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【戦時の献立】配給制が始まった日本で、いかに体力をつけるか?栄養料理『カナツぺ』昭和15年6月2日

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「もし戦時中に料理ブログがあったら?」

戦時中の料理をレシピに忠実に作り、その味や調理方法をブログ風に伝える『戦時の献立』

今日は昭和15年6月号の婦人倶楽部から、『鶏肝臓のカナツぺ』である。
鶏肝臓と書いて『とりもつ』とルビが振られている。
そうか、これで『とりもつ』と読ませるのか。
ふむふむ…
いや、そこじゃないだろう?
『カナツぺ』だろう?

現代では『カナッペ(ツが小さい)』と呼んでいるが、これはフランス料理だそうだ。
薄くスライスしたバゲットやクラッカーに、チーズやサーモン、野菜などがのせてあって、コースの前菜なんかに出される料理だ。

昭和15年、1940年の婦人雑誌に『カナツぺ』が登場していたなんて。最初は目を疑った。
しかも、ハイカラな海外料理として紹介されているわけではないから滅法、驚いた。
安くてどこでも手に入る材料で、手軽にできて、なおかつ栄養に富んだ料理をテーマにした『榮養経済料理二十種』というレシピ集。その末席も末席、19番目に、ちょこんと紹介されている。

作ってみたい…ただその一点で、今回この献立を選んだ。
なにしろ昭和15年。
今から83年前の『カナツぺ』なのだから。

〜昭和15年、世界ではどんな出来事が?欧州に広がるドイツの脅威〜

【5月末】
ダンケルクからイギリス軍が撤退。
ドイツ軍がフランスへ侵攻する過程で、英仏軍はフランス北部の港・ダンケルクに追い詰められた。ドイツ軍の勢いは止められず、英軍が撤退した。「ダンケルクの戦い」として有名。
【6月10日】
イタリアが英仏に宣戦布告
【6月14日】
ドイツ軍がフランスの首都・パリを陥落させる

ヨーロッパではドイツが猛威をふるっており、日本もその様子を虎視眈々と見つめていた。
イギリスやフランスなどの大国が弱体化すれば、その植民地である東南アジア諸国へ進出できる。

〜その頃、日本は?砂糖とマッチの配給制をスタート〜

南方へと戦力を振り向けたい日本は、昭和12年から続いていた日中戦争に一気にカタをつけるため、昭和15年5月に101号作戦を開始する。
首都・重慶への大規模な爆撃である。
日本軍はそれまでも一般市民を巻き込むような爆撃を行っていたが、より激しい絨毯爆撃を行うようになる。

攻撃の勢いを増す一方で、国内では締めつけを強めていく。
物の消費をおさえるため、昭和15年6月にとうとう配給切符制を始める。
まずは東京・大阪・名古屋・京都・神戸・横浜の六大都市で、対象になった物は砂糖とマッチだった。

砂糖とマッチの配給切符制の開始を知らせる「写真週報」(昭和15年5月29日号)
砂糖とマッチの配給切符制の開始を知らせる「写真週報」(昭和15年5月29日号)

これは当時の政府の広報誌『写真週報』だ。内容を見てみると、国民が砂糖やマッチの買い溜めに走らないよう必死である。
記事のタイトルは『マッチも砂糖ももう安心』

今度しかれる切符制度は物があるからできることで(中略)このマッチと砂糖は世帯数によって購買量が決定されますが、マッチはどんな小家庭でも、一ヶ月に少なくとも並型一包(小箱10ヶ入り)、砂糖は一人頭0.6斤の割合で買へるのですから、普通の家庭ならあり余る位の分量であり、まづまづ安心して暮らしてゆけるわけです。(「写真週報」昭和15年5月29日号)

世帯数と書かれているが、要は家族の人数によって量が決められているということである。
砂糖は15人家族までが一人当たり0.6斤(360g)。
家族が15人より多い場合は、超過人数一人につき0.35斤(210g)追加される。

そして、各家庭に配られた配給切符を持って店に行けば、決められた量の砂糖やマッチが買える。これが配給切符制である。

当時の一般家庭や店頭の様子(「写真週報」昭和15年5月29日号)
当時の一般家庭や店頭の様子(「写真週報」昭和15年5月29日号)

でも、一ヶ月360グラムなら、一年で約4.3kg
数字だけ見ると、確かにまずまず安心じゃないか?と思う。
しかし農水省の資料などを見ると配給切符制が始まる前年、昭和14年当時の日本人は年間で16.4kgの砂糖を消費していたようだ。
いままで使っていた砂糖が急に四分の一ほどに減らされるんだから、つらいだろう。

昔の人は濃いめの味が好きで、もともと砂糖を使い過ぎてたんじゃないの?なんてことも思ったが、大間違いだった。
令和元年の日本人は年間で16.2kg。糖質制限ダイエットや、代替甘味料がある現代でさえ、配給制が始まる前と同じくらいの量の砂糖を食べている。

当時の国民には、砂糖やマッチの次は何が配給制になってしまうのか?そんな不安がのしかかっていただろう。
だから今回の献立のテーマになっている「どこでも手に入る物で調理できて、なおかつ栄養豊富」というのは、当時の人々にとっては関心が高かったであろうと思う。

というわけで『鶏肝臓のカナツぺ』である。
果たしてどのような作り方で、どんな味なのか?

◇ここから先は、昭和15年6月2日だと思ってご覧いただきたい

昭和15年6月2日、日曜日。日中ずっと雨が降っていた。
今日は家内の婦人雑誌からとりもつのカナツぺを作る。
カナツぺとは、これまで一度も食ったことがない。
一体如何なるものかという興味もあったが、家内が最近めまいをうったえるので、とりもつを食べさせようと思った次第である。
どうもここ二、三年、梅雨が近づくとめまいがすると言う。
念の為、とりもつで血を増し体力をつけるべし。
献立にも、この料理は「病院で実行している栄養料理」であると書かれている。
近頃の病院はこんなハイカラな食い物を出すらし。
たまげた話なり。

〜材料(5人分)〜

  • 食パン 5枚(厚さ1cmほど)
  • 鶏肝臓(とりもつ) 110g
  • たまねぎ 小さい物を1個
  • マヨネーズ 大さじ8
  • バター 適宜
  • 塩・コショウ 適宜

〜では、こしらえていこう〜

まず玉ねぎはたっぷりと。
5人前で、小さいもの1個をみじん切りにする。

次にこの玉ねぎをバタで炒め、塩胡椒で味をつけたら、フライパンから出しておく。

次は主役のとりもつだ。
30匁(110g)用意し、水で洗ってから使う。

これもバタで炒め、塩胡椒で味をつける。

中まで火が通ったら、すり鉢に入れてよくすり潰す。

献立には『裏漉しにかけると一層結構』だと書かれているが、草臥レそうだからやらない。

すり潰したら、先ほどの玉ねぎと、マヨネーズを大さじ8杯加え、よく混ぜ合わせる。

あとは三分(1cm)くらいの厚さの食パンを、こんがり焼いて、バタを塗って、三角に切って、もつを塗れば出来上がりである。

〜鶏肝臓のカナツぺの完成なり〜

では、いただきます。

マヨネーズのおかげか、とりもつの臭みが良い具合に抑えられている。
玉ねぎの辛味ともよく合うし、これは新しいパンの食い方であるナァ。
ちなみに家内はというと、実はとりもつが苦手なのだが、なんとか食えるようである。
ヨシヨシ、これなら体のことを考えて作った甲斐があったというものだ。

しかしだ。
やはりとりもつの臭みが気になるらしく、家内は思ったよりも食指が伸びない様子である。
手の動きが完全に止まった。
「マヨネーズと玉ねぎに合わせるなら、ツナ缶の方が美味しいね」と家内。

なんと!?
結局、私が大半を食うことになった。
そういう時は、黙って食っておれば良いものをと思う。

ごちそうさま。また美味いものを作ろうと思う。

〜動画もご覧いただけると有り難し!〜

一分の短い動画であるが、楽しんでいただけると有難し。

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映像をつくる人

左利きの映像製作者。気分転換は料理です。「左利き」とGoogle翻訳に入力してみたところ「Sake Drinker」と出てきたため、それに日々の記録という意味での「Diary」を足しました。お酒は好きですが、浴びるほどは飲みません。

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