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鉄道の父・井上勝の像と文化財の洋風駅舎 山陰本線 萩駅(山口県萩市)

清水要鉄道ライター

明治維新において大きな役割を果たした長州藩。その本拠地であった山口県萩市の萩駅には瀟洒な洋風駅舎が残っている。

萩駅の木造駅舎
萩駅の木造駅舎

萩駅は大正14(1925)年4月3日、長門三隅から伸びてきた美禰(みね)線の終点として開業。当時の所在地は阿武郡萩町で、駅が設けられたのは大正12(1923)年4月1日の合併まで阿武郡椿村だった橋本川南岸である。城下町からは大きく離れていたが、当時はこの駅が萩の玄関口だったため、立派な駅舎が建てられた。山陰本線の駅になったのは昭和8(1933)年2月24日である。

内部は資料館に転用
内部は資料館に転用

かつては萩の玄関口として栄えた萩駅だが、時代の流れによって萩市の中心に近い東萩駅の方が栄えるようになり、昭和60(1985)年3月14日には無人化されてしまった。立派な駅舎は無人駅となって荒れていたが、平成8(1996)年12月20日に国の登録有形文化財となり、復元改修の上で平成10(1998)年4月に資料館としてオープンしている。内部に展示されているのは萩市の歴史や自然、「鉄道の父」と呼ばれる井上勝(いのうえまさる)についてのことだ。

高輪築堤関連の展示も
高輪築堤関連の展示も

鉄道関連の実物資料も充実している。その中で目を惹くのが日本初の鉄道である新橋~横浜間の開業時に用いられていた礎石などだ。高輪ゲートウェイ再開発時に発掘された海上築堤の石も展示されている。

井上勝の銅像と萩駅舎
井上勝の銅像と萩駅舎

井上勝はいわゆる「長州ファイブ」の一人だ。長州藩士の子として萩城下に生まれ、伊藤博文らと共にイギリスに密航して鉱山技術・鉄道技術を学んで帰国。日本初の鉄道である新橋~横浜間の開通にあたっては鉄道頭(てつどうのかみ)として活躍し、黎明期の日本の鉄道の発展に尽力した。また、小野義眞・岩崎弥太郎と共に小岩井農場を設立したことでも知られている。シャベルに足をかけた姿は留学中に撮られた写真を元にしたもので、平成28(2016)年の「鉄道の日」10月14日に除幕式が行われた。ちなみに東京駅丸の内駅前広場には彼の晩年期の姿の銅像が建っており、赤煉瓦の駅舎を日々見守っている。

左端の部分が駅としての出入口
左端の部分が駅としての出入口

さて、萩駅の洋風駅舎についてだが、前述のように資料館として使われているため、駅舎本来の用途として使われているのは左端の屋根が一段低くなった部分だけに過ぎない。こちらに「萩駅」と掲げられている。

萩駅 待合室
萩駅 待合室

内部はベンチや自販機が置かれているのみで、資料館部分と比べると狭くて殺風景だ。資料館に母屋を乗っ取られたような形だが、市の玄関口の座を東萩駅に譲り渡していることを考えると、このスペースだけで十分なのだろう。

萩駅に停車する列車
萩駅に停車する列車

萩駅を含む山陰本線の益田~東萩~長門市間は、長大な山陰本線の中でも最も利用者の少ない区間だ。沿線には観光地として名高い萩城下町があるものの、他地方から萩へは山口市からバスで出るのが一般的なので、観光客の利用も多くない。本数も少なく、観光に使うのにも不便だが、列車を組み合わせて各駅を巡ってみると楽しい区間である。休日を活用して訪れてみてはいかがだろうか。

鉄道ライター

駅に降りることが好きな「降り鉄」で、全駅訪問目指して全国の駅を巡る日々。

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