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【土浦市】ハッケン!まち歩き 水郷都市・川口川の面影を辿る5~水害から街を救った英雄・色川三郎兵衛

コイケケイコ土浦在住ライター(土浦市)

川口川の面影をたどるまち歩きの最後は、霞ヶ浦の入り江に面した地に立つ色川三郎兵衛の銅像を目指します。記事の最後には、この連載のおなじみになりました土浦出身のイラストエッセイスト・かえるかわる子さんによるおすすめスポットもご紹介しています。

町を水害から守るために設置された線路

土浦城址(亀城公園)から川口川(旧桜川)の川筋を辿りながら「土浦川口ショッピングセンターMALL505(以降MALL505)」の東側までやってきました。「MALL505」を背にして右側が土浦駅方面、ガード下をくぐる霞ヶ浦です。川筋をさらにたどるために霞ヶ浦方面へ歩いていきます。

「道の両側にレンガの壁があるのが分かりますか?これが川の跡なんですよ。霞ヶ浦から町へ水が逆流しないようにここに鉄扉が設けられていたんです」と木塚久仁子さん。川口川の面影をたどるまち歩きの案内人を担当してくださる土浦市立博物館の学芸員です。

木塚さん「上野~水戸の間に鉄道を走らせる計画が立ったのは明治時代に入ってからのこと。土浦に線路を設けるにあたって、元々は現在の土浦第二高等学校付近に敷かれる予定があったそうです。『線路に土手の役割をもたせることでより強固な堤防ができる』と、霞ヶ浦湖岸に常磐線を設けるように提言し、実現させたのが色川三郎兵衛といわれています。土浦初の衆議院議員となった人です」

上の写真は明治40年(1907年)頃の閘門付近。霞ヶ浦の逆流(逆水)を防ぐために二枚の鉄の扉(閘門)が設けられ、閘門の上に架かる橋とレンガの壁は堤防の役割を果たしているようにみえます。

常磐線の列車が走る橋梁は、土浦の町を水害から守るために設けられた「施設」。

川口川閘門(かわぐちがわこうもん)のあった場所なのでした。

町の人々の反対意見を乗り越えて完成した「川口川閘門」

川口川閘門があったガード下をくぐってさらに歩みを進めると、右側に建物が見えてきました。これは「川口川ポンプ場」。大雨時にポンプを稼働させて雨水を川口川から霞ヶ浦に汲み出すことで市街地の浸水を防ぐ役割をしています。

昭和37年(1962年)頃の排水ポンプ場の風景です。昔のポンプ場は線路に隣接するように設けられています。現在のような道路などがなく、川口川から霞ヶ浦へと排水される水がポンプ場の下を流れていました。

ポンプ場の近くでは、旧川口川閘門の鉄扉の二枚のうちの一枚を見ることができます。

旧川口川閘門跡の案内板には、閘門と排水ポンプ場がどのような位置づけで設置されていたかが図解されています。

常磐線の線路を中心に見ると、右側が川口川、左側が霞ヶ浦になります。川口川側に設けられた二枚の鉄扉を開閉して水量の調整が行われていました。

頑丈に造られた閘門の支柱
頑丈に造られた閘門の支柱

川口川閘門を設けるにあたっては、当時土浦のまちの人々は「土浦は船を使った交通で栄えているまちなのに、堤防をつくって川口川をさえぎることはできない」と反対の声が多かったといいます。

しかし色川三郎兵衛は「土浦の発展は、水害をなくさなければありえない」と長きにわたって説得を続けたといわれます。その熱意が実って明治28年(1895年)に常磐線の線路を設置。それから約10年後の明治39年(1906年)に川口川閘門はついに完成したのです。

鉄扉の隣には昭和16年(1941年)製の排水ポンプも置かれています。閘門を閉じた際、川口川の水を霞ヶ浦へ排水するために設置されたものです。

ゲートの左右の壁に描かれた『防潮堤の壁画アート』。これは 『第17回世界湖沼会議(いばらき霞ケ浦2018)サテライトつちうら』 が開催されたときにペインティングされたもの。
ゲートの左右の壁に描かれた『防潮堤の壁画アート』。これは 『第17回世界湖沼会議(いばらき霞ケ浦2018)サテライトつちうら』 が開催されたときにペインティングされたもの。

川口川の暗渠化が進み、また河口付近も道路化に伴って暗渠となり、昭和50年代に閘門はその使命を終えます。

閘門は撤去されましたが、川口川は地下で生きているので、霞ヶ浦に向かって水は流れています。上の写真は、霞ケ浦の水が川口川に逆流するのを防止するゲート。この状態はゲートが開いてる様子を表しています。水色の壁のような部分が下へと降ろされると、それがゲートを閉じていることを表します。「大洪水など、よほどのことがないかぎりこのゲートが閉じることはないそうですよ」と木塚さんは教えてくれました。

色川三郎兵衛の銅像に水害から土浦を守ろうとしたお礼のご挨拶を

川口川閘門跡を見たその足で、色川三郎兵衛銅像の立つ霞ヶ浦の入り江へ。右手側に広がるヨットハーバーの眺めを楽しみながら歩くこと徒歩約6分。緑に囲まれた場所に本日最後の目的地である銅像が立っていました。

色川三郎兵衛銅像は昭和12年の建設で、戦争により供出され、昭和55年に復元されました
色川三郎兵衛銅像は昭和12年の建設で、戦争により供出され、昭和55年に復元されました

「この方でございます」と木塚さんが案内してくれた色川三郎兵衛銅像は、フロックコートが印象的です。

千葉県出身の色川三郎兵衛・英俊は、25歳の時に土浦で代々続く商家・色川家の養子に。「三郎兵衛」の名を継ぎました。

江戸時代に土浦の発展に尽力した祖父にあたる色川三中からの強い思いを受け継ぎ、水害から町を守るために色川家の私財を投げ出して霞ヶ浦の逆水問題に取り組み、川口川閘門の設置にも尽力したといわれています。

川口川閘門の完成を待たずに亡くなってしまったことが悔やまれますが、洪水や長雨による浸水から街を守ろうとした色川三郎兵衛に感謝の意を込めて訪れたいスポットです。

<川口川閘門跡>

住所:茨城県土浦市川口1丁目4番 MAP

<色川三郎兵衛銅像>

住所:茨城県土浦市川口2丁目13番 MAP

「矢口新聞」のかえるかわる子さんおすすめの「ふかわ」のハンバーグ

途中おやつを食べたりと休憩しながらの川口川の面影をたどるまち歩きの所要時間は、およそ2時間。

お腹が空いたら、土浦駅に戻る途中にある「ふかわ」で土浦出身のイラストエッセイスト・かえるかわる子さんがおすすめするハンバーグ定食(750円)をぜひ。とてもボリュームがあるのにリーズナブルでランチにぴったりです。味の感想をかえるかわる子さんならではの視点、感覚で記されたコメントも参考にご覧になってください!

<かえるかわる子さん>

茨城県土浦市在住のイラストレーター。絵も字も構成もすべて自身で手がけるイラストエッセイ「矢口新聞」を発行中。2020年第24回岡本太郎現代芸術賞(TARO賞)入選。2011年3月11日(東日本大震災)をきっかけに「一度きりの人生、心の奥から本当にやりたいことをやろう」と、長年勤めた会社を退職。当時はネット、TV中毒であったが、現在は携帯・PC・TVを持たない、見ない生活を送り、日々を楽しく過ごしている。

土浦在住ライター(土浦市)

土浦市在住のフリーランスの編集・ライター。海外・国内の旅行関連のガイドブックや書籍制作をはじめ、ブライダル情報誌の編集にも携わる。食べること・飲むことが好きで、趣味が興じて最近では食を中心にWEB、紙媒体などで取材執筆活動中。地元土浦の飲食パトロール、歴史やカルチャー学習も積極的に行っています。

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