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軽井沢なのに群馬県!?高原の別荘地に建つ仏閣風の廃駅 草軽電鉄 北軽井沢駅(群馬県吾妻郡長野原町)

清水要鉄道ライター

避暑地として名高い長野県の軽井沢。そこから浅間山を西に見て県境を越えた群馬県側にあるのが「北軽井沢」だ。吾妻郡長野原町と嬬恋村に跨る北軽井沢は群馬県にあるが、有名な軽井沢にあやかって、昭和初期よりこう呼ばれるようになった。

駅名標
駅名標

この北軽井沢をかつて走っていたのが、軽井沢と草津温泉を結んでいた草軽電気鉄道だ。北軽井沢駅は大正7(1918)年6月15日に「地蔵川」駅として開業。当時は夏期のみ営業する臨時駅だった。地蔵川を中心とする北軽井沢は元々何もないところだったが、鉄道の開通に合わせて別荘地として開発が進んだ。開発によって駅の利用者が増えたため、地蔵川駅は大正8(1919)年9月22日には常設駅となっている。

浅間隠山を背景に建つ駅舎
浅間隠山を背景に建つ駅舎

昭和2(1927)年、この駅に転機が訪れる。地蔵川周辺に広大な土地を持っていた松室敬(法政大学学長)が文化人向けの別荘地「法政大学村(通称:大学村)」を開いたのだ。大学村の関係者たちは、軽井沢の北にあった当地を「北軽井沢」と呼びはじめ、駅名も同年に改称されている。

善光寺を模した駅舎
善光寺を模した駅舎

現在も残る北軽井沢駅の駅舎は大学村から寄贈されたもので、善光寺を模した仏閣風デザインとなっている。入口車寄の欄間は法政大学村の頭文字であるアルファベットの「H」をデザインしたものだ。築年については昭和2(1927)年と昭和5(1930)年の二つの説がある。

駅舎 ホーム側
駅舎 ホーム側

この駅舎は昭和26(1951)年に公開された日本初のオールカラー映画『カルメン故郷に帰る』にも登場した。戦後の北軽井沢には満蒙から引き揚げた農民たちが多く入植し、農地開拓が行われていったが、交通の主役はこの頃既にバスへと移り変わりつつあった。草軽電鉄は昭和34(1959)年8月14日の台風で吾妻川橋梁が流失して一部が運休となり、復旧に費用が掛かることから、翌昭和35(1960)年4月25日に新軽井沢~上州三原間が廃止。北軽井沢駅もこの時廃止となった。

保存された駅舎
保存された駅舎

北軽井沢の駅舎は廃止後も残され、バス会社となった草軽交通の事務所や法政大学OBの経営する喫茶店として使用された。平成17(2005)年には長野原町に譲渡され、改修工事が行われている。平成18(2006)年11月29日には国の登録有形文化財となり、現在は北軽井沢観光協会が管理。夏期には無料で公開されている。

デキ13のレプリカ
デキ13のレプリカ

平成22(2010)年7月には駅裏にホームが再現され、草軽電鉄で活躍していたデキ12形電気機関車の木製模型が設置された。デキ12形はその形状から「カブト虫」の愛称で親しまれた機関車で、そのうち一両・デキ13の実物は軽井沢駅前に保存されている。

北軽井沢駅
北軽井沢駅

北軽井沢へは軽井沢と草津温泉、そして横浜からバスで訪れることができる。駅舎はバスターミナルのすぐ目の前にあるので訪れるのは容易い。軽井沢や草津を訪れる際には少し足を延ばして北軽井沢駅を見に行ってみるのはいかがだろうか。

鉄道ライター

駅に降りることが好きな「降り鉄」で、全駅訪問目指して全国の駅を巡る日々。

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