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道の駅あまるべが隣接!今も観光客を惹きつける余部鉄橋 山陰本線 餘部駅【後編】(兵庫県美方郡香美町)

清水要鉄道ライター
余部橋梁

日本海に面した集落に架けられた赤い橋脚の美しい姿で知られ、惜しまれつつも平成22(2010)年8月11日にコンクリート橋に架け替えられた「余部鉄橋」。架け替えから10年以上が経った今でもその橋は国内外の観光客を惹きつけてやまない。

現役当時の旧:余部鉄橋 平成18(2006)年10月8日
現役当時の旧:余部鉄橋 平成18(2006)年10月8日

そんな余部鉄橋は今から112年前の明治45(1912)年1月13日に完成した。着工は明治42(1909)年12月16日のことで、実に2年1か月に及ぶ難工事であった。山が海まで迫る険しい地形に鉄道を通すために造られた橋で、当時は鉄筋コンクリート橋の技術が国内ではそれほど発展していなかったことから、鋼製トレッスル橋が採用された。国内の技術黎明期ゆえに橋脚の鋼材はアメリカ合衆国ペンシルベニア州の工場で製造され、船で門司を経て余部沖まで運ばれてきて陸揚げされたという。

旧:余部橋梁
旧:余部橋梁

33万円の巨費と25万人の人員を費やし、2人の犠牲者を出して完成した余部鉄橋は近畿と山陰を結ぶ山陰本線の一部として長きにわたって山陰地方の発展に大きな役割を果たした。出雲大社への参拝客も山陰から大阪や東京へ向かう人々も車上の人として鉄橋の上を通過し、山陰で生産された農林水産物も貨物列車で鉄橋を渡って消費地へと運ばれていった。

旧:余部鉄橋
旧:余部鉄橋

そんな余部鉄橋だが、海のすぐそばという立地ゆえに鉄の腐食が著しく、地上からの高さもあって保守作業は困難を極めた。また、日本海から吹き付ける強い風は橋上の列車を危険に晒し、昭和末期には列車転落事故も発生している。橋梁直下の住民は列車の騒音だけでなく、部品や鉄粉、列車の便所から垂れ流される汚物、乗客が捨てたごみなど様々な落下物に悩まされ、鉄橋は様々な問題を抱えていた。架け替えの話は鉄橋の長い歴史の中で何度も起こっては消えていき、正式に決まったのは21世紀になってからのことである。

転落事故の慰霊碑
転落事故の慰霊碑

昭和61(1986)年12月28日13時25分頃、香住駅から浜坂駅へ回送中のお座敷列車「みやび」が強風にあおられて鉄橋から転落。橋梁直下の水産加工場を直撃して、工場の従業員5人と車内にいた車掌1人が亡くなり、車内販売員3人と工場の従業員3人が重傷を負った。重量のある機関車は転落を免れたが、事故後に機関士の上司である豊岡運転区長が自殺している。橋の完成以来74年で初めての惨事であり、この事故がきっかけとなって風速規制が強化されることとなった。橋が新しくなり、事故から40年近くが経った今でも橋の真下の慰霊碑は頭上の列車の安全運行を見守っている。

余部鉄橋「空の駅」
余部鉄橋「空の駅」

主塔と斜材により主桁を支える外ケーブル構造の「エクストラドーズド橋」を採用したコンクリート造の新橋梁は平成19(2007)年3月29日に着工、3年5か月の年月を費やして平成22(2010)年8月11日に完成。翌日から供用開始された。一方、役目を終えた旧橋梁は同年7月17日に役目を終えて、翌日から撤去工事が始まった。その一部は保存されて平成25(2013)年5月3日より展望施設・余部鉄橋「空の駅」として使用されている。

余部クリスタルタワー
余部クリスタルタワー

平成29(2017)年11月26日からは地上と直結するエレベーター「余部クリスタルタワー」が供用開始されている。このエレベーターによって急坂を登るしかなかった集落から餘部駅のアクセスは大幅に改善された。

「空の駅」の最先端部分
「空の駅」の最先端部分

「空の駅」の最先端部分は線路と枕木がそのまま残されており、フェンス越しにその様子を見ることができる。餘部駅開業以前の地域住民はこんな枕木を踏んで鉄橋を渡っていたそうだが、さぞ恐ろしい経験だったことだろう。

橋脚とクリスタルタワー
橋脚とクリスタルタワー

保存されている橋脚は3脚で、「空の駅」への転用のために改修された橋上部分と比べると比較的原型を留めている。下から見てもなかなかの迫力だ。

駅から集落への通路
駅から集落への通路

クリスタルタワーを使わずに餘部駅から集落へ降りる場合、車も通れない狭く急な坂を10分近くかけて下っていくことになる。駅の移転によって付け替えられた道だが、利用者にとっては大変な坂であることに変わりはない。観光客も地元住民も多くはクリスタルタワーの方を利用していることだろう。

一部保存された橋脚
一部保存された橋脚

一部の橋脚は足元の部分だけがオブジェとして保存されている。鉄橋に使われていた鋼材は鉄道総研や大学等で金属や錆についての研究材料として提供されたほか、ベンチや土産物の文鎮として使用されている。

保存されている橋桁
保存されている橋桁

道の駅あまるべの駐車場には橋桁の一部が保存されている。道の駅あまるべは平成24(2012)年7月8日開駅。土産物店や食堂、余部鉄橋についての展示コーナーがある。

道の駅あまるべ
道の駅あまるべ

余部を訪れる観光客は余部鉄橋の架け替えが決まった平成17(2005)年から急増し、最盛期の平成18(2006)年度には29万人を数えた。架け替えから10年以上が経った今でも観光客は多く、その多くは食事等で道の駅を利用しているようだ。列車で訪れる観光客だけでなく、道の駅に車を停めて訪れる観光客も多い。

かめだそら駅長の家
かめだそら駅長の家

「空の駅」には平成30(2018)年8月7日にケヅメリクガメの駅長「かめだそら」が就任した。元は余部出身・神戸在住の男性がペットとして飼っていたもので、当時4歳、甲羅の大きさは37センチ、体重4.4キロだった。9歳になった現在は甲羅の大きさ50センチ、体重18.6キロまで成長している。普段はクリスタルタワー下の小屋で暮らしており、9:30~10:30と15:00~16:00の一日二回の見回り時間に会うことができる。余部に行く際は見回り時間に合わせて行かれてみたほうがいいだろう。

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鉄道ライター

駅に降りることが好きな「降り鉄」で、全駅訪問目指して全国の駅を巡る日々。

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