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初代静岡県知事・関口隆吉の銅像と橋上化で消える駅舎 東海道本線 菊川駅(静岡県菊川市)

清水要鉄道ライター

言わずと知れた日本の大動脈・東海道本線。沿線に都市が連なっており、利用者が多い駅ばかりが続く関係か、静岡県内では全41駅中実に24駅が橋上駅となっている。旧来の地平駅舎は橋上化によって数を減らしつつあるが、年内にもまた一つ消える予定だ。菊川市にある菊川(きくがわ)駅がそれで、橋上化工事の進展によって12月下旬にも仮駅舎に移行する予定である。

駅舎
駅舎

菊川駅は明治22(1889)年4月16日、静岡~浜松間の開業に伴って「堀ノ内(ほりのうち)」駅として開業した。当時の所在地は小笠郡西方村で、開業15日前の4月1日の町村制で西方村と堀之内村が合併してできた村だった。面積が大きく人口も多い西方村が新村名に採用されたものの、駅が堀之内にできると二つの旧村の力関係は逆転、昭和3(1928)年1月1日の町制施行時には小笠郡堀之内町に改称した。駅開業から4か月後の8月1日には堀ノ内駅と池新田(現:御前崎市)を結ぶ城南馬車軌道(堀之内軌道)が開通しており、駅は御前崎方面への乗換駅としても栄えていた。堀之内軌道は昭和10(1935)年12月4日に廃止されている。

堀之内町は昭和29(1954)年1月1日に周辺4村と合併、町内を流れる川の名にちなんで小笠郡菊川町となった。駅名も昭和31(1956)年4月10日に「菊川」に改称されている。菊川町は平成17(2005)年1月17日に小笠町と合併して市制施行して菊川市となり、菊川駅はその代表駅となったが、市内には菊川駅以外の鉄道駅は存在しない。

改札口
改札口

菊川駅の駅舎は昭和41(1966)年4月に建てられた鉄筋コンクリート造二階建てで、国鉄時代の少し大きな駅といった雰囲気を色濃く残している。温暖な静岡らしく造りは開放的だ。分割民営化直前の昭和62(1987)年2月10日にはみどりの窓口も開設されている。

駅舎内
駅舎内

改札口横にはベルマートキオスクが入居していて便利だが、一方で待合所の設備は駅の規模の割に充実していない。列車本数が多い区間なので、あまり駅に乗客が滞留することを想定してないのだろう。

ホーム
ホーム

ホームは2面3線。駅舎側の1番線に発着するのは早朝にある当駅始発の列車などごく一部のみで、ほとんどの列車は下り浜松方面が2番線、上り静岡方面が3番線に発着する。

駅舎(ホーム側)
駅舎(ホーム側)

駅舎は高度成長期のものだが、ホームは明治時代開業当時のもので、地層のように積み重なった最下層にはレンガ積みが残っている。令和7(2025)年度に予定される橋上駅舎使用開始後もこのレンガは残り続けるだろう。

初代静岡県知事・関口隆吉
初代静岡県知事・関口隆吉

駅前には初代静岡県知事を務めた関口隆吉(せきぐち・たかよし)の銅像が令和2(2020)年1月17日に建立された。関口は今川氏の一族にあたる関口氏(徳川家康の正妻・築山殿の実家)の子孫で、江戸時代は徳川慶喜に仕える幕臣だった。明治維新後、慶喜に付き従って静岡県に移住して牧ノ原台地の開墾を行い、明治政府に出仕してからは各地の県令を務めた。第3代静岡県令となってからは治山治水事業に邁進し、地方官官制公布によって静岡県知事となる。東海道線の建設と堀ノ内駅の設置にも尽力したが、明治22(1889)年4月11日、公務で名古屋へ向かうために東海道線の試運転列車に乗車していたところ、安倍川付近で衝突事故に遭遇。傷口から破傷風に感染し、道半ばの52歳で無念の死を遂げた。東海道線の開業はそれからわずか5日後の4月16日のことである。東海道線や堀ノ内駅(菊川駅)の開業を見ずに逝った関口だが、近年はその功績が注目されて地元では再評価が進みつつある。関口の銅像はこれからも変わりゆく菊川の街を見守っていくことだろう。

鉄道ライター

駅に降りることが好きな「降り鉄」で、全駅訪問目指して全国の駅を巡る日々。

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