【川崎市中原区】歴史の道探訪 中原街道コースを歩く(2)名主家長屋門など
中原区内を全部歩いて記事を書く、オリテアガルです。
川崎市中原区のホームページに「歴史と緑の散策マップ」として、いくつかのコースが掲載されています。その中に「歴史の道探訪 中原街道コース」があり、そのとおりに歩いてみたの2回めです。
「歴史の道探訪 中原街道コース」は、JR武蔵中原駅と東急新丸子駅の間を結ぶ全長4.2kmの散策コースです。1回めは新丸子駅から中原街道まで。今回は、中原街道沿いの史跡が出てきます。
④中原街道
綱島街道との分かれ道地点から、中原街道を進みます。
中原街道を歩いていて、交差する道で左側を見ると、武蔵小杉のタワーマンション群が見えます。いくつかの道でこの景色。
歩いていると、中原街道の道標がありました。丸子橋から歩いていて通りの右側にあります。
⑤原家欅門
中原街道をしばらく行くと、中原街道の右側に原家欅門が見えてきます。
川崎市教育委員会にも説明があります。
「川崎歴史ガイド 中原街道ルート案内図」も建っています。もうひとつ、この原家欅門のガイドも建っています。国登録有形文化財とあり、門の奥にあった旧母屋は、現在川崎市立日本民家園に移築されていると案内があります。
⑥名主家長屋門
原家欅門から1分も歩かないところに、江戸時代の割元名主の安藤家の長屋門があります。割元名主というのは、代官の指揮下に近隣の村々の名主を統轄したとあります。
名主家の長屋門とは何かと調べたところ、名主の安藤家へ代官の娘さんがお嫁入りする時に、代官屋敷の裏門を運ばせたとのことです。
東京大学の赤門も、将軍家から輿入れするお姫さまを迎えるために加賀藩が建てた門として知られています。ほかに、磐城平城の掻槌門が、近隣の民間に払い下げられ、嫁入り道具のひとつとして、個人間で贈られたという記述も見つけました。幕末の老中、安藤信正の居城とあり、そちらも偶然とはいえ同じ安藤家でした。
この名主家長屋門にも、さきほどの原家欅門のように、「川崎歴史ガイド 中原街道ルート」と説明板があります。説明によれば幕末頃に建てられ、木造平屋建て(中2階あり)となっています。長屋門というのは上の写真に見えている門の部分だけではなく、両側に部屋がある作りのことだそうで、説明板の平面図にも門の左右に「西室」「東室」と部屋が描かれています。
⑦石橋醤油店
名主家長屋門を出て2分ほどで、石橋醤油店の建物があります。以前は、醸造工場の建物もありましたが、今は駐車場等に変わっています。醤油蔵も2013年に取り壊されたので、今はこの店舗の建物だけとなっています。
新潟などでお醤油を醸造している店の前を通ると、とてもいい匂いがしました。きっと往時は、中原街道のこの辺を歩くと、醤油醸造のいい匂いがしてきたことでしょう。
こちらの石橋醤油店にも、「川崎歴史ガイド 中原街道ルート」の案内が建っています。さきの2つは江戸時代の話でしたが、こちらは明治3年に「キッコー文山」の商標で醤油づくりを始めたとあります。
この後は、中原街道の有名な「カギの道」や「徳川将軍家の御殿」跡が出てきます。連日、気温が35度なので、少しずつ歩いております。次回に続きます。