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大人の日帰りウォーキング 夫から突然ありがとうと感謝の言葉 嬉しいけれど素直に喜べない妻の理由

わか子ライター

これが江戸城の石垣か。しかも当時の物が残っている本物だ。
もし、ブラタモリのタモリさんなら、あの石は何とか石で…、と話をはじめるだろうね。

江戸城外堀 四谷門跡(東京都千代田区麹町6丁目)
江戸城外堀 四谷門跡(東京都千代田区麹町6丁目)

土曜の夜に時々見るテレビ番組を思い出しながら、石垣の石も山から切り出して、ここまで運んできたのだろうと思う。江戸時代の武士には戦が無かったけれど、土木工事は大変だっただろうな。

四谷門枡形石垣に用いられた石材
四谷門枡形石垣に用いられた石材

由美子は石垣とその周りの風景を写真に収めたく、四ツ谷駅向かう交差点を渡る前に写真を撮った。そして、信号が青に変わるのを待ちながら、持参しているペットボトルのお茶を飲む。
そろそろ、おなかが空いてきた。よし君を見ると、よし君は気付いた様子で、何か食べようよ、そのお店はどう?と言った。
日本橋を出発してから2時間半ほどで、距離も5km程しか歩いていないけれど、おなかには正直でありたい。2人は駅に入っているチェーン店のカフェで軽く食事をした。

駅の反対側の下の方には取り壊された石垣の一部が残っている。江戸城外堀の説明版を読み、当時の石垣の様子を再現して写真に重ねて書かれているのを見ると、四谷門の様子をイメージしやすかった。※参考「江戸城外堀史跡展示広場―外堀と鉄道―JR東日本<外部リンク>」

JR四ツ谷駅 線路に架かる橋から見る江戸城外堀とJR総武線列車
JR四ツ谷駅 線路に架かる橋から見る江戸城外堀とJR総武線列車

この辺りは国道20号を歩いていくから道に迷わず歩けそうだから心配ない。そんなことを思いながら、全く関係がないのに、食べたばかりの昼食を思い出す。
チェーン店だけれど、久しぶりにカフェで食べたサンドイッチはとても美味しく、コーヒーも香りが良かった。自宅でいれるコーヒーもそれなりに美味しいけれど、カフェのコーヒーとは明らかに違う。たまにはカフェも良いなと思うのは、非日常を感じるのかもしれない。よし君は、がっつりとカレーを食べていたけれどね。

食事を食べた直後でペースは上がらないと思いながら、先に向かって歩いていくと、道端に史跡があった。
四谷大木戸と書いてある。大木戸って何だろう?

四谷大木戸碑(東京都新宿区四谷4丁目)
四谷大木戸碑(東京都新宿区四谷4丁目)

良人がスマフォで調べて、「江戸時代に街道に造られた簡易な関所である」と読み上げた。すぐそこが江戸城だから、手荷物検査の意味もあったのだろうな。東海道にもあったらしいよ。
交差点の向こうにも何か史跡がありそうなので、信号を渡る。四谷大木戸跡の説明と、玉川上水がこの辺りからは当時の水道管で地下に埋めて江戸に流していた内容が書かれていた。玉川上水は多摩川から江戸まで水を流していた江戸時代の上水道の1つであり、現在では東京都水道局が管理している。そして、江戸時代にはパイプはないので、当時の水道管は木や石で作られていたとある。
当時の工事は大変だっただろうけれど水の確保が出来たから、江戸末期には100万都市となり、人々が住むことが出来たのだろうな。
水がなければ大変だものね。しかも、多摩川から水を流してくるって、長いよね。由美子が答えると、良人は続けた。
多摩川の取水場所からここまで42kmだって。当時は手掘りをするしかないし、大変な労力だよ。

国道20号は新宿御苑の地下に潜っていくけれど、旧甲州街道はそのまま新宿駅方面に進んでいる。
新しい宿場だから新宿だったよね。宿場はどこにあったのかな?良人は言った。
内藤新宿はこの辺りから、新宿三丁目にある追分までだったみたいよ。由美子が答えると、
由美ちゃん、調べてくれていたよね、今日のコース。ありがとね。

え、
さらりと自然に、「ありがと」と言った言葉に良人の気持ちが込められているのに気付いた。由美子にとって予想外であり、すぐに反応できなかった。
結婚して約25年、夫婦をしてきた。有難うと言葉をあいさつや返事ではなく言われるのは、いい夫婦の日に行事として言われた事しか記憶にない。行事でも有難うと言われれば、言われないよりも嬉しいけれど、喜んでいるふりをしながら、何だか、感動とは程遠かった。
そもそも、行事があるから感謝するのはどうなのかと思う。ひねくれた考え方をすれば行事がなければ感謝さえされないのか、となってしまう。日本人は、思ったことを相手に伝えるのが苦手なのかもしれないけれどね。
ありがとうって言葉、うれしい。
せっかく、ありがとって言ってくれたのに無言の時間が長くなってしまった。何か言わないと。何か。素直な言葉で良いと自分に言い聞かせながら口から出た言葉は一言だった。

うん。
余計な言葉を言いそうだった。
よし君が今日のコースの下調べていなかったからちょうど良かったわ。
そんなことを言ってしまうと、真夏の炎天下であっても周りの空気を含めて一瞬で冷え固まってしまう。私の心は狭い…。

旧甲州街道は新宿通りと呼ばれ、道路の両側にはたくさんの店が立ち並び、外国人観光客を含む多くの人でにぎわっていた。2人には横に並んで歩けるスペースはなく、縦に並んで歩き進む。由美子は良人の後ろを歩きながら、お互いの顔が見えないことにホッとしていた。

自分が恥ずかしかった。
今朝、日本橋を出発してからすぐの事。甲州街道をまっすぐに進んで行くよし君の後ろを歩きながら、道を曲がるタイミングで声をかけず、必要な言葉も言わず。ガイドブックに書いてあった道を正しいとばかりに深く説明もしなかった。
先に進んで行ってしまうよし君に気付いていたのに、行き過ぎてから声をかけた。今日、歩く道はこっちだよと。これって、意地悪だよね。行き過ぎる前に声をかける方が良いに決まっている。性格が悪いよね。それから先は私が先を歩いていた。こっちよ、と言わんばかりに…。

この辺りだけど、
由美子は前を歩き進んでいる良人に声をかけた。
まっすぐに進まないの?何かあるの?
由美子は大通りから入っていく道を探すと、交差点から1本先にある右に入る道の先に目指すお寺が見えた。
ここに寄りたいの。お寺だけど、見たいお地蔵様があるのよ。
2人は人通りが少なくなった道を歩き進むと、かなり手前から大きなお地蔵様が見えてきた。大きなお地蔵さまだね。これは大きいよ。
江戸六地蔵と言うらしいの。私も初めて見るのよ。

太宗寺 江戸六地蔵三番目(東京都新宿区新宿2丁目)
太宗寺 江戸六地蔵三番目(東京都新宿区新宿2丁目)

江戸六地蔵は、江戸にある出入口の6カ所に造られたお地蔵様で、今でも5体が残っている。1708年から1720年に造られたので、320年程前になる。6体のお地蔵さまは、それぞれ1番から順番に東海道、奥州街道、甲州街道、中山道、水戸街道、千葉街道の出入口にある。しかし、6番目の江東区富岡にある永代寺のお地蔵様は明治元年の神仏分離令で取り壊されている。
甲州街道のお地蔵様か。こんな都会の真ん中に立派なお地蔵様。お寺の中には日本人よりも外国人観光客の方が多いのも納得できる。
旅の安全祈願にお参りしていこう。
お寺の境内は広く、他にも何かがまつられているお堂がありそう。

由美子は隣のお堂に向かい、中をのぞき込んで驚いた。
閻魔(えんま)堂だ。奪衣婆(だつえば)もいる。お堂の柱に、中を照らすライトのスイッチがあったので押してみた。奪衣婆の表情が怖い。
何だか、落ち込む。しかも、このタイミングの良さと言うか悪さと言うか。心がへこむ。
下調べをしていなかったよし君の事はともかく、そのことで、1人でイライラして、嫌な思いをさせるような行動をしたのは私。
そうだよね。閻魔様はみていたよね。奪衣婆も怒っているし。
閻魔堂の前でがっかりしていると、よし君がやってきた。中をのぞいて驚いている。
うわ、びっくりした。閻魔大王と奪衣婆か。それにしても、ここのは大きいから迫力があるよ。
今までは人口は増える一方だったけれど、これからは少子高齢化だから、閻魔大王の仕事は減っていくよね。でも、公務員だろうから給料はもらえそうだね。
よし君の話は突然に少子化問題になり、閻魔大王の仕事が減ることを心配している。私は、死んだ後の自分の罪が加算されたと心配になっているけれど、よし君は違うらしい…。

閻魔大王と奪衣婆(太宗寺)
閻魔大王と奪衣婆(太宗寺)

夫婦二人は、お寺を後にして旧甲州街道に戻り歩き進む。
途中、街道歩きの旅のお供にお団子を買おう、と言った良人の視線の先に追分団子と書いている和菓子屋さんがあった。よし君、こういうの見つけるの上手だよ。途中でおなかも空くだろうから買っておいても良いしね。
良人の足は迷いなく和菓子店の中に入り、あっという間に和菓子を買って出てきた。はやい!と、由美子が感じる時にはリュックの中に買った和菓子を押し込もうとしていた。
せっかく買ったお菓子がつぶれるよ。そう言いながら由美子は何だか楽しかった。

新宿三丁目に着いた。伊勢丹やマルイ、他にもお店が立ち並ぶ人通りが多い交差点に差し掛かり、人混みをかき分けるように進んで行く。
新宿三丁目は甲州街道から青梅街道の追分。つまり、分かれ道。史跡らしいものな残っていないようだけれど、追分マンホールがあるようなの。由美子はそう言うと、下を向きながら歩いていた。すると、新宿三丁目の交差点のBurberryの店舗の前。信号待ちをしている人々の足元に追分マンホールを見つけ、思わず声が出てしまった。
踏まれている。
人混みにもかかわらず、周りの人にも聞こえる大きな声だったので、本人も、良人もドキッとするけれど、一番ドキッとしたのは周りの人であり、その場所から足を退けてくれた。

新宿元標ここが追分(東京都新宿区新宿3丁目)
新宿元標ここが追分(東京都新宿区新宿3丁目)

由美子は焦っていると、信号は青に変わり周りの人々は交差点を渡っていった。何だか悪い事をしちゃった。気を付けないと。
ここからまっすぐに行くのが青梅街道だね。
よし君は笑いをこらえながら、話題を変えて言ってきた。
笑わなくても良いじゃない。そして、心の中ではおばさんだなって思っていると思う。でも、笑うよね、この場面。笑ってもらった方が良いかも。真面目に心配されるのも、どうしたものかと思うし。私も笑おうか。

真っすぐに伸びていく青梅街道から左に曲がり、甲州街道を進んで行く。
甲州街道は五街道なのに曲がっていて、脇街道になる青梅街道がまっすぐに伸びているのが気になって仕方がなかった。

※街道沿いの施設
新宿区立新宿歴史博物館(常設展示観覧料:一般300円)
〒160-0008 東京都新宿区四谷三栄町22−3
http://www.regasu-shinjuku.or.jp/rekihaku/

ライター

東京都在住のおばさんです。子育てが落ち着いてきた頃より趣味で登山や街道歩き等を始めました。歩く旅は大変だというイメージがありますが、歩く事で解る楽しみもあります。実際に歩く旅をして、歩く旅の楽しさをお伝えしたいと思っています。

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