武将たちよりも朝廷から与えられた官位が低かったとのこと。

また尻谷さんによれば、氏神である美具久留御魂神社と正儀との関係も深いといいます。

美具久留御魂神社の境内を見ると、どうしても本殿と上拝殿、下拝殿を注目してしまいますが、境内には多くの摂社があります。その中でも特に白で囲ったふたつの摂社のことを尻谷さんは重視されていました。

画像提供:尻谷さん
画像提供:尻谷さん

白雲宮は歴代の南朝天皇を祀っているそうです。 調べてみると南朝初代の後醍醐天皇・皇后、 南朝二代の後村上天皇・皇后、南朝三代の長慶天皇・皇后、そして南朝四代の後亀山天皇・皇后が祀られています。

これに加えて初代の 神武天皇・皇后が祀られているとのこと。

画像提供:尻谷さん
画像提供:尻谷さん

また本殿の隣にある南木神社は、楠木三代(楠木正成、楠木正行、楠木正儀)を祀っています。

楠母神社跡
楠母神社跡

それに加えて、正成の妻、久子も祀っているそうですが、これはかつて甘南備にあった楠母神社を合祀したからだそうです。

さて、当日の公演プログラムを教えていただきました。当日は二部構成で、第一部は口上あいさつの後、河内にわか三題が演じられます。この中には見学させていただいた子どもにわかも登場します。

  • 舟道中(子供にわか)
  • 男という字(子どもにわか)
  • 腰神の契り(喜志新家にわか衆)

そのあと祝い地車ばやし、和太鼓と続きます。

中休憩をはさんで第二部となり、最初に今回参加する美具久留御魂神社に宮入りする全だんじりの11町によるリレー口上が行われます。これはなかなか見る機会がないかもです。

そのあと、いよいよ楠木正儀の河内にわかが行なわれます。六幕に分かれていて、それぞれの町が一幕ずつ演じるそうです。そのため、正儀役が幕ごとに違う人が演じるというもの。

  • 第一幕 津田範高 虎夜叉丸を諭すの巻
  • 第二幕 兄弟別れの巻
  • 第三幕 正儀 一族大将となるの巻
  • 第四幕 正儀北朝に降りるの巻
  • 第五幕 南朝帰参 血戦 平尾峠の戦いの巻
  • 第六幕 妄執の夢の巻

尻谷さんによれば第六幕の正儀役の方のお孫さんが、第一幕の子役の正儀役とのこと。これは楽しみですね。

現在の平尾峠付近
現在の平尾峠付近

尻谷さんによれば、第四幕からがいよいよ盛り上がる場面なので、見逃さないでほしいといいます。

最後は堺市美原区との境にある平尾峠での戦いが行なわれて、河内にわかの物語が終わるとのことです。

尻谷さんは、北朝や南朝を行き来した正儀は、南北朝合体の想いがあったのではないか?ということを、多くの人に知ってほしいとのことです。

河内にわか公演は、4月23日(日曜日)に開催します。会場は、すばるホールの大ホールで、13:30~17:00まで行われます。協力金としての入場料は1000円、中学生以下500円で、当日券もあるとのこと。

富田林が誇る伝統芸能をじっくり見られるまたとない機会なので、ぜひたくさんの方に見ていただきたい公演です。

すばるホール(下水分社喜楽座第3回公演)
住所:大阪府富田林市桜ケ丘町2-8
電話:090-6262-7819(座長:尻谷廣海さん)
開場:4月23日 13:00開場  13:30~17:00(公演)
入場料(協力金)大人:1000円、中学生以下500円
アクセス:近鉄川西駅から徒歩8分
Facebook(座長:尻谷廣海さん)

奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

河内長野市の別名「奥河内」は、周囲を山に囲まれ3種類の日本遺産に登録されるほど、歴史文化的スポットがたくさんある地域です。それに加えて、都心である大阪市中心部に乗り換えなしで行ける複数の大手私鉄(南海・近鉄)と直結していることから、新興住宅団地が多数造成されており、地元にはおしゃれな名店や評判の良い店なども数多くあります。そして隣接する富田林市もまた、歴史文化が色濃く残る地域。また南河内地区の中核都市として、行政系施設が集まっています。これを機会に、奥河内(一部南河内含む)地域に住んでいる人たちのお役に立つ情報を提供していければと考えています。どうぞよろしくお願いします。

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