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【札幌市白石区&厚別区】「廃線跡を行く」東札幌〜月寒〜大谷地(白石こころーど)!

ゆべーる地域クリエイター(札幌市)

こんにちは。最近、仕事道具のひとつとして購入したクロスバイクが快適すぎて乗りまくっている、ゆべーるです。

8月から9月の上旬限定で新千歳空港のお仕事に、ガイド仕事の隙間に入っていますが(通常は成田空港だったりします)せっかくなら部分的にでもサイクリング通勤してみたいな、と思い、苗穂から途中「白石こころーど」に入り、新札幌までサイクリングをして、その後エアポートに乗り継ぐ、というトライアルをしています。

廃線オタクとクロスバイク好きの両面で満足できる道!

ところで皆さん、このほぼ南郷通りと並走しているこの「こころーど」が、昔は鉄道だったとご存じですか?

そうなんです国鉄(今のJR)の千歳線の旧ルートなんです!

1973年以前の千歳線の駅は

★札幌

★苗穂

ぐるっと回り込んで函館本線と分岐して

★東札幌(今のラソラやコンベンションセンター)

★月寒(つきさっぷ、と読みます。今のアサヒビール工場)

★大谷地(今の南郷18丁目、ケンタッキー横の「白石東冒険公園」)

★上野幌(今の駅より数百メートル北にあった)

というルートでした。新札幌駅ができる前のお話です。

「こころーど」「陽だまりロード」「エルフィンロード」は旧千歳線に当たるわけなのです。

なお、この昔の千歳線の一部である「こころーど」は、現在は厳密にはサイクリング専用道路ではなく歩行者もOKの「自転車歩行者専用道路」です。道道1148号という番号が割り当ててられます。しかし以前の「白石サイクリングロード」と言う名前で覚えている方もたくさんいらっしゃると思います。

東札幌駅(1926〜1986年)

現在のショッピングモールの「ラソラ」がある場所が「東札幌駅」でした。

1960年代には札幌市内最大の貨物取扱量を誇る駅でした。そしてその東札幌駅のむしろ本体と言っても過言ではない巨大な貨物スペースは、現在のコンベンションセンターになっています。

東札幌駅の駅前通りは道道526号線「東札幌停車場線」です。現在の北海道情報専門学校(20世紀の言い方で言うと、菊水五叉路)から「ラソラ」の側面を結ぶたった300メートルの道がそれです。なんでここにグリーンベルトのある通りがあるの?と思う人がいるかもしれませんが、それは駅前通りだったからですね。

もっと時代をさかのぼると、開拓使時代、水穂大橋はもちろん東橋もない時代、この道は現在の国道12号線から36号線を斜めに結んで、唯一の橋であった豊平橋を渡るための「山道」と言われた通りの一部でした。「山道」は当時白石から本府(札幌の街の中心)を結ぶ唯一のルートでした。

東札幌駅は、その貨物と旅客の複合駅としての広大な敷地にコンベンションセンターやラソラが立っている以外ほとんど面影がありませんが、私が札幌に転居して来た1996年当時は、駅舎こそすでにないものの、当時は繁盛しただろう駅前によくあるような蕎麦屋がまだ一軒ありましたし、まだコンベンションセンターもない敷地には、撤去した鉄道資材が積み上げられていました。

未確認ですが、1973年の旅客取扱廃止以降も1986年の貨物取扱廃止まで切符も売っていたという噂もあります。ということは実はこっそり?旅客も一部残っていたのでしょうか?それはわかりません。いずれにしても私が札幌にきた時は、まだ廃業してから10年しか経過しいなかったことになります。

今は「ラソラ」の一角に、当時ここが駅だったことを忍ばせるモニュメントがあります。このモニュメントはサイクリングロードには面していません。

なおご参考までに、1969年までは東札幌駅にはさらに別な鉄道も入っていました。札幌、苗穂、そしてこの東札幌から定鉄(定山渓鉄道)の豊平駅(現在のじょうてつドエル・アイム豊平。。。駅前広場の跡が小さなロータリーとして残っています)を経由して、現在の南北線の線路上には定山渓行きの鉄道が伸びていました。

月寒(つきさっぷ)駅(1926年〜1976年)

クロスバイクは快調に走って行きます。東札幌を出発した旧千歳線は、現在のアサヒビール工場の場所にあった南郷4丁目の月寒(つきさっぷ)駅へとつながっていました。1944年に町としての名前は「つきさっぷ」から「つきさむ」に変わりましたが、国鉄はそのまま「つきさっぷ」と言っていました。私の記憶では、古老たちは戦後もかなりの頻度で「つきさっぷ」と言い続けていた記憶があります。

月寒は、かつては煉瓦工場(鈴木の分工場、横山)や牧場の多いエリアでした。また長らく日本軍の北部軍司令があった場所でもあります。

ちょっとサイクリングロードを降りてぐるっと工場の裏手に来てみます。昔の駅前通りにはほとんど往年の痕跡が残っていないのですが、かつてここが月寒駅であったという碑が残っています。

1926年に東札幌駅と同時に開業し、1973年に千歳線の線路が付け替えられてこの路線の旅客取扱が廃止となり、この駅より南側は線路が外され直ぐにサイクリングロードとなった後も1976年までは、東札幌と月寒間は1965年に完成したアサヒビール工場引き込み専用貨物線として残りました。つまり、かつて月寒駅だった場所は現在はアサヒビール工場に囲まれています。

大谷地駅 (1926年〜1973年)

東札幌、月寒と同じく1926年に建設され、1973年に廃止となりました。当時の大谷地というのは現在の大谷地とは違いこの南郷18丁目に近いエリアを指しました。(ですので大谷地郵便局もこの近くに今でもあります)。その名の通り、厚別川の奔放な流れが作った大きな湿地でしたので、1970年代はまだ現在の南郷通りもなく、このあたりも市街地はあまり形成されていなかったようです。

この厚別川の湿地のために、千歳線だけではなく、函館本線や国道12号線もそれを避けるためにVの字の形に曲がっているのです。

現在のケンタッキーフライドチキンの横に広がる「白石東冒険公園」の広いスペースがそのまま昔の大谷地駅です。公園には今回は撮影を失念しましたが、かつてここが大谷地駅だったというプレートが残っています。

そして。。。

その後は、厚別川の「虹の橋」を渡ります。

そして北星大学と大谷地バスターミナルを通過して、

今回は新札幌でJRに乗り換えるので、ひばりが丘はこちら、の看板が見えたところで、サイクリングロードとお別れしました。

自宅から新札幌駅まで約12キロでした。

帰路は新札幌から夜遅いこともあり、国道12号をまっすぐ苗穂方面に帰ってきました。そのルートの方が道は良いし短く10キロ程度に短縮されます。しかし鉄道の跡がサイクリングロードになっているというのは、なんとも愉快で、またゆっくりサイクリングしながら歴史散歩を楽しみたい、そして今度は北広島までクロスバイクで行ってみたいと思います。

■白石こころーど■

札幌市白石区の公式サイトは、こちら。 

地域クリエイター(札幌市)

通訳案内士(全国&札幌)、そしてライターや町おこし組織の認定ガイドとして、いつも札幌市内の出来事やおすすめ情報を探しに歩いてます。コーヒーショップ、ワイン、レストランなどが大好き。またホルン奏者でもあります。

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