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【戦時の献立】ぜいたく品が禁止になった日本で、有名デパートが考案した節米献立(昭和15年7月16日)

Sake Drinker Diary映像をつくる人

〜もし戦時中に料理ブログがあったら?題して『戦時の献立』〜

戦時中の料理をレシピに忠実に作り、その味や調理方法をブログ風に伝える『戦時の献立』。
今日は昭和15年7月号の婦人倶楽部から『卯の花御飯』である。

この時の婦人倶楽部は『東京八大デパート 戦時食糧献立の腕くらべ座談会』と題した献立の特集記事を掲載している。
これは東京の有名デパートの責任者が、それぞれ節米献立を持ち寄り、その作り方を紹介するという物だ。
しかもそれらは実際に食堂(今でいうデパートのレストラン)で客に提供しているレシピだという。

つまりこのレシピを参考に調理すれば、各家庭でデパートの食堂の味が気軽に再現でき、なおかつ米の節約にもなるということだ。

そもそもなぜ戦時中に節米料理が求められたのかについては、過去の『藤飯』の記事に詳しく書いているので、そちらをご参照いただきたい。

東京八大デパートとは?どんな節米料理が登場した?

八大デパートとして登場していたのは、以下の8つ。
伊勢丹、京浜デパート(現在の京急ストア)、白木屋(のちに東急百貨店と合併)、高島屋、東横百貨店(のちの東急百貨店東横店東館)、松屋呉服店、松坂屋、三越。

そして各デパートが持ち寄った献立と、出席した責任者の肩書きがこちらである。

  • 鯨肉ライス(伊勢丹 食堂主任)
  • 馬鈴薯御飯(京浜デパート 洋食調理主任)
  • 大豆飯(白木屋 和食調理主任)
  • 枝豆御飯(高島屋 和食調理主任)
  • カレー御飯(東横百貨店 料理長)
  • 大根御飯(松屋呉服店 和食調理主任・洋食調理主任)
  • 野菜ライス(松坂屋 洋食部主任)
  • 卯の花御飯(三越 和食調理主任)

デパートの食堂で提供している献立の割には、いたって質素な料理名が並ぶ。
調理方法もシンプルな物が多く、基本的には米と大量の具材を一緒に炊き上げるというスタイルである。
一部、調理法で例外的なものを挙げると…

  • 『鯨肉ライス』
    マッシュポテトとご飯を盛ったところに、クジラ肉と玉ねぎを炒めて乗せた料理。
  • 『野菜ライス』
    ニンジンやサヤエンドウ、玉ねぎと一緒にご飯を炒めたチャーハン。しかし野菜とご飯の分量が2対1となっており、米以外の物で腹がいっぱいになる献立となっている。
  • 『カレー御飯』
    炒めた玉ねぎと、干した鱈を水で戻したもの、じゃがいも、米、カレー粉を一緒に炊き上げる。今でいうビリヤニを彷彿とさせるが、これも具材と米の分量が1対1で、米以外の材料がとても多い。

しかも各献立の材料説明には、いちいち『米(外米混入)』と明記されている。

【日本米と外米】
日本米が不足していたため、昭和15年の春頃からは外米(輸入米)を混ぜて売られるようになった。
日本米に比べてパサパサしていることから、評判は良くなかった。当初は外米の割合が2割だったが、多い時は7割になる時もあったという。

八大デパートが節米アピールしたワケは?ぜいたく品も次々禁止に

昭和15年度は、日本史上初めて予算額が100億円を突破した年である。
主な要因は、長引く日中戦争で戦費が膨らみ続けていたためだ。
この年、政府は国民みんなで頑張って貯金せよという『120億円の貯蓄目標』を掲げている。その貯蓄はもちろん、武器や兵器を作る費用にまわすのだ。

さらに7月は『奢侈品等製造販売制限規則(しゃしひんとうせいぞうはんばいせいげんきそく)』が閣議決定され、施行された月である。
これは、戦争に必要のないぜいたく品の売買や製造を禁止するという物だ。

禁止令について伝える政府の広報誌『写真週報』昭和15年7月17日号
禁止令について伝える政府の広報誌『写真週報』昭和15年7月17日号

『ぜいたく品』とは例えば以下のような物である。

【禁止になった物】
宝石、象牙など
【一定の価格以上になると禁止になった物】
オーダーメイドスーツ、友禅染めなどの着物、腕時計、ワイシャツ、靴下、火鉢、椅子、果物、シャープペンシルなど

これはごく一部で、生活に欠かせないような物も、一定の価格以上のものは禁止となっていた。
これはもちろん、「戦争なんだから気を引き締めろ!」という意味合いがあった。
しかし当時の政府が考えていたのは、「いらぬ物を買わずに貯蓄に回せ!」ということである。
あの手この手でお金の使い道を制限することで、貯金以外にお金を回せないようにしていたのだ。

そんな中で婦人雑誌では、高級志向であるはずの有名デパートまでもが質素な節米献立を考案し、客に提供している。
当時この記事を読んで、「デパートの食堂がこの献立なら、うちで作る料理はもっと我慢しないと…」と考えた読者もいたのではないだろうか。

当時の婦人雑誌は戦意高揚にも一役買っていたから、そういう意図を込めて作られた記事だとしても全くおかしくない。
国民の節米意識を高めるだけでなく、ぜいたくを我慢させる一石二鳥の記事なのである。

というわけで『卯の花御飯』だ。
8つの献立の中でもかなり地味な方だが、その地味な献立が三越の調理主任の手にかかると、どのような料理になるのか?

◇ここから先は、昭和15年7月16日だと思ってご覧いただきたい◇

昭和15年7月16日、日曜日。朝は曇り、午後から晴れ。
今日も家内に代わって夕飯を作ったが、婦人雑誌に面白い記事を見つけた。
その名も「東京八大デパート、戦時食糧献立の腕くらべ座談会」なり。
その中から卯の花御飯を選ぶ。
これは今まで私が避けてきた献立である。

卯の花とご飯、この組み合わせによだれが出るであろうか?
私は出ない。どうにもうまくなりそうにない。
しかし今回の献立を紹介しているのは、あの三越なり。
つまり、ちょっとした期待から卯の花を選んだわけである。

五人前の材料はこちら。では、こしらえよう。

  • 米(外米混入)…一升(1400グラム)
  • 卯の花…百匁(380グラム)
  • 油揚げ…三枚
  • 味の素

まずは米の準備から。
五人前で一升だが、うちは2人だけだから、もちろんそんなに炊かない。

米を研ぐのはどうも苦手である。米粒が点々とザルの外に飛び出してしまう。
米を研ぐのはどうも苦手である。米粒が点々とザルの外に飛び出してしまう。

今回の記事を読んでいて、献立以外にも興味深い点があった。
座談会に精動の人間が3人参加しているのである。しかも冒頭で彼らが節米の重要性をとうとうと説く。
なんとも釈然としない。
こんな座談会、雑誌社か、精動か、一体どちらが持ちかけたのか。
しかし精動を取り込むとは、雑誌もしたたかである。
そうでもしなければ生き残れんということであろう。

【精動】
国民精神総動員本部の略。会長は当時の米内総理大臣。
国民全員の戦意高揚や戦争遂行に協力させることが目的で、昭和15年4月に発足された。

次に油揚げである。
米一升に対し、油揚げ3枚の比率で使う。これを千切りにする。

あとは、用意した材料を卯の花と一緒に炊くだけだ

米一升に対し、卯の花は百匁加える。

水は詳しい分量が書かれていないが、米と卯の花を足した量に合わせて水加減すれば良いだろう。
さらにここで、味の素があれば入れろとのことである。

卯の花御飯の完成なり!

いただきます。

卯の花のおかげか、米のしっとり感が増している気がする。
最近の米はしこたま外米が混ぜてあって口に合わないし、冷えるとボソボソして食えたものではないが、これなら良さそうである。
味も悪くない。
とはいえ、炊き込みご飯を想像して食うと味気ない。
塩をかけたり、味噌汁があったりすれば十分やれるだろう。

飯自体に塩気がない。せめて塩をぱらりとかけて食うのがオススメなり
飯自体に塩気がない。せめて塩をぱらりとかけて食うのがオススメなり

しかし本音を言うと、卯の花は卯の花で、飯は飯で、別々に食べたいところである。

ちなみに家内に感想を聞いてみたところ、「気にならない」と一言だけ返ってきた。

「うまい」でもなく「まずい」でもない。
なにやら、喉に小骨が引っかかったような言い方である。
よくよく聞いてみると、「卯の花は思ったより気にならないが、やっぱり米だけのご飯が良いね」とのこと。
全くもって同じ意見なり。

ごちそうさま。腹が満たされるだけ有り難いと思う。

動画も楽しんでいただけると有難し!

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動画に興味を持った方、なぜ Sake Drinker という名前なのか気になった方、Youtubeチャンネルを覗いて下さると有難し!
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映像をつくる人

左利きの映像製作者。気分転換は料理です。「左利き」とGoogle翻訳に入力してみたところ「Sake Drinker」と出てきたため、それに日々の記録という意味での「Diary」を足しました。お酒は好きですが、浴びるほどは飲みません。

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