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特急街道を支えた金沢総合車両所のあった鉄道の街 北陸本線 松任駅【後編】(石川県白山市)

清水要鉄道ライター
金沢総合車両所松任本所

白山市の代表駅で一部の特急が停車する松任(まっとう)駅。鉄道ファンには北陸地方で活躍する車両の検査を一手に担う金沢総合車両所松任本所(通称:松任工場)の所在駅としてその名を知られていた。後編の記事ではその松任工場をはじめ、駅周辺を紹介する。

松任工場への引き込み線(左)
松任工場への引き込み線(左)

松任工場は昭和10(1935)年10月28日に金沢駅隣接地から移転してきたもので、当初は名古屋鉄道局松任工場を名乗っていた。北陸本線で使用される機関車・客車をはじめ、富山港線の電車や時代の変化で登場した気動車や交直流電気機関車、交直流電車など様々な車両の修繕を手掛けており、80年以上に渡って北陸の鉄道を支え続けた。その中には特急「はくたか」に使用されていた北越急行所属の681系・683系や並行在来線を引き継いだIRいしかわ鉄道、あいの風とやま鉄道の車両も含まれている。

寸断された線路と廃止された踏切
寸断された線路と廃止された踏切

そんな松任工場だが、北陸新幹線の敦賀延伸に伴い北陸本線の金沢~敦賀間がJRから経営分離されるのに合わせて今年の3月15日で閉所となることが発表されている。ただし、工場としての役目は昨年9月27日の521系J6編成の全般検査出場を持って終了しており、11月25日には白山市内のホテルで閉所式が行われた。松任駅から工場へ繋がっていた線路は既に寸断され、道路との交差部分にあった踏切跡も真新しいアスファルトで舗装されている。

踏切跡から見た松任駅
踏切跡から見た松任駅

松任工場に出入りするために星の数ほどの車両が通ったであろう引き込み線にももう二度と車両が通ることはない。今後はレールや建屋も撤去されて跡地の再開発が行われるのだろう。ちなみにだが、橋上化前の北口駅舎は上写真左手の白いフェンスの辺りにあった。

D51 822
D51 822

松任工場の所在地でいわば「鉄道の町」だったことを記念するかのように南口駅前には蒸気機関車D51 822が展示されている。昭和18(1943)年2月9日に国鉄浜松工場で製造され、敦賀に新製配置。福井、糸魚川と転属しながらも四半世紀に渡って北陸本線で活躍し、昭和45(1970)年3月19日に福井で廃車となった。もちろん検査は松任工場で受けており、廃車後は縁の深い松任の地で保存されることとなった。当初は駅北広場に展示されていたものの、昭和59(1984)年5月10日に駅前緑地広場に移転、橋上化工事でも場所は変わらなかったようだ。

暁烏敏像
暁烏敏像

D51の隣には石川郡出城村(現:白山市)出身の僧侶で俳人の暁烏敏(あけがらす・はや)の銅像が建っている。親鸞の教えを説いた鎌倉時代の仏教書『歎異抄』の存在を世に広めて日本の思想界に大きな足跡を残した人物だ。

松任の出身者としては他に江戸時代の俳人・加賀千代女(かがのちよじょ)がおり、その句に多く詠まれた朝顔は松任のシンボルともなっている。

松任市役所の文字がかつての市名を伝える
松任市役所の文字がかつての市名を伝える

南口駅前には松任学習センタープララや松任図書館などの公共施設が入った建物があるが、その敷地の片隅には「松任市役所」と刻まれた石碑が残されている。平成10(1998)年9月28日に新庁舎(現在の白山市役所本庁舎)に移転するまでは当地に松任市役所があったのだ。合併により松任の市名が消えてから今年で19年になるが、今なお駅名として使われているためか松任の地名の知名度は消えた市名としては高いように思う。

松任明治洋風館
松任明治洋風館

松任は北陸街道の宿場町として古くから栄えた街だが、城下町としての歴史を持つ小松や金沢と比べると古い建物は少ない。そんな中でひときわ目を惹くのが松任ふるさと館(旧吉田家住宅)と松任明治洋風館だ。ふるさと館は明治から戦前にかけて活躍した実業家・吉田茂平の邸宅で、無料で一般公開されている。明治洋風館は明治40(1907)年に竹田産婦人科医院として建てられたもので、ギャラリーや集会所として使われている。

北陸新幹線延伸でますます注目の集まる石川県加賀地方。金沢や加賀温泉への旅のついでに少し足を延ばして松任を散策してみるのもいいだろう。

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鉄道ライター

駅に降りることが好きな「降り鉄」で、全駅訪問目指して全国の駅を巡る日々。

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