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大人の日帰りウォーキング 渓谷に架かる美しい橋と古道を楽しむ 1日18kmを歩く日帰り旅

わか子ライター
猿橋(山梨県大月市猿橋町)

「あら、木の橋が架かっているだけに見えるのは私だけかしら」
由美子が言った。
確かに、自分の目にもそう見える。橋の幅は3mもあるだろうか。人が歩いて渡るには十分の幅であり、向こうから人が歩いてきても行き交うには十分の幅がある。

定年退職までカウントダウンに入っている良人と由美子夫婦はこれからの趣味の1つとして歩く旅を楽しんでいる。江戸時代に造られた五街道の1つである甲州街道を、江戸東京日本橋から日帰りで歩き繋げて今日で6回目になる。東京新宿にあるバスタ新宿より高速バスで移動して、山梨県上野原市にある談合坂SAより出発して約15kmの距離を歩いてきた。もちろん、2人ともたっぷり疲れている。

2人が眺めている木の橋の名前は猿橋という。江戸時代には名勝と言われている橋で当時では旅の名所でもあり、日本三奇矯の1つでもある。

日本三奇矯(構造が珍しい古い橋)とは、日本の古橋の中でも特に構造が変わっている珍しい橋であり、山口県岩国市の錦帯橋、山梨県大月市の猿橋、もう一か所は岐阜県木曽郡上松町の木曽の棧(かけはし)と言われている。木曽の棧は現在では道路が整備されているので橋は無く、石垣のみが残っている。

良人と由美子は猿橋を渡らずに、一度戻ってすぐ隣に架けられている新猿橋に向かった。隣の橋から猿橋の全景が観られるのではないかと考えたからだ。すると、
「すごいよ、この橋」
誰に話しかける訳でもなかったが、思わず口から言葉が出てしまう景色が目の前に広がっていた。

新猿橋より撮影
新猿橋より撮影

この場所を流れる桂川の流れによって浸食された谷。その谷は深く30mもの高さがあり、急な崖に挟まれている。その谷の幅が狭くなっている部分に架けられている猿橋は、両側の崖からせり出すように造られており、橋げたがない。深い谷に橋を架けるなら橋げたを造るのは困難であり、流れが速い川であれば増水時に流される事もある。そうすると、橋げたが無い橋をつくる方が効率は良い。通常なら釣り橋を作るのが一般的であるが、当時の日本には猿橋のような構造の橋を作る技術があった。
アーチのような形の橋は、両側の崖から出ている桟によって支える構造になっており、桟は片側で5本で、短い桟の上に徐々に長い桟が重ねられている。その姿は猿が連なっている様子に見えることから猿橋の名前になったという。猿橋のような刎橋(はねばし)構造の橋は江戸時代以前の奈良時代には作られている記録があるが、木造で現存する刎橋は無く、現在の猿橋も銅に木を張り付けて、江戸時代末期(1851年寛永4年)にあった橋を復元している。
「小さな屋根が可愛いわね」
橋を支える桟にはそれぞれに小さな屋根が作られており、その姿にも目が惹かれる。小さな屋根は風化侵食より守る役割をしているという。

猿橋は江戸時代の浮世絵師である歌川広重も描いている風光明媚な場所であり、旅人はこの場所を楽しみにして訪れた名所であった。桂川の深い谷と、透明感がある川面に空が映り込む景色を眺めながら、江戸時代の旅人も同じ景色を眺めたのだろうと感じる。

猿橋には江戸から24番目になる宿場の猿橋宿があった。猿橋の景色を楽しみに訪れる旅人も多く芝居小屋もあったと言われているが、現在では宿場の趣は残っておらず、旧甲州街道は猿橋を渡ると国道20号へ合流して先へと進んで行く。

交通量が多い国道20号の歩道を歩き進むと、日本橋より23里目の一里塚がある場所になる。資料によると、国道20号沿いにある阿弥陀寺の入り口に木柱が建っているとあるが、2人が訪れた日には木柱らしきものは見当たらなかった。後日、色々と調べていると興味深い内容があった。東海道中膝栗毛を書いた十返舎一九の作品の中に「金草鞋十二編身延道中之記」という作品があり、この中の挿絵に描かれている「青面金剛」の石碑がある塚が一里塚ではないかとあった。

阿弥陀寺の向かいにある石碑
阿弥陀寺の向かいにある石碑

一里塚の木柱があった阿弥陀寺の国道20号を挟んだ向かいに「青面金剛王」と書かれている石碑があるのは単なる偶然なのかもしれないけれど、何だか気になる。当時の絵に描かれている石碑はこの石碑なのだろうか…。(参考:国立国会図書館デジタルコレクション)

23番目の殿上の一里塚跡であろう場所を通り過ぎると、旧甲州街道は国道20号から脇道へと入っていく。しばらく歩くと、山の斜面を滑り降りてくる水力発電所の太い配水管を見上げて迫力を感じ、その脇から古道へ入り歩き進むと中央本線の踏切に出た。

旧甲州街道 JR中央本線の踏切で渡る
旧甲州街道 JR中央本線の踏切で渡る

「こんな場所を歩き進むのね」
人が歩いて通れる幅で残っている旧甲州街道の古道はJR中央本線を横断している。正確には古道をJR中央本線が横断しているのだが、踏切を作ってまで古道を残してくれているのは何だか嬉しい。そして、その小さな踏切には遮断機が無かった。遮断機のない踏切を渡る経験もかなり珍しく、踏切を渡る途中で写真に収めたくなる。旧街道を歩く旅をしている中で、歴史がある古道に文明が合わさった光景を観るのも楽しい。歩き疲れている足を止めて2人は思い思いに写真を撮り、先へと進んだ。

甲州街道 駒橋宿
甲州街道 駒橋宿

江戸から25番目になる駒橋宿を通り過ぎ、良人と由美子の2人は、やっと、本日の目的地であるJR大月駅に着いた。この日1日で歩いた距離は約18kmにもなり、足はパンパンになっていた。時刻は16時近くになっている。朝8時半頃に談合坂下りSAを出発し、途中で休憩もしながら約7時間30分であった。
「よく頑張ったよな」
良人が言うと、由美子は満足そうな顔をして答えた。
「そうね」
週末の夕方の駅は、電車を待つ多くのハイカーで賑わっていた。
大月駅か、特急に乗って帰ろうか。良人がそう思っていると、由美子の声が聞こえてきた。
「次の電車は高尾駅止まりで乗り換えだから、京王線で新宿だわね」
JR大月駅から新宿まで特急に乗ると、乗車券1342円+特急料金1020円で合計2362円になる。一方、高尾駅で京王線に乗り換えて新宿までの料金は合計で1003円。もちろん時間はかかるけれど、料金は圧倒的に安い。良人は由美子の意見に素直に従った。
浮いたお金で美味しい物を買って帰ろうよ。ビールも…。

今回歩いたコース 約18km

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ライター

東京都在住のおばさんです。子育てが落ち着いてきた頃より趣味で登山や街道歩き等を始めました。歩く旅は大変だというイメージがありますが、歩く事で解る楽しみもあります。実際に歩く旅をして、歩く旅の楽しさをお伝えしたいと思っています。

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