二・二六事件 あのラジオ放送原稿が都内の愛宕山に?
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今日2月26日は、二・二六事件が起きた日。昭和初期に、陸軍の青年将校が、政府などの要人を次々に襲い、クーデターを企てた日です。結局4日間で鎮圧され、勢力のバランスが崩れ、日本は戦争に向かうことになります。
この鎮圧に一役買ったのは、ラジオ放送でした。
愛宕山(あたごやま)は、標高は25.7mですが、天然の山としては、東京23区で1番の高さを誇ります。
アクセス 神谷町駅、虎ノ門ヒルズ駅から徒歩5分(または虎ノ門駅、御成門駅から徒歩8分)。
愛宕(あたご)神社の出世階段は、かつての切り立った崖の名残です。台地のへりにあり、江戸時代には、見渡す限り東京湾や房総半島が広がる、絶景の場所でした。
見晴らしの良い崖上の立地は、信仰や観光と結びつくもの。愛宕神社は、徳川家康が、1603年に江戸に幕府を開くにあたり、防火の神様として創建したものです。
また、明治22年には、宿泊施設を兼ねたレストラン「愛宕館」が建てられ、多くの人が、見晴らしと食事を楽しんでいます。
関東大震災で「愛宕館」は倒壊してしまいましたが、1925年、東京放送局が建てられ、日本初のラジオ本放送が開始されました。その標高から、ラジオ局には最適の場所だったのです。
現在は、NHK放送博物館となっています。
3階には、二・二六事件において、投降を促した放送の原稿が残されていいます。
「兵に告ぐ」(2月29日8時48分 ラジオ放送)
敕命(ちょくめい)が發(はっ)せられたのである。
既に天皇陛下の御命令が發せられたのである。
お前達は上官の命令を正しいものと信じて絶對服從(ぜったいふくじゅう)をして、誠心誠意活動して來(き)たのであろうが、お前達の上官のした行爲は間違ってゐたのである。(削除)
既に敕命天皇陛下の御命令によってお前達は皆原隊に復歸(ふっき)せよと仰せられたのである。
此上(このうえ)お前達が飽くまでも抵抗したならば、それは敕命に反抗することとなり逆賊とならなければならない。
(中略)
今からでも決して遲くはないから直ちに抵抗をやめて軍旗の下に復歸(ふっき)する樣にせよ。
(後略)
ラジオから流れた音声は、決起した陸軍の青年将校らに、即座に確実に伝わることとなり、歴史を動かしました。同時に、放送の威力を世に知らしめることとなりました。
終盤に登場する「今からでも遅くない」という言葉は、この年の流行語になり、現在でもよく使われています。
NHK放送博物館では、二・二六事件のラジオ放送の原稿のほか、テレビ放送開始時に使われたテレビなど、興味深い展示が多くあります。
NHK放送博物館(アクセス)
午前10時~午後4時30分(入館は午後4時まで)
毎週月曜日休館(祝日除く)
※2023年2月現在の情報
愛宕山やNHK放送博物館直下の愛宕隧道(すいどう)は、東京都23区内にある、唯一の道路山岳トンネルと言われています。
切り立った崖の景勝地が、徳川家康の目に留まり神社となり、観光施設、放送局を経て、現在は博物館が見守る静かな場所です。機会があれば、訪ねてみていかがでしょうか?
さて、二・二六事件で、陸軍の青年将校が立てこもった料亭は、ホテルニュージャパンを経て、現在はプルデンシャルタワーという、防火自慢のビルになっています。愛宕山(愛宕神社)やNHK放送博物館からは、徒歩15分弱の立地です。
愛宕山ともども、土地に歴史が積み重ねられてゆく、不思議なさまを感じられます。
放送博物館は、ブラタモリで取り上げられています。
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