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「生きている限り、自分が信じることに尽くすべき」90歳のドキュメンタリー監督の諦めない力

杉岡太樹 / TAIKI SUGIOKA

ドキュメンタリー映画監督

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ニューヨーク、マンハッタン。セントラルパークの西側、「アッパーウェスト」と呼ばれ、ユダヤ人が多く住むことで知られる閑静な住宅街に、90歳のドキュメンタリー監督のマンフレッド・カーシュハイマー(通称:マニー)は住んでいる。マニーは目と耳に障害を抱え、バランスを保って歩くことが難しくなっているが、決して弱音を吐かない。「この歳で映画を作ることに驚かれるが、簡単なことだよ。生きてる限り、好きなことに尽くすべきだ」。ドキュメンタリーひと筋、約70年のキャリアを経た今でも、その創作意欲は衰えることがない。ドキュメンタリー映画界切っての巨匠が挑む、新作撮影に密着した。

ドイツ、ザールブリュッケンに生まれたマニーがニューヨークに移り住んだのは1936年、5歳の時だった。ナチス政権から逃れる両親に連れられての亡命。記憶に残っているのは、ドイツから出港した船の上で見た光景だ。「船上で映画上映が行われていて、それが人生初の映画体験だった。シリアスな映画だったのになぜか笑いが止まらなくて、親が気を揉んで途中で席を立たされたんだ。」

マニーはやがてニューヨーク市立大学へと入学し、ある出来事が彼の人生を決定づけることとなる。教授の人種差別行為に反対する学内デモに参加したマニーは、馬に乗る警備隊の後ろを陣取る者に目を引かれた。何をしているのか疑問に思い、人混みをかきわけ尋ねると、カメラを手にした学生は「映画学部だ」と答えた。当時在籍していた化学学部に満足していなかったマニーは、映画学部長を務めていたハンス・リヒター(映画作家・画家)のもとを訪れた。

「リヒター教授、映画学部には入れますか?」
「入れる。だが、卒業後に仕事がない。」

この時の会話を忘れることはない、とマニーは笑う。

それでもマニーは残りの学生生活をかけて映画制作に没頭し、卒業後ほどなくして制作会社に就職。主に映像編集者として映画やテレビ番組に従事し、関わった作品は300を超えるという。しかし、チーム制で制作を進める商業映画では自分の考えやビジョンを作品に反映しきれないことに不満を覚え、1976年に商業映画の世界から去ることになった。以来、映画を教えることで生計を立てながら、自主映画監督の道を進んできた。2017年に定年で教壇を去るまで、指導にあたったのはニューヨーク市立大学、コロンビア大学、ニューヨーク工科大学、そしてスクールオブビジュアルアーツと名だたる大学ばかりだ。マニーが生徒に必ず伝えてきた言葉がある。

「自分のビジョンを信じて、自身を投影させた映画を作ること」。

商業主義とは距離を置きながら、大きな資本に頼らず創作を続けてきた。

映像と録音を同期することも難しいフィルム撮影の時代から活動してきたマニーだが、2000年頃に起きたデジタル機材の勃興がキャリアの転機となった。自己資金や助成金に頼った自主映画監督にとって、フィルムによる撮影・編集は非常に重荷であったが、デジタル機材やコンピューター編集ソフトの流通によって、マニーの創作ペースは大きく加速した。「かつてはフィルムを一本現像するのに、編集のエフェクトをひとつ施すのに大変な費用がかかっていたものが、今じゃクリック一つだ。デジタルほど素晴らしいものはない」と語気を強める彼の作業部屋の中心には、フィルム映写機「ムビオラ」が鎮座する。

また、移住以来一貫してニューヨークに住み続けてきたマニーは、ニューヨークで暮らす多様な人々の表情や暮らしぶりを生き生きと捉えることで知られてきた。自身のルーツでもある、ナチスから逃れたユダヤ人同胞へのインタビュー映画『We were so beloved』(1985年)や、スプレーで描いたグラフィティであふれかえる地下鉄車両を撮った『Station of the Elevated』(1980年)などが高く評価され、MoMA(ニューヨーク近代美術館)やBAM(ブルックリン音楽アカデミー)などで回顧上映が行われてきた。2020年に発表した『Free Time』はニューヨーク映画祭に正式招待、その後ニューヨーク随一のアートハウス系映画館・フィルムフォーラムにて公開された。

そして、2021年夏。1万人以上が亡くなったコロナ禍からニューヨークの街が立ち直ろうとする中、マニーは新作の制作にとりかかった。感染症対策で妻のグロリアから地下鉄に乗ることを止められ、徒歩で病院に通う時以外は外出を控えている。しかし、映画を制作するにあたり、8日の撮影期間に1500キロ以上の距離を移動し、7人の友人たちを訪ねてインタビューを敢行。撮影クルーには2007年制作の『Spraymaster』以降すべての作品で撮影を務める盟友のザック・アルスポーをはじめ、彼の元教え子たちが集まった。仲間に献身的に支えられながら、映画監督のトム・ハーウィッツやトニー・ブーバ、そしてスクールオブビジュアルアーツ前映画学部長リーブス・レーマンといった旧知の被写体たちに「家族との関係」についてのデリケートな質問を投げかけ、自身20作目にあたる『SONS』の撮影を完遂した。この作品は、2022年の完成が予定されている。

マニーは新作『SONS』に続く次回作を既に見据えている。コロナ禍で編集作業に向き合う時間が増えたことで、創作ペースはむしろ早まっていると言う。大都会を生き抜いてきた90歳の表現者は、こう淀みなく言い切った。

「遠回りしようが、セオリーに反していようが構わない。生きている限り、自分が信じることに尽くすべきだ」

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