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【土浦市】ハッケン!土浦市まち歩き水郷都市・川口川の面影を辿るその1~城下町を流れる川はどこへ続く?

コイケケイコ土浦在住ライター(土浦市)

4回目の「ハッケン!土浦まち歩き」は、船が交通の要であった時代の土浦の横顔にふれるまち歩きを楽しみます。地下に流れる川、水運が発達していた時代に盛んだったという営みや副産物とは。時計を江戸時代にまで巻き戻し、その謎に迫ります。

水郷都市の起点は土浦城のお濠の水!?

のちに登場する「川口川閘門」で使用されていた鉄扉をバックにした木塚久仁子さん
のちに登場する「川口川閘門」で使用されていた鉄扉をバックにした木塚久仁子さん

川口川の面影をたどるまち歩きの案内人は、土浦市立博物館の学芸員・木塚久仁子さん。記念すべき第1回目の中城通り編で、商都として栄華を極めた時代の街の様子を感じることができるハッケンスポットを紹介してくれた方です。

土浦市立博物館を後にして最初に向かったのが土浦城址(亀城公園)。「ハッケン!土浦まち歩き」の連載ではおなじみとなりつつある場所ですが、水郷都市として栄えた土浦を語る上でもこの場所は欠かせないといいます。

木塚さん「土浦城は水に守られたお城でした。本丸を囲むようにお堀があって、お堀の水は川へと流れていました」

引用「色川三中史跡めぐりガイドマップ」(土浦市立博物館)
引用「色川三中史跡めぐりガイドマップ」(土浦市立博物館)

上の地図は、現在の土浦中心市街地の地図上に江戸時代後期の城下町絵図をもとに推定した土浦城の道路や堀、土塁などの遺構を重ねたものです。青い部分が堀や川。この地図をよく見ると丸く囲んだ土浦城の本丸に堀があり、その水は城内を伝い、城下町へ、そして霞ヶ浦へと流れているのが分かります。

水運で江戸と結ばれていた土浦

引用『むかしの写真土浦』(土浦市立博物館)
引用『むかしの写真土浦』(土浦市立博物館)

上の写真は大正末期に土浦の中心街を撮影した貴重な資料です。

写真中央が水路として用いられていた川口川(旧桜川)です。

木塚さん「霞ヶ浦に面した土浦は、水運で江戸と結ばれて船が物資の輸送に活躍していました」

引用『むかしの写真土浦』(土浦市立博物館)
引用『むかしの写真土浦』(土浦市立博物館)

河岸(かし)には何艘もの船が停泊しています。これは浅瀬にも乗り入れられるように底の部分が浅く平らになっている高瀬船(たかせぶね)。

細く長い川筋を伝い、物資を輸送するには高瀬船は最適な交通手段でした。

木塚さん「この写真は昭和11年頃の川口川の様子です。高瀬船について江戸時代のイメージをお持ちの方も多いと思うのですが、昭和初期までは生き残っていた輸送手段です」

資料の解説によると、写真の場所は「土浦ショッピングセンターMALL505」の西側先端付近の信号から土浦駅方面に向かって撮影されたもの。昭和11年当時、船での輸送は鉄道や自動車よりもコストが安く、土浦のように水路が発達した地では便利な輸送手段でした。

引用『むかしの写真土浦』(土浦市立博物館)
引用『むかしの写真土浦』(土浦市立博物館)

目をつぶると想像されるのは、大切な荷物を運ぶために高瀬船の帆をあやつる船頭の姿。晴れた日だけではなく、雨の日も風の日も。

大型高瀬船でも数名で動かしていたそうです。

明日は土浦城址(亀城公園)を出て、川口川に沿ってまち歩きを楽しみます。

今では当たり前の風景に、水郷都市として栄えた街並みを重ねて。

<土浦城址(亀城公園)>

住所:茨城県土浦市中央1丁目13番 MAP

土浦在住ライター(土浦市)

土浦市在住のフリーランスの編集・ライター。海外・国内の旅行関連のガイドブックや書籍制作をはじめ、ブライダル情報誌の編集にも携わる。食べること・飲むことが好きで、趣味が興じて最近では食を中心にWEB、紙媒体などで取材執筆活動中。地元土浦の飲食パトロール、歴史やカルチャー学習も積極的に行っています。

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