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廃止から48年で消えた個性的なデザインの木造駅舎 夕張鉄道 新二岐駅(北海道夕張郡栗山町)

清水要鉄道ライター

今年2月中旬、北海道で廃駅舎が一つ、解体により姿を消した。夕張郡栗山町にあった新二岐(しんふたまた)駅の駅舎で、昭和50(1975)年4月1日の廃止から48年もの間、残ってきたものだった。

道道沿いに建っていた駅舎
道道沿いに建っていた駅舎

新二岐駅は野幌と夕張本町を結んでいた夕張鉄道の駅で、大正15(1926)年10月14日に開業した。「二岐」は「二股」と同義で、道や川が二手に分かれるところを意味する。駅跡の東方では阿野呂川と冨野川が合流しており、二つの川に沿って走る道が二手に分かれている。「新」を冠したのは函館本線の二股駅と区別するためだろう。駅跡には夕鉄バスと中央バス、二つの会社のバス停があるが、中央バスの方は「新二股」を名乗っており、読みやすいように後から漢字を変えたようだ。

駅舎(旧ホーム側)
駅舎(旧ホーム側)

駅跡に残っていた駅舎は昭和29(1954)年頃に建てられたもの。豪雪地帯の建物に多く見られるギャンブレル屋根に、対になった二つの丸窓と個性あふれるデザインだった。二つの丸窓とそれに挟まれた四角い縦長の窓は、顔のようにも見える。

内部
内部

駅舎は廃止後も炭鉱事務所や社会福祉法人などとして使われていたそうだが、近年は使われておらず廃墟と化していた。割れた窓から内部を覗いてみると窓口の跡などが確認できた。新二岐駅と平和駅の間には栗山と夕張を隔てる険しい峠越えの区間があり、機関車がけん引できる貨車の両数にも制約があったことから、新二岐駅では貨車の解結も行われていた。そのような事情を考えると、この駅舎内ではかつてかなり多くの駅員が働いていたのではないだろうか。

改札口跡
改札口跡

昭和9(1934)年4月1日から昭和40(1965)年6月19日までの約30年間、新二岐駅からは角田炭鉱までの4.6キロの専用鉄道が分岐していた。炭鉱からの石炭を運ぶための鉄道だったが、旅客輸送も行っており、昭和24(1949)年には電化されて、旭川市街軌道からやってきた路面電車2両が活躍していた。この電車は昭和40(1965)年2月の火災で焼失してしまい、運行を休止。住民からは復活を望む声があったものの、既に石炭産業自体が斜陽化していたことから、復活することなく廃止されてしまった。専用鉄道の分岐駅だったため、駅構内は広かったものの、駅舎以外に残っているものはなく、草に覆われた空き地が広がっているだけだった。

駅舎
駅舎

石炭産業華やかりし頃の姿を留める駅舎は、昭和50(1975)年4月1日廃止後も残り続け、他の駅が撤去された後は夕張鉄道の歴史を今に伝える貴重な存在だった。廃止から48年が経った夕張鉄道の遺構は今では数えるほどしか残っておらず、駅舎で現存するのは継立(つぎたて)駅のみとなっている。

鉄道ライター

駅に降りることが好きな「降り鉄」で、全駅訪問目指して全国の駅を巡る日々。

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