Yahoo!ニュース

大人の日帰りウォーキング 運動してお腹が空いて食べるおやつも美味しい 1日18kmを歩く日帰り旅

わか子ライター
旧甲州街道 鶴川宿

甲州街道で21番目になる犬目(いぬめ)宿に着くと、義民犬目宿兵助と書かれた説明版が目に入った。
何をした人だろうかと思いながら説明版を読むと江戸時代末期に百姓一揆をおこした人物だと書かれている。天保の大飢饉と商人の米の買い占めで苦しむ農民を助けるためと書かれているが、一揆は暴徒化してしまい、世に名高い天保の甲州一揆に発展してしまっている。天保の大飢饉は1833年(天保4年)から数年間続いた江戸四大飢饉の1つであり、犬目宿兵助が一揆をおこした翌年には大阪で大塩平八郎の乱がおきている。

犬目宿は標高540mの高地に造られた宿場であるが、1970年の大火で建物は焼失しており、現在では宿場であった雰囲気が残る山間の集落になっている。この辺りの宿場の中では一番高い場所である為、この先は山道を進んだ後に再び山の斜面を下ることになる。

宝勝寺と旧甲州街道(山梨県上野原市犬目)
宝勝寺と旧甲州街道(山梨県上野原市犬目)

もうすぐ定年を迎える、いや、すでにカウントダウン状態に突入している良人と、専業主婦の由美子夫婦は、これからの趣味の1つとして旧街道を日帰りで歩き繋げる旅を始めた。江戸時代に造られた五街道の1つである甲州街道を、江戸東京日本橋より歩きはじめて今回で6回目になる。今回は東京のバスタ新宿より高速バスで移動して、山梨県上野原市にある談合坂SAより歩きはじめた。約20km先のJR大月駅を目指している。

現在では県道に整備されている旧甲州街道を歩き進むと、かなり古い物のように感じる石仏が街道の脇にあった。不動明王だろうか。台に何か書かれているが読めないのが残念だ。

古道沿いには石仏が多い
古道沿いには石仏が多い

その先にはこんもりと盛り上げられている塚が見えてきた。近づいてみると、江戸から21番目の一里塚であり、塚は当時の原形が残っていると書かれている。
「すぐそばに道路も作られているのに、当時の塚が残っているのは凄いわね」

恋塚の一里塚(江戸より21番目)
恋塚の一里塚(江戸より21番目)

自称、一里塚ハンターを名乗る由美子は小高く盛り上げられている塚を写真に収めて満足そうだ。良人は飲みやすい温度に冷ましてステンレスボトルに入れて持ってきた暖かいお茶を飲みながら足を休めていた。そして、そろそろお腹が空いてきた。
朝8時半ごろに出発して、ここまで歩いた距離は約7km。時間は11時にもなっていないが、歩く旅はお腹が空く。自分の体がエネルギーを消費していると実感する瞬間でもあり、このタイミングで食べるおにぎりは特別に美味しい。
歩く旅ではタイミングよく飲食店があるとは限らない。これまで街道歩きをしてきて学んだ事の1つは、お腹が空くと結構辛い。車がガス欠で走れなくなるのと同じではないけれど、人間もお腹が空くと歩けなくなる。だから、リュックの中に何かしら食べ物は入れるようにしている。良人はリュックの中からコンビニで買っていたおにぎりを取り出すと、由美子も同じようにリュックの中をゴソゴソと探し始めた。しかし、由美子がリュックの中から取り出したのはおにぎりでもパンでもなく、ずっしりとたっぷりのあんこが詰まっている大きなどら焼きだった。
「これ、皮がしっとりで美味しいのよ」
確かにどら焼きの皮はしっとりしている方が美味しいけどね。ジャンボと袋に書かれている文字をみて、わざわざ書かなくても誰が見てもジャンボサイズだよと、無駄な突っ込みを入れてみる。そして、糖分の塊のように見える大きな物体を眺めながら、良人は思った。
そうだよな、これを食べるなら今日しかない。自分たちの年代の代謝が下がった体では、これだけの糖分を消費するどころか胸やけと肥満に直結するのが確実だと感じる。しかし、美味しい物は美味しいのである。
「いざ、血糖値上昇の世界へ!」
良人が意味のない言葉を発しているのを気にもせず、由美子は美味しそうにどら焼きを頬張るが、やはり、おばさんの体では大きなどら焼きの糖分に惨敗してしまい半分を残してしまった。

程よくお腹が満たされた二人は先へと歩き進んで行くと、大月市と書かれた看板を見つけて何だか嬉しくなる。旧甲州街道は日当たりの良い斜面に出ると日差しが温かくで気持ち良い。途中、萱(かや)のような草木で造られたトトロによく似た人形を見て心が癒やされる。

旧甲州街道沿いにあるオブジェ(山梨県大月市)
旧甲州街道沿いにあるオブジェ(山梨県大月市)

県道を縫うように残っている旧街道を歩きながらどんどん下ると、中央道の高架橋が見えてきて、その下を歩き進もうとした時に由美子が言った。
「よし君、何で高速道路の橋が三本何だろ?」
本当だ。何で三本だろうか。由美ちゃん、こういう細かい事に良く気付くよな。
2人は、山間を一直線に通り抜けている高速道路の高架橋を真下から眺めた。通りすがりの地元の人が見れば不思議に思われてしましそうな光景でもある。
三本ある高架橋の内の二本は赤い鉄橋の上に造られており、残りの一本はコンクリートだけでスマートに作られている。橋脚の形も全く違う形をしている。違う時期に造られたと考えて良いじゃないか。
「由美ちゃん、中央道を走っていると右車線と左車線がある場所。それがここじゃないかな?この先は大月だし、以前の渋滞ポイントの場所だからね」
片側2車線であった中央道を拡張する際に、この付近では山側に新しく三車線のトンネルが作られている。新しく造られた山側のトンネルは上り車線となり、元の上下線であった4車線が下り車線になっている。この区間の下り線を車で通ると、右ルート、左ルートと表示があり、どちらを走るかとあたふたとしてしまいそうになるが、もともとは上下線であっただけなので、どちらを通るかは個人の好みなのである。

旧甲州街道は国道20号に合流すると、江戸から22番目の宿場である下鳥沢宿と23番目の上鳥沢宿である。下鳥沢宿と上鳥沢宿は約550mしか離れておらず、宿場の業務は半月ずつ交代で行っていた宿場であった。この辺りではひさしが長く作られている特徴がある家や土塀や格子のある家が並んでおり、宿場の趣を感じながら二人は先へと歩き進んだ。

甲州街道(国道20号)下鳥沢宿
甲州街道(国道20号)下鳥沢宿

ライター

東京都在住のおばさんです。子育てが落ち着いてきた頃より趣味で登山や街道歩き等を始めました。歩く旅は大変だというイメージがありますが、歩く事で解る楽しみもあります。実際に歩く旅をして、歩く旅の楽しさをお伝えしたいと思っています。

わか子の最近の記事