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【札幌市北区】昔も今も最重要の交通拠点「北24条」の空港、市電、地下鉄。

ゆべーる地域クリエイター(札幌市)

北24条界隈をまだ雪の残る時に歩いていて出くわした、古い市電車両

この時私たちは札幌市主催のモニターツアーでこの付近を歩いていたのですが、興味が出てきて全員立ち止まり、観察しました。

今回は、鉄オタ的なこの電車に関するあれこれを説明したい気持ちをグッと抑えて、北24条がいかに交通の拠点だったのかという話をしたいと思います。

北方面の交通拠点として機能している北24条

その立場を決定づけたのは、札幌駅北口から北24条まで市電の走っていた事です。

当時人口が少しづつ増えていたこの界隈に市電の鉄北線が開通したのは1952年。

それ以前の長い間、北18条が電車の終点でした。戦前はこの辺りは極めてゆっくりしか発達しなかったので、北24条付近に市電が延伸するには時間がかかりました。

しかし戦後この地域は劇的に発展し、ここで市電からバスに乗り換えて、あちこちに行こうという人が一息をつくための飲食店などができ、「北のススキノ」という愛称が付けられたりもしたそうです。

その後、市電は麻布、さらには新琴似方面へと伸びて行きました。

そして今度は地下鉄の開業です。1971年の地下鉄南北線開業ではこの北24条が地下鉄の終点となりました。

それと入れ替わるように地下鉄と重複する区間である北24条以南の市電鉄北線が廃止されると、今度は市電と地下鉄の乗り換え駅として発展しました。

1974年には北24条以北の鉄北線も廃止、1978年には地下鉄南北線が麻生まで延伸、と目まぐるしく公共交通機関のあり方が変わる中で、戦後数十年に渡って様々な形で交通の乗り換え拠点であり続けた北24条。

鉄道駅こそないものの、まさに乗り換え駅としての旅情や風情がある街角が発達してきました。

そしてここには、市電幌北電車庫が1974年まで現在のサンプラザの場所にありました。そして少しに色々なご縁や努力があって、昔の札幌市電248号が、この土地の市電から地下鉄の象徴される文化のアイコンとして戻って来ました。

交通拠点としての歴史をもつ北24条のシンボルとして頑張ってほしいですね。

それ以前にも大切な歴史があった。

ところでここは1927〜45年、つまり市電ができる前にも別な意味で重要な交通拠点だった歴史があるのを、すでに皆さんはご存知だと思います。

そう、初代の「札幌飛行場」ですね!現在の北高の付近に広がっていて、記念碑も立っています。これはその正門跡です!

残念ながら戦争によって焼失してしまいましたが、中心部からこんな近いところに空港があったというのも驚きです。

北24条の交通の歴史から目が離せない!

このように北24条界隈は、時代によって様々な交通機関(飛行機、市電、地下鉄)の拠点と賑わっていたのが容易に理解できます。単なる歓楽街ではなく、交通の要として発達してきた街。今回ご紹介した他にも色々な交通機関に関するモニュメントや歴史が発掘できそうですので、また歩いて見たいと思います!

また札幌市内に静態保存されている保存車両などについても取り上げて行きたいと思います。

■札幌市電248号■

場所:札幌市北区北24条西5丁目 札幌サンプラザ敷地内

■札幌飛行場正門跡■

場所:札幌市北区北24条西8丁目1

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地域クリエイター(札幌市)

通訳案内士(全国&札幌)、そしてライターや町おこし組織の認定ガイドとして、いつも札幌市内の出来事やおすすめ情報を探しに歩いてます。コーヒーショップ、ワイン、レストランなどが大好き。またホルン奏者でもあります。

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