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【河内長野市】地図ではドーナツの穴のように見える荘園町。いったい何があるのか実際に歩いてみました。

奥河内から情報発信奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

古代から中世にかけて、日本には荘園(しょうえん)と呼ばれるものがありました。これは天皇や貴族、寺社が持っていた領地で、財力をもって新たに開墾した土地から収益を得たもの。

たとえば天野山金剛寺の設立と関わりの深い鳥羽天皇の皇女・八条院が高向に荘園(高向庄)を持っていた話などを以前伺ったことがあります。

歴史が下り、戦国時代には荘園の存在価値がほとんどなくなっていき、豊臣秀吉が天下を統一した際に行われた太閤検地によって、荘園は完全に消滅しました。

しかし、河内長野には、現在でも荘園と名前の付くところがあります。もちろん昔の荘園とは全く別物で、荘園町(そうえんちょう)という地名です。そんな荘園町を、先日歩く機会がありました。

これは、河内長野市の小山田町の範囲です。想像以上に南北に長い小山田町ですが、今回はそちらではありません。

小山田町の真ん中から少し北に、ドーナツの輪のようになっているところがありますね。実はそこが荘園町です。

荘園町の歴史を調べると、正式には小山田荘園と呼ばれるもので、元々は小山田町に属していたエリアだったようです。南海電鉄が小山田団地(南海小山田荘園)として計画し、新たにできた町です。

1970(昭和45)年から1972(昭和47)年にかけて開発され、開発面積は7.6ヘクタールとのこと。南海千代田駅から直通バスがあります。

今回は小山田バス停から荘園町を目指してみることにしました。荘園町までバスに行って、荘園町を歩いても良かったのですが、やはり古くからの集落の雰囲気と新しくできた住宅地との境目の変化を見るのが好きなので、今回はあえてそうしました。

それぞれの方面に行く道標があります。

道がふたつに分かれていますね。地図を見たところ右側の道をまっすぐ歩けば、小山田の町の中心を通って、最終的に寺ヶ池公園に抜けられるようです。

それに対して荘園町方面に行くためには、左側の上りを歩かなければなりません。

ちょうど小山田名物の桃が販売されている時期なので、桃の幟が出ていました。

幟を見ながら歩いていきましょう。

古くて細い道を歩いていますが、地図上では途中から府道217号線(大野天野線)となっています。

荘園町との境界近くですが、歴史ある古い家がいくつも残っています。

少し歩くと荘園町に入りました。それまでの細い道が急に広くなり、かつ歩道までできています。

急に世界が変わったようで、このギャップが好きなんですね。

道なりに歩いていくと

1階に商店があるタウンハウスのような建物が見えてきました。

荘園町の町内にある自治会館では、今、盆踊りの練習が行われているようですね。

説明をみると、8月19日に盆踊りが行われるようです。それまで練習日が設けられているので、けっこうレベルの高い盆踊り大会なのかもしれません。

また踊りやすい曲を厳選して、誰でも踊れるようにとのことですが、その踊り方がYoutubeにアップされているらしいので、当日まで密かに練習もできますね。

自動販売機が多く置いてあり、必要な時には重宝します。

メインの通りを歩いていますが、交差点の角からその先の様子を見てみます。

反対側も撮影しました。

メインの通りはずっとまっすぐに道が続いていますが、ここは中々景色が良く、近くに緑の小山が、遠くに山が見えます。

下りが続いていますが、坂を下ったところをよく見ると、橋になっているのがわかります。

荘園橋バス停があります。先ほど見えた橋は荘園橋で、荘園町と東側の隣町を結んでいる橋ですね。荘園橋については、以前下から見上げたときに、なかなか壮観だったことを思い出しました。

本当はもっと町の中を巡回したかったのですが、荘園町に限らず新たに造成して作られた住宅地は、他の町との出入口が意外に少なく、このときも地図を見た限り出口らしいところが見かけられませんでした。

後日確認すると、北側にも出られるところがあったようですが、この時は町の外に出られないとまずいと思ったので、このまま橋を渡って町の外に出ることにしました。

ということで、今回は荘園橋を渡って見る事にします。

荘園橋を渡りはじめました。

最初に見えてきたのは、荘園町との境界線に堀のようなものが見え、その先に住宅地が広がっています。

地図で見るとこの小さな川は住吉神社の西隣、赤峰市民広場に隣接している河内長野市学校給食センターの北側に広がる森の中が源流です。川の先は荘園町の北側付近で天野川(西除川)と合流しているようです。

余談ですが荘園町は、南西方向を除くとこの川と天野川に囲まれた天然の堀に囲まれた高台にある要塞のようになっているので、時代が違えば城が築城されていても不思議ではない気がしました。

荘園橋から南側を見てみました、高台のあたりに白い集合住宅が目だって見えます。

方向や建物の形、ふたつ並んでいることから、あれはプレスト・コートだと思われ、それで間違いがなければ、緑ヶ丘北町に向かうバスが走っている道路がその奥にあるはずです。

荘園橋がほかの橋と違うのは、小さな川に続いて住宅を見下ろすように橋が続いていることです。

この住宅群の正体は後でわかりましたが、こちらの小山田グリーンタウンのようです。

橋を渡りきると、荘園橋東バス停です。このまままっすぐ歩くと小山田口交差点を経て寺ヶ池公園に抜けられます。

さて、ここで荘園橋の下側に向かってみましょう。荘園橋東詰めの南側に下りる道があります。

先ほど渡った荘園橋です。

北側を歩くとおしゃれな住宅が並んでいました。

住宅地を抜けると田園地帯が見えてきます。ちょうど夕日が爆発したみたいに映りましたが、その下が荘園町の北端部分です。

天野川の前まで来ました。

最後に天野川から荘園町を見ました。手前にテニスコートがあって、その奥に見える建物が荘園町です。

多くの住宅地はその場所に行くまでの上りが大変という印象ですが、こうやってみると荘園町はそこまで高台にはないような気がしました。

ということで、今回はこちらのような順序で荘園町の一部を散策してみました。

こんな暇人なことをするのは私以外にはあまりいないかもしれませんが、もしこれをご覧いただいて興味を持たれた方は散策してみてはいかがでしょう。

荘園町(南海小山田荘園)
住所:大阪府河内長野市荘園町
アクセス:南海千代田駅からバス 荘園橋バス停からすぐ

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奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

河内長野市の別名「奥河内」は、周囲を山に囲まれ3種類の日本遺産に登録されるほど、歴史文化的スポットがたくさんある地域です。それに加えて、都心である大阪市中心部に乗り換えなしで行ける複数の大手私鉄(南海・近鉄)と直結していることから、新興住宅団地が多数造成されており、地元にはおしゃれな名店や評判の良い店なども数多くあります。そして隣接する富田林市もまた、歴史文化が色濃く残る地域。また南河内地区の中核都市として、行政系施設が集まっています。これを機会に、奥河内(一部南河内含む)地域に住んでいる人たちのお役に立つ情報を提供していければと考えています。どうぞよろしくお願いします。

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