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どうする家康 大坂の陣・激闘の痕跡がいまも残る「自然堤防」とは?

とらべるじゃーな!穴場ずらし旅、愛好家

関東圏の穴場ずらし旅の愛好家、とらべるじゃーな!です。

「どうする家康」では、大坂冬の陣で、豊臣と徳川の最後の戦いが始まりました。大坂冬の陣の緒戦の1つとして、どうする家康でもテロップで示されたのが「今福の戦い」です。

引用 柏原市(http://www.city.kashiwara.osaka.jp/)、大坂の陣絵巻(https://tikugo.com/)
引用 柏原市(http://www.city.kashiwara.osaka.jp/)、大坂の陣絵巻(https://tikugo.com/)

北へ伸びる上町台地の先端に立つ大坂城は、豊臣の頃は、周囲に川や湿地帯が広がり、鉄壁の守りを誇りました。守りが堅い、大坂城の北東に徳川方が果敢に攻め込んだのが「今福の戦い」です。

大和川の支流(かつては現在より北に枝分かれしていた)が作った、狭い自然堤防の上で、徳川方と豊臣方が対峙しました。

京橋駅(JR、京阪、Osaka Metro)のそばには寝屋川が流れています。ちょうどビルの方向が、大阪城です。この寝屋川は、北岸で今福の戦いが起きた、かつての大和川の支流と重なる位置を流れています。

京阪の京橋駅の南西には、商店街があります。この一帯が今福の戦いの舞台の1つ、自然堤防の上です。自然堤防とは、上流から運ばれてきた砂などが、岸に沿って堆積した微高地です。

自然堤防の北側を歩きます。京橋らくだやという飲食店辺りから西(お店を背に左)へ歩き始めると、分かりやすいです(Yahoo!マップ)。

このように、下へ降りる階段があります。

階段を降りたところです。自然堤防の高まりが感じられます。

この狭い自然堤防上で、徳川方約1500人、豊臣方約3000人の兵が激突しました(今福の戦い)。しかしこの地形では、互いの列の先頭がやり合うだけで、なかなか勝敗はつきません。徳川方は引き下がらざるを得ず、豊臣方が防衛に成功した形となりました。

今福の戦い
大坂冬の陣の緒戦の1つ。大坂城の北東、かつての大和川支流の北岸の今福村、南岸の鴫野村は低湿地や田んぼになっており、軍隊が展開できるのは堤防上のみ。徳川家康は今福村に付け城(前線基地)を築くため、今福・鴫野の両柵の奪取を命じ、今福へは佐竹義宣指揮下の兵1500を送った。
堤防上で膠着状態のなか豊臣方の援軍もあり、佐竹義宣は大和川対岸にいた上杉勢に救援を求めた。上杉景勝、堀尾忠晴、榊原康勝の軍勢が大和川の中州まで出て銃撃を加え、豊臣軍は撤退。

大坂城防衛の弱点となっていた南側は、真田丸が守りました。

どうする家康 大坂冬の陣「真田丸」の場所にはどう行くの?

今福の戦いの自然堤防は、ブラタモリで紹介されたものです。同番組では、真田丸や空堀の名残も紹介しています。

【ブラタモリ大阪城と真田丸】ロケ地・全ルートを写真で紹介!#54(とらべるじゃーな!)

穴場ずらし旅、愛好家

関東周辺の穴場★ずらし旅スポットを紹介。日本テレビに旅の専門家として出演(2023年4月)。Yahoo!ニュースエキスパート公式旅行ライター(2023年7月企画賞)。JTB運営・地理旅行検定取得済み。東京都在住、旅行歴500泊以上。

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