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「牛肉のおいしさは1つじゃない」ネットで30分で完売、凄腕牛肉卸が“光の当たらない牛”に見出す可能性

小林・中村

映像ディレクター

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「『A5が上』じゃなくて、もっとフラットに。上下つけないで。牛は牛だよね。」
こう語るのは、従来の食肉業界の基準にとらわれない独自路線を追求する牛肉卸「東京宝山」の荻澤紀子さん(42)。霜降りの入ったA5ランクの牛肉が最高とされるなか、彼女が手掛けるのは赤身質の牛やお産を経験した母牛(経産牛)、肉が付きづらい乳用牛のオスといった、市場では価値が低いとされる牛たち。それでも彼女が卸す肉を有名シェフたちが心待ちにし、自身のオンラインショップでは30分で完売するほどの人気を博している。卸業者としては珍しく頻繁に牧場に通い、1頭1頭が育った環境や生産者の思いをブログで発信。「光の当たらない牛がもっと身近になってもらいたい」という荻澤さんがめざす牛肉の新たな価値とは?

<牛肉の規格にとらわれない女性卸>
「こんにちはー」。荻澤さんが取引先の食肉加工場に着くと真っ先に向かうのが、内臓などを取り除いた枝肉がつり下げられた大きな冷蔵庫だ。牛肉卸しの仕事は畜産農家から1頭丸ごと買い取り、肉質を確かめ、ベストのタイミングで飲食店や消費者に届けること。競り落としてまず行うのが肉の検品だ。

「枝肉には牛が生きてきた『牛生(ぎゅうせい)』がすべて詰まってます」という荻澤さんは、肉の色味や質感、脂質のキメや細かさ、皮下脂肪や筋間脂肪の厚み、水分量など、穴があくほどじっくりと見ていく。

「これはきっと愛されっ子。敵を作らない感じ。あの子は尖ってはいるんだけど、すごい刺さる人には刺さると思う」

その言葉の端々から、目の前の肉に対する並々ならぬ思いが伝わってくる。

「7回赤ちゃん生んだのに立派!脂良いしさ。だけど、いまの牛肉の格付けじゃ一番下なんです」

日本の牛肉の格付け(ランク付け)は、「歩留まり」(1頭からどれくらいの肉量が取れるか)をAからC。「肉質」(脂肪交雑、肉の色沢、肉の締まりやキメ、脂の色沢)を1から5段階で評価する。最高値がおなじみのA5で、畜産農家たちはこのランクを目標としている。百貨店やスーパーなどでも基本的には肉色は淡いピンク色で、脂は白が好まれる。それに当てはまらない肉は消費者の手にとられにくいとされ、安く取引されてしまうのが現状だ。

「格付けはあくまで見た目の判断。A5の霜降り肉のとろけるようなおいしさは何ものにも代えがたい魅力はあるけど、牛肉のおいしさは決してひとつじゃないと思うんです」

荻澤さんの仕事は徹底している。「光の当たらない牛」の魅力を伝えるためにどの農家にどんな環境で育てられたのかといった詳細をブログにまとめて飲食店に案内し、卸売業者が普通は立ち入らない加工場にも出向き職人に細かな指示を出す。どの部位をどういった加工をし料理人に送るのが最適なのか。手間がかかる内容で、職人たちにとっては煩わしい仕事だが彼女の熱意が彼らを動かす。

「1頭余すことなく、すべての部位を生かすためにベストを尽くしたいので。あの料理人さんだったら1回でこのくらい使うから分割にしてとか、この部位で送るならもうちょっと脂削ってとか。職人さんからしたら、ウザイですよね」

牛を育てた生産者の思いと調理する料理人のこだわり。両者を結ぶ彼女の「マッチング力」こそ、顧客から支持が絶えない理由だ。2020年に始めたオンラインショップも、肉好きや料理好きの間で知る人ぞ知る存在となった。スーパーや精肉店では見かけることが少ない希少和牛や交雑牛、乳用牛などが食べられるというだけでなく、部位ごとの細やかな説明、おいしい食べ方の提案、さらには購入者1人1人に牛の育った環境や生産者の思いをつづった手紙まで送っている。

「出口がないと生産者さんたちも育てられないので、牛たちの魅力を届ける一つの窓口として育てていけたらと思ってます」

<ひと切れの裏側の世界に受けた衝撃>
大学時代、辺見庸の『もの食う人々』(角川文庫)を読んで感銘を受け、「飢餓」をテーマに卒論を書いた。食に関する仕事がしたいとの思いで飲食業に足を踏み入れた。牧場直営の焼肉店で働いていた時、営業をやってみないかと声をかけられ、「どんな世界なんだろう」と興味本位で引き受けた。そこで初めて競り(セリ)や牧場の生産現場を目の当たりにし、ひとつの命が「食材」になるまでの過程に衝撃を受けて牛肉の世界へのめり込んだ。

「飲食店で働いている頃は牛を『肉』として捉えていました。生産者さんと問屋さん、飲食店さんたちの架け橋になれたらと思ったんです」

卸しとして初めに販売したのは、契約農家の黒毛和牛。1頭百数十万単位の高級和牛が次々と競り落とされる市場の活気に魅了された。そのかたわらで1kg数百円で取引きされる牛がいることも知る。

「お肉になるために生まれてきたなら、大事に最後までしてあげないと。全部は無理だけど、せめて自分が関わった子たちだけでも」

荻澤さんが価値を見出してきた経産牛は日本では「廃用牛」と呼ばれ、なかなか市場価値が上がらない苦労がある一方、フランスでは母牛として子牛を産み、十分な運動をして健康的な生活をした経産牛こそ味も香りも濃く、おいしいと好んで食べられている。「日本では経産牛のように、おいしいけれど規格からあぶれてしまう『光の当たらない牛』が他にも少なくない」と、彼女はいう。

濃いミルクの味わいが人気のジャージー牛も、乳が出ず肉が付きづらいオスだと市場に出しても経費を除くと1頭数百円にしかならないことも珍しくない。このため生まれてもすぐに処分されてしまうことが多いが、乳用種ならではの独特な甘味と味の濃さは格別だとの評価もある。

わずか2000頭しかいない希少和牛とされる『日本短角種』も、光の当たらない牛種の一つだ。岩手県久慈市・いわて田村牧場の田村英寛さん(63)は「荻澤さんがいないと短角売れません。もうやめてたと思う、出会ってなかったら」と話す。

この牧場では一年中、放牧地で育て、和牛では珍しく交配や出産も自然のままに飼育している。牧草をたっぷりと食べて育つので、噛めば噛むほど旨味が出てくる赤身が特徴。だが、霜降りが入りづらいため、価値がつかず安価で取引されてしまう。荻澤さんは、短角牛と真摯(しんし)に向き合う生産者の姿と、牛と自然が一体になっているこの景色に感動。どうにかしてその魅力を伝えることはできないかと考え、春の出産や、夏の水場で涼む姿、−15度の寒さを凌ぐためエサをたくさん食べて肉付いた姿などを撮影し、日々ブログで発信することで価値を広めてきた。

1991年の牛肉輸入自由化から、海外の安価な赤身肉が店頭に並ぶようになり、国内生産者の多くはより市場価値が高い黒毛和牛への転換を進めた。そんな業界で荻澤さんは「お嬢ちゃんおままごとじゃないんだよ」、「価値のない牛を買ってそんなの仕事になるの?」と揶揄されながらも、自身がおいしいと思う牛肉の価値を信じて、2015年に独立。卸した肉屋や飲食店まで全国各地に足を運び、研鑽を積んできた。

「最初のころは夜行バスでジャージーの世話をしに岩手まで行ったり、お肉が出荷されたとなったら、わずかなお金をはたいて大阪とかまで食べに行ったり。すごく貧しかったけど、自分の牛みたいでかわいくて」

<飼料国産化への挑戦>
10年目を迎える荻澤さんが新たに取り組んでいることがある。それは、牛を国産飼料で育てること。日本の牛肉生産は、飼料の7割以上を輸入に頼っている(2020年 農林水産省「食料自給率の推移」)。さらに近年は輸入価格の高騰に加え、コロナの影響で輸入飼料の到着が数カ月ほど遅れることもあるという。荻澤さんや生産者たちは、輸入飼料に頼る畜産がこのままの形で続いていくことは難しいだろうと危機感を強めている。そこでかねて親交のあった岩手県雫石町の和牛農家・中屋敷敏晃(42)さんと東北農研の協力を得て、2018年から国産の飼料で牛を育てる新たなチャレンジを始めた。

「息子が継ぎたいって言ってくれてるから、次の世代がちゃんと畜産を続けていけるようにしたいと思ってこの取り組みに挑戦してます」

「どんなお肉になるかはまだ未知だけど、間違いなく次世代の畜産のひとつの形に向けて意義ある取り組みだと思ってます」

「地域の資源で地域ならではの味わい」を育てることをめざし、生産者の畑で育てた有機大豆や飼料用トウモロコシ、くず小麦、栄養価が高い牧草を乳酸発酵させたものを使う。一般的に穀物中心で育てているが、今回の飼料で育てた牛は霜降りが入りづらく赤身で、脂も黄色くなってしまうため、いまのところ市場価値は期待できない。

「本来ならこういう新しい取組みは買い手が見つからないため、農家は怖くて挑戦できないんです。料理人さんや消費者の方との信頼がある荻澤さんとだから実践できる」

2021年3月。国産飼料で育てた牛の初出荷。「検品したら肉色は程よい濃さで、脂質もねっとりしていておいしそう。なにより、牛本来の草食動物として牧草を中心に最後まで育てたから健康的。初めての試みにしては上出来だと思います」

検品後は職人への加工指示書や部位ごとに異なる価格表の作成といったいつもの作業に加え、約3年間にも及ぶ取り組みを専門的になりすぎず、飲食店や消費者に理解してもらえるよう工夫しながら解説。少しでも興味を持ってくれたシェフたちには、その経緯を直接会って説明した。

そうした努力もあって、1頭目から高い評価を得た。赤身文化で育った海外帰りのシェフは「こんなお肉が欲しかった」とよろこび、「人生で食べた肉の中で一番おいしかった」と驚いた客もいたという。しかし、市場価格でついた値段は懸念通りA5黒毛和牛の半値程だった。

「これが広まるにはまだまだ時間がかかるけど、この取組みが数年後、小さい輪が各地に広がってくれていたら。続いていくと嬉しいです」

こう話す荻澤さんは、今日もまた加工場へ向かう。

クレジット

取材・撮影・編集
中村 朱里 小林 瞬

Sound Engineer
田口 修嗣

Telop design
木本 葵

プロデューサー
前夷里枝

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