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大人の日帰りウォーキング 旅の楽しみ地元グルメ 明治から続く老舗の手作り 地域で愛される酒まんじゅう

わか子ライター
永井酒饅頭店

「塚場の一里塚と言うのね。江戸日本橋より18番目と書いてあるわ」

一里塚とは旧街道に一里=3.927kmごとに造られた塚である。日本では平安時代末期に造られたのが最初と言われているが、全国的に整備されるようになったのは江戸時代であり、江戸日本橋を起点として整備された五街道をはじめとする各街道に一里塚が作られている。

良人と由美子夫婦は旧街道を日帰りで歩き繋ぐ街道ウォーキングを楽しんでおり、江戸時代に造られた五街道の1つである甲州街道を歩き進んでいる。先ほど、街道沿いにあった神社で少し遅くなった昼食を軽く食べて休憩をし、再び歩き進んでいた。この日は、神奈川県相模原市にあるJR相模湖駅を朝7時30分頃に出発して、中央道談合坂SAにある高速バスの野田尻バス停までの約20kmを歩こうと計画している。街道を相模国から甲斐国に抜けると甲州街道の18番目になる一里塚があった。
その一里塚は塚場の一里塚と言い、旧街道沿いにある疱瘡神社の裏手に小高い塚として残っていた。由美子にとって一里塚を見つけるのは旧街道歩きの旅の楽しみの1つであり、早速、神社に参拝をして神社の裏側に残っているという塚を探しに行った。

疱瘡神社 萬治4年(1661年江戸時代初期)建立
疱瘡神社 萬治4年(1661年江戸時代初期)建立

「疱瘡神社か。珍しい神社だね」
疱瘡とは天然痘の事であり、感染力と致死率が非常に高かった為に大流行を繰り返して多くの死亡者が出ているが、1980年にWHOにより根絶宣言が出されている感染症である。1980年にはすでに生まれている良人と由美子の腕には天然痘の予防接種の後がしっかりと残っている。天然痘を祀る疱瘡神は悪神として恐れられ、日本各地に神事や行事として残っているという。疱瘡神は犬や猿、赤色を苦手だとされていたため、福島県会津地方の赤べこや、岐阜県飛騨地方のさるぼぼ等、子どもの郷土玩具に赤が使われているのは天然痘除けだとされているそう。
「神社が赤色をしているのも天然痘除けだろう」
そう言いながら良人は神社について書かれている説明版を読んだ。この疱瘡神社は越前国(福井県)の湯尾峠に由来し、疱瘡の神を招いて1661年に建立されたと書かれていた。神社が出来たのは江戸時代初期。当時では感染症にかかるとなすすべもなかった時代であり、人々は神に願うしか方法は無かったのだろう。当時では年に2回の祭礼の際に多くの人々で賑わったと書かれているが、天然痘が撲滅した現在でも地域の人々に大切にされている。

神社の裏では由美子が塚場の一里塚の写真を撮ろうとして角度を変えながら頑張っていた。塚はこんもりと盛り上がっている上に木が一本あるが、木の大きさから当時からの木ではないことがわかる。説明版には当時の塚の上にはカヤの木が植えられていたと書かれていた。一里塚は街道を挟むように2か所作られていただろうけれど、片塚のみ残っている。史跡として保護されているような様子はないが、それでも塚が残っているだけでも貴重である。

塚場の一里塚 日本橋より18番目
塚場の一里塚 日本橋より18番目

旧街道が国道20号に合流すると上野原宿に入ってくる。江戸時代の上野原宿は地域の経済の中心であり、農家は養蚕と共に織物業に力を入れて宿場の収入と共に地域を支えていた。街には商家が軒を並べて織物や野菜、干し魚、酒等を扱っていたと言われており、月に2回、市が開かれていたという。

当時の甲州街道は現在の国道20号であり、国道20号を挟むように間口を構えて商店が立ち並ぶ光景は、当時の街の区画に建物が建て替わって出来たのがよくわかる。しかし、現在の国道20号は、車やトラック等の交通量が多く自動車がせわしなく走っている。その国道20号でもある甲州街道の歩道を歩き進むと、酒まんじゅうのお店が何軒かあった。
「上野原の名物は酒まんじゅうなんだね」
何軒かのある酒まんじゅうのお店の中に、ひと際目を引く店があった。お店の外までお客さんが並んでおり、その雰囲気からすると並んでいるのは地元の人のように感じる。

永井の酒饅頭店(山梨県上野原市上野原1596)
永井の酒饅頭店(山梨県上野原市上野原1596)

「地元の人が並ぶお店なら間違いなく美味しいわよね」
良人と由美子も客の列に並んだ。2人は少し前に昼食を食べているが、コンビニで買ったおにぎりとパンだったので、まだ腹は6分目程度である。2人の胃袋は大喜びで「是非、酒まんじゅうを食べて」と言っていた。
先頭にいたお客さんが大量の酒まんじゅうを両手に抱えて店から出てきた。10個は入っていそうな箱を2個重ねて抱えている。列は先に進むと、2人の前に並んでいた地元の方であろうと思われるご夫婦が酒まんじゅうの注文を始めた。
「高菜が10個と、あんとみそを5個ずつ。そして、チーズと…。息子の家にも届けるから…」
やっぱり、このご夫婦も大量購入だわ。由美子はそう思いながら、上野原の人にとっての酒まんじゅうは、おにぎりやおやつ感覚で食べるソウルフードだと悟った。今の世の中、ファーストフード店やコンビニスィーツ等、美味しい物は手軽に手に入るようになったにもかかわらす、地元に愛される郷土料理であり続けているのだもの。

「どれにしようかしら」
良人と由美子はメニューを見ながら値段を見て驚いた。一個100円から130円程の値段はお買い得価格だわ。ドーナツやコンビニおにぎりでも1個150円以上なのにね。
「さっき、あんぱんを食べたから、みそとチーズにしよう」
お昼にあんぱん1個を完食していた良人に対し、由美子は、
「じゃ、私もみそ、そして高菜にしようかな、ブドウも良いし…」
「食べきれなくてもお土産に持って帰れば良いから、二個ずつ買おうか?」
良人と由美子夫婦は大学生の息子と三人暮らしで、近所におすそ分けをするような人もいない。1人3個の計算でも、9個が精一杯であるのが少し寂しい。
「高菜は、残り2個で売り切れですよ」
店のご主人はそう言うと、お昼ごろより売り切れが出始めてくると言い、それに加えて今日は大口の注文があったという。いつもよりはたくさん作ったと言われるが、大量に買うお客さんもいるので仕方がないのだろう。そして、この地域は米が採れない訳ではないけれど、山間部と言う土地柄であり主食に小麦を食べる習慣があると言い、酒まんじゅうはもちろん、煮込みうどんを食べる風習もあると教えてくれた。ほうとうも山梨名物だから山梨県は隠れたうどん県だよな。
「じゃ、残っている高菜の2個と、みそ3個、チーズとブドウを2個ずつお願いします」
「全部で9個、1040円です」

お金を支払って店から出ると、2人は紙の袋に入れてくれた酒まんじゅうを取り出してパクリと一口頬張った。良人はみそ、由美子はチーズ。
「おぉ、すごくモチッとして食べ応えがあるまんじゅうだよ。これは生地が美味しいね」
「まんじゅうの皮を食べるために具があるような感じがするわ。チーズも良くあって美味しい」
2人は、今食べている酒まんじゅうの主役は皮であり、この食べ応えが何とも言えなかった。さすがは小麦の食文化がある土地柄だ。これほどの食べ応えがある皮の饅頭を他ではなかなか食べられないだろう。

酒まんじゅう みそまん
酒まんじゅう みそまん

皮と言う言葉からは想像できない程の重量感に、皮と言うより生地と言うべきなのかもしれないとも思うが、そもそも、皮と生地の言葉の使い分けを知っている訳でもなかった。
それでも、この酒まんじゅうの主役は生地であり、中身のあんは生地をよりおいしく食べるように詰められているという事は理解できた。そう思いながら良人は手に持っていたみそが入っている酒まんじゅうを大きな口を開けてパックっとほおばった。重量感があり、もっちりとして噛み応えがある美味しい生地と甘辛い味のみそあんはとても相性が良くて美味しかった。

上野原宿 本陣門
上野原宿 本陣門

「上野原宿のルートインのビジネスホテルがある場所が脇本陣だったようだね」
そう言いながら良人は手に持っている酒まんじゅうの最後の一口を口の中に入れた。国道20号沿いに建っているビジネスホテルの周りを見てみたが、脇本陣跡であるような説明版のようなものは無かったが、本陣門は甲州街道より少し入った場所に残っていた。その本陣門は何とか探せたが、周囲の様子から個人所有の物でありそうなので、そっと写真だけを撮って先に進むことにした。

永井の酒饅頭店 公式HP
山梨県 上野原市上野原1596
営業時間 8:30~18:00 売れきれ次第終了
TEL 0554‐63‐0109
定休日 木曜日(祝日の場合は営業)月曜日(月一回のみ)、年末年始

甲州街道を歩く旅
今回の話:人生も旅も予定通りとは限らない 柔軟に対応する妻とあたふたする夫の夫婦旅
最初の話:妻がひとり旅を計画したら予想外の展開になった話
番外編:アラフィフ夫婦の歩く旅 あなたと越えたい峠越え

参考:歴史と文化を訪ねる日本の古道・五街道② 中仙道67次甲州街道45次 教育画劇
ちゃんと歩ける甲州街道 八木牧夫 山と渓谷社

ライター

東京都在住のおばさんです。子育てが落ち着いてきた頃より趣味で登山や街道歩き等を始めました。歩く旅は大変だというイメージがありますが、歩く事で解る楽しみもあります。実際に歩く旅をして、歩く旅の楽しさをお伝えしたいと思っています。

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