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【女武将】「無双の美人」と評され、豊臣家の大軍と最後まで戦い抜いた伝説の“甲斐姫”とは?

原田ゆきひろ歴史・文化ライター

この記事では歴史上、女性ながらも巨大な敵と戦った、3人の“戦う女性”についてお伝えしています。

1人目のエミリア・プラテルについては、以下の記事をご覧ください。

≫【エミリア・プラテル】ロシア帝国に抗う救国の少女

②【甲斐姫】天下人に最後まで抗った戦うお姫様

ときは戦国時代の後半。“甲斐姫(かいひめ)”は関東の小勢力、成田家という大名の長女で、名実ともに“お姫様”でした。

しかし、ひとたび戦となれば鎧をまとって出陣。しかも敵が豊臣家の大軍かつ、相手が真田家等の名将でも、ひるまず戦ったと言います。

ちなみに現代の人気ゲーム“戦国無双”シリーズで、甲斐姫は美人かつ、強いキャラクターとして登場していますが、記録で語られる彼女も19才の頃「東国無双の美人」とウワサされたと伝わっています。

そのうえ武術や戦術の才能もあり「男であれば天下に名を馳せていた」と評された話もあるなど、まさに物語のヒロインのような人物です。

さて、しかし彼女が臨んだ最大の合戦にフォーカスすれば、敵との戦力差は絶望的でした。天下統一に王手をかけた豊臣家の大軍相手に、成田家が守る忍城(おしじょう)は、主力が出払ったあとの留守部隊のみ。

急遽、地元の農民を戦力に組み入れ数千人となりましたが、戦況としては応援も望めない孤立無援。軽く万を超す豊臣方をあいてに、ふつうに状況を見れば、降伏の一手を考える場面でしょう。

ただ城主の成田長親は無名ながら、隠れたやり手。また水を巧みに利用した忍城も堅固な防御を誇り、豊臣軍の攻撃を凌ぎますが、時が経つほど増援が加わって膨れ上がります。

ついには石田三成や大谷吉継ほか、佐竹家や真田家などの大軍が、各方面から一斉攻撃を仕掛けてきました。

さすがの成田長親も覚悟を決め、前線へおもむく準備をしていると、甲冑を着込んだ甲斐姫が現れて言いました。

※イメージ
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「殿、出陣はなりませぬ。万がいち討ち死にされれば、何といたしまする?」

長親「いや、しかし。この正念場に、ワシが引っ込んでおるわけには・・。」

「この甲斐姫が参りまする!殿は吉報をお待ちくださいませ。ご免!」

手には薙刀、腰には成田家代々に伝わる名刀“浪切”を下げ、200余騎を率いて出陣して行きました。

さすがに彼女らだけでなく、他の城兵も援軍に加わりましたが、協力して見事に攻めを耐え抜きました。それどころか、逆に“三宅高繁”という敵将を討ち取るなど、並々ならぬ武功も挙げたのです。

通常、戦国時代は北条家の小田原城が落ちたタイミングで、豊臣秀吉の天下統一と見なされます。しかし成田VS豊臣の戦いは、その後も続いていましたので、実質として甲斐姫は、秀吉と最後まで戦った1人と見なすことも出来るでしょう。

なお、ここまで徹底抗戦した成田家ですが、もともと攻め寄せたのは秀吉側であり、逆に「敵ながらよく戦った」という評価も重なり、忍城が開け渡されたのちも、成田家や城兵たちの身は保証されました。

その後、地方で豊臣家の統治に対する反乱が起こった際、甲斐姫は鎮圧軍とともに合戦へ。その一連の戦いでも武功を挙げた事実が、秀吉の目に留まります。ついには自身の側室に指名、彼女は天下人の妻となりました。

日本全国、あまねく人々を掌握した秀吉が、一度は自身に逆らった甲斐姫を名指ししたのですから、いかに類まれな女性だったか、うかがい知れます。

天下に名をはせた“姫武将”として、まさに物語のヒロインのような人物。彼女の伝説については、後世に様々な尾ひれがついた可能性もありますが、その点を差し引いても、思わずロマンを感じさせられてしまいます。

③【マリア・キーテリア】伝説の女騎士

※イメージ
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現在、ブラジルの公用語はポルトガル語ですが、かつて同国はポルトガルの植民地であり、その名残りが現在まで繋がっている形となっています。

ときは日本が江戸時代であった19世紀、旧ブラジルは植民地からポルトガル王国に従う“公国”に格上げされますが、再び植民地へ戻されそうになるなど、その地位は宗主国の思惑次第という部分がありました。

そうした影響に右往左往させられる状況にガマンがならず、ついに蜂起した兵や民衆が、独立戦争を開始したのです。

マリア・キーテリアは農民の娘でしたが、その内側に勇猛さや知恵を秘めた女性でした。髪を切り落として男装すると、反乱軍に参戦。最初は1兵士の立場でしたが、その活躍は際立ち、次第に部隊のリーダーを任されるまでになって行きました。

※マリア・キーテリア肖像画
※マリア・キーテリア肖像画

対するポルトガル軍は本国から遠く離れており、様々な人種の混成軍でもあり、傭兵集団で穴埋めしている部分もありました。そうした、まとまりを欠いた弱点も突かれ、次々と撃破されて行ったのです。

そうしたマリア達の活躍も後押しし、ブラジルは念願の独立を宣言。そのリーダーは、肩書きとして“王”を名乗ると、ポルトガルの伝統に倣うことにもなるため、皇帝を自称。

そして、その即位に多大な貢献をしたマリアは、ナイトの称号を授かり皇帝の側近に。ここに名実ともに“騎士マリア”が誕生したのでした。

その後も同地ではポルトガルの復権を目指す勢力が、巻き返しを計る戦闘も勃発しましたが、マリアも出陣してこれを撃退。以後ブラジルの、とくに軍隊のなかでは“守護聖人”として、伝説的な存在となりました。

なお記録によると彼女は、戦いの際には勇ましかったものの、ふだんは女性らしい穏やかな性格と伝えられ、そうしたギャップもまた、魅力が感じられる人物です。

凛々しく戦う女性の魅力

女性が戦乱の表舞台に・・というのは、今の時代でも特異なことではありますが、現代よりはるかに“男性優位”の価値観が支配していた過去にあっては、なおさらです。

今回ご紹介した女戦士たちも、最初から望んでそうなった人ばかりではありませんが、その勇気や覚悟の強さは、はかり知れません。

もちろん“戦乱”自体が起こらないことが最善ですが、戦う女性というのは

その凛々しさや華麗さも相まって、大勢の心を惹きつけて止みません。

昨今のアニメやゲームといったフィクション作品で“戦うヒロイン”が

大人気となりやすいのも、その1つと言えるでしょう。

なお、実際の歴史においてはジャンヌダルクが最も有名ですが、同じ“ジャンヌ”の名を持ちつつ、彼女に引けを取らないほどの戦士として「ジャンヌ・ベルヴィル」という人物も存在します。

2人目のジャンヌともいうべきベルヴィルも、その壮絶な生き様は映画の脚本にも引けを取らないほど。詳しくは以下の記事でお伝えしていますので、良ければ合わせてご覧ください。

≫麗しの令嬢が恐怖の女海賊に!フランスを震えあがらせた、もうひとりの“ジャンヌ”とは?

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

歴史・文化ライター

■東京都在住■文化・歴史ライター/取材記者■社会福祉士■古今東西のあらゆる人・モノ・コトを読み解き、分かりやすい表現で書き綴る。趣味は環境音や、世界中の音楽データを集めて聴くこと。鬼滅の刃とドラゴンボールZが大好き■著書『アマゾン川が教えてくれた人生を面白く過ごすための10の人生観』

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