Yahoo!ニュース

大人の日帰りウォーキング アラフィフ2人が1日20kmの歩く旅に挑戦する話 楽しく歩くポイントとは?

わか子ライター

おばさん2人が1日20kmを歩く話(後編)

そろそろおなかが空いてきたね。

私たちアラフィフ女子2人、簡単に言うとおばさん2人組は、朝9時を過ぎた頃に日帰りウォーキングに出発した。今日の目標は1日20kmであり、ここまで歩いた距離は約9km。

時刻は12時少し前。ウォーキングは歩くだけなのに長い距離を歩くとかなりおなかが空いてくる。今日は1日かけて運動をするので、できれば途中で美味しい物でも食べたいと思うけれど、街道歩きではなかなかそれが難しい事が多い。街道沿いにお店がなかったり、タイミングがよく入れなかったりすることもある。何回かそういう経験をしたことがあるので、お昼をお店で食べようとするときは、念入りに計画をしておく方が良い。そうそう、場所によってはコンビニもなかったりするので、水分は多めに持参する方が良いし、おやつ程度の食べものも必ずバッグに入れておくのも大切である。

埼玉県にある中山道2つ目の宿場の蕨(わらび)宿を出発し、私たちアラフィフ2人は先へと歩いている。今日は、お昼は持参するように計画した。行程がどうなるのか読めなかったからだ。お天気はすこぶる良いという訳ではないけれど、外で軽く食事をしても大丈夫そうな空をしていた。

もう少し歩いたら一里塚の史跡があり、公園もあるのでご飯を食べて休憩しようか。

江戸から5番目の辻(つじ)の一里塚

30分程を歩くと、江戸から5番目の一里塚がある。辻の一里塚と呼ばれており、現在では石碑が建てられている。すぐ上に東京外環道は走っており、何時は通り過ぎるだけ場所に立ち寄れるのは歩く旅にだいごみの1つだと言える。

中山道 江戸から5番目の辻の一里塚
中山道 江戸から5番目の辻の一里塚

小さな児童公園があるのでおばさん2人はベンチに座って休憩した。私はおにぎり、由美子さんはコンビニのパンを食べる。長い時間、長い距離を歩くときの昼食は、がっつり食べるとその後を歩くのがつらくなることもあるので、おなかにたまりすぎない軽食のほうが良いと感じている。マイボトルで持参した温かいお茶がとても美味しい。食事は軽食だが、水分はたっぷり補給してすぐに出発する。

焼き米坂

旧街道を歩き、国道17号を渡った先で交差点を斜めに入って先で、小高い坂を上る。坂は焼き米坂と言う名前が書かれている。正式名は浦和坂と言うらしい。当時、この辺りで焼き米を売る店が多くあったという。焼き米とは浅草の名物の雷おこしのルーツともいわれているが、当時の焼き米は籾(もみ)のまま米を焼いて殻をとって売られている保存食であったという。米の保存食は武士が戦場で食べるために発達したと言われているが、天下泰平の江戸時代では旅人の非常食として重宝がられたという。

調(つき)神社

焼き米坂を上り、歩き進むと右側に立派な神社がある。調神社と書いてあるけれど、読み方が分からない。「ちょう神社」じゃないよね。

調神社(さいたま市浦和区岸町3丁目)
調神社(さいたま市浦和区岸町3丁目)

一緒に歩いている由美子さんは神社やパワースポット好きであり、すぐに答えてくれた。「つきじんじゃ」って読むのよ。ここは、いつか参拝したいと思っていた神社で、狛犬が「兔(うさぎ)」で、とても珍しいのよ。こんなところにあったなんて、今日はとてもラッキーな日だわ。しかも、今年(2023年)はうさぎ年だよね。参拝するしかない!

由美子さんは言い終わる前にすでに神社に向かっている。私も後を追うけれど、なんで調(つき)神社なのか、なんで狛犬がうさぎなのか分からずにポカンとしていた。

昔の税金だったみつぎ物を「租庸調(そようちょう)」と言った。この神社にみつぎ物をいったん集めて朝廷に運んでいたから、調神社だって。朝廷だから江戸時代よりきっと古いよね。だんだんと「調」が「月」になって、うさぎを使いとする月神信仰や、月待信仰になったそうよ。神様の使いのうさぎは狛犬だけじゃなくて他にも境内にうさぎがいるのよ。そして、鳥居がない神社ともいわれているのよ。そういわれると、確かに鳥居が…。

手水舎もうさぎ
手水舎もうさぎ

由美子さんは、御朱印帳を持ってくれば良かったと何度も言っていたけれど、私もマーク出来ていなかったので仕方がない。実は、私はちょっとした狛犬マニアであり、うさぎの狛犬を見られて結構嬉しかった。

浦和宿

調神社を出ると浦和宿に入っていく。浦和宿の規模はそれほど大きくなかったというが商家が多くあったという。今、宿場の痕跡はほとんど残されていないけれど、大正か昭和初期かと思われるような木造の古い家が街道沿いに面して残っている。にぎやかな駅前の真新しいコンクリートで造られたビルと入り交ざっている光景は浦和宿ならではだ。

当時の街道の幅は2代将軍徳川秀忠によって定められており、約9mであったという(山間部では4-7m)。古い建物が街道の両脇に残っているという事は、当時の街道の幅が残されている事になる。浦和駅の西側を通っている旧中山道で浦和宿であったこの辺りの道路は片側一車線の車道と、車道の両側に歩道が造られている。

中山道の街道の道幅で今も道路が使われている。

車道の幅は3.0m~3.5mとされているので、3.0mと仮定し、片側2車線なら6mとなる。1mの歩道を両側に造っても8m。当時の道幅で十分片側1車線の道路が造れたことに感心する。当時は参勤交代の大名行列や防火の目的もあったのだろうけれど、すごい。徳川秀忠が未来の車社会を考えて決めた事ではないだろうけれど、結果としては片側一車線の道路が造れる幅だったことには間違いはない。都心部で旧街道が残されている理由の1つだと思う。

もちろん、車社会が発達しすぎて、この辺りではもっと広い道路が必要になり、国道17号や、新大宮バイパスが造られているが、それは多すぎる交通量に対応するためである。しかし、国道17号でも原型は1934年(昭和9年)である。これまでは旧街道である中山道が主要道路として活用されているとして、300年近く使われていた幹線道路ということになるのか。

浦和宿 二・七市場跡(浦和宿は二と七が付く日は市場でにぎわった)
浦和宿 二・七市場跡(浦和宿は二と七が付く日は市場でにぎわった)

※中山道6番目の一里塚は不明

浦和宿を出ると次は大宮宿を目指す。この辺りはJRが走っていて、浦和駅を過ぎると北浦和駅、与野駅、さいたま新都心駅、そして大宮駅である。その間の距離は約6.3kmしかない。浦和大宮間を停まらずに走る湘南新宿ライン快速に乗れば、わずか6分であり、各駅に停まる京浜東北線に乗っても9分である。ちなみに料金は178円。その間を歩くと時速3.0kmで2時間強もかかることになる。

黙々と歩く浦和宿~大宮宿

しかもこの辺りは、さいたま新都心と言われているとおりで都市開発が盛んにおこなわれている。旧街道を歩くには見所が少ない。どちらかと言えば、真新しい街並みを楽しんで歩く場所になる。電車が便利なこの区間は電車で移動するのも1つの手段だと思うけれども、今日に限りは歩いていこう。ここまで15km近くを歩いてきたおばさん2人は、今日の目的の1つである1日20kmを歩く旅を楽しむことを選んだけれども、さすがに疲れも出始めているので、お互いの言葉数も少なくなり、黙々をと先へと歩いていく。

長距離を楽しく歩くポイントとは?

黙々と歩くのが街道歩きと私は思っている。街道歩きは楽しみを用意してくれているテーマパークではない。自分で楽しみを見つけ出すのが街道歩きのだいごみでもある。街道にある史跡や名所を楽しみ、歴史を学び、思いをめぐらす。当時を思い浮かべ、今と照らし合わせるのも楽しい。ちょっとした気づきで1人で感激することも多い。時代は移り変わっても、人間そのものはそんなに変わらない。そう思えば、歴史に学ぶことはとても多いと感じる。

どれくらいの時間を歩いただろうか。北浦和駅を過ぎ、与野駅を過ぎ、さいたま新都心駅の真新しい街並みと大きなショッピングモールまで来た。コンビニに寄ろうか。由美子さんも飲み物を買うと言い、2人はお店に入って買い物をする。少し、おやつも食べたい。

水分摂取は大切

黙々と歩くのって、結構きついね。由美子さんは言った。時計を見ると16時前になっている。今日のゴールにした大宮駅まではあと少しで、ここからゆっくり歩いても30分あれば着きそうな場所まで来ている。コンビニで買ったペットボトルの麦茶をごくごくと飲む。小腹もすいており、疲れた体に甘いバームクーヘンがとても美味しく感じる。由美子さんも喉が渇いたらしくスポーツ飲料を飲んでいる。

旅をするとおなかが空く。それを体験したかったのかもしれない。現代の電車や車などでする旅ではおなかが空かないと感じたことがある。しかし、歩く旅はおなかが空く。何を食べても美味しい。喉が渇くのでお茶がとても美味しい。

ウォーキングのような軽い運動は長い時間を続けるとどうしても水分不足になってくる。脱水になる前の水分補給はとても大切である。トイレを気にして水分摂取を控えようと思う人もいるかもしれないけれど、脱水に注意して水分補給をする方が良いと私は思っている。食事も、昼食をがっつり食べるよりも、ちょこちょこと食べる方が胃にも体にも負担が少ないように思う。私は麦茶を飲み干した。由美子さんももう少し頑張るという。

そうそう、少し先には氷川神社だよ。武蔵国一之宮だっけ。立派な神社だよね。由美子さんに声をかけた。

武蔵国一之宮 氷川神社 
武蔵国一之宮 氷川神社 

大宮の名前は氷川神社から起こっていると言われていて、中山道が造らた当初は氷川神社へ続く大ケヤキの参道が中山道であったという。しかし、街道の交通量が増えると神域を通ることは不謹慎だと言われ、大宮駅前を通る今の旧中山道になった。街道は旅人を含めて牛や馬も歩いていたと思うと懸念されても仕方がなかったと思う。

立派な鳥居だね。参道の厳かな空気も他とは違う感じがする。神社に参拝に行きたいけど、今日はもう無理。残念だけれど、これ以上歩けないからあきらめて素直に帰る。御朱印帳をもってまた出直すわ。

氷川神社の境内はすぐそこだけれど、今日は良く歩いたしね。今の疲れた足でお参りするより、元気な時に出直して参拝する方がゆっくり楽しめるしご利益もありそうだと私も思う。2人は旧中山道を直進して大宮駅に向かった。

大宮駅に着いた時間は16時23分。朝9時に出発したとして、休憩時間を入れて7時間20分。よく頑張ったと思う。街道歩きは史跡や資料館の見学などに時間がとられるので予定よりは必ず時間がかかる。いつもは1人で街道歩きをしているが、2人で歩くのも楽しかった。街道歩きのようなニッチな趣味では、誰かと楽しさを共感することが難しいけれど、その場所で感じたことを他人に話すことが出来るのがとても楽しかった。1人は1人の良さがあるけれど、複数には複数の良さがあることを、この歳になって学んだ1日だった。

2人は大宮駅から電車に乗り、途中でそれぞれの方向に乗り換えて帰宅した。

帰宅してから飲んだビールが美味しかったことは言うまでもないけれど、筋肉痛になったのもお約束だった。完。

今回の1日20kmを歩いたコース

Googleマイマップ
Googleマイマップ

Googleマイマップへのリンクはこちら<外部リンク>

【参考】
歴史と文化を訪ねる日本の古道・五街道2 中山道67次甲州街道45次:教育画劇
東海道・中山道 旅と暮らし:静岡新聞社
誰でも歩ける中山道六十九次上巻:日殿言成
ちゃんと歩ける中山道六十九次東:五街道ウォーク・八木牧夫

ライター

東京都在住のおばさんです。子育てが落ち着いてきた頃より趣味で登山や街道歩き等を始めました。歩く旅は大変だというイメージがありますが、歩く事で解る楽しみもあります。実際に歩く旅をして、歩く旅の楽しさをお伝えしたいと思っています。

わか子の最近の記事