Yahoo!ニュース

【土浦市】今昔さんぽ④今も昔も変わらない桜の名所・桜川堤。店がひしめき栄華を極めた栄町は今?

コイケケイコ土浦在住ライター(土浦市)

土浦の中心地の街歩きもいよいよ最後。桜の季節になると辺り一面が淡いピンク色に染まる桜川沿いと、霞ヶ浦海軍航空隊が阿見に誕生したことを受けて賑わいを見せた栄町(現桜町二丁目)界隈を歩きます。

上の写真は土浦市観光協会より引用しています

引用「土浦町及真鍋町案内」『絵葉書にみる土浦』(土浦市立博物館)
引用「土浦町及真鍋町案内」『絵葉書にみる土浦』(土浦市立博物館)

今回歩いたのは、現在の桜町二丁目・三丁目界隈。桜川橋を筑波山方面に向かって匂橋へ。旧栄町の神社を目指します。

『花もないのに桜川』と謳われた桜川堤

桜川橋を後にして筑波山方面に続く道は、車の通行が禁じられている歩行者専用道路です。朝夕にはランニングやウォーキングを楽しむ人たちが行き交い、四季折々の景色も楽しめます。

写真協力/土浦市観光協会
写真協力/土浦市観光協会

「桜川堤」という名称通り、桜の名所として知られていますが、明治時代末頃までは桜はなかったといいます。

「明治43年(1910)に、行方郡大和村(現行方市)の邊田粂蔵さんという方が、妻の足の病を癒すために願掛けに訪れたのが大町の桜川堤防上にあった道祖神社でした。その願いが成就し、治ったので桜の樹を200余間(約363メートル)にわたって植えたのが始まりだそうです」

そう話すのは、野田礼子さん。今回の今昔さんぽの案内人である、土浦市立博物館の学芸員さんです。

引用『絵葉書にみる土浦』(土浦市立博物館)
引用『絵葉書にみる土浦』(土浦市立博物館)

その後、桜は虫掛あたりまでの約10キロ、総数3500本におよぶ一大花見スポットに。春の花見の時期には茶店が並び、川面には多くの屋形船が行き交う姿も見られました。

桜川沿いに歩いていくと、緩やかなカーブを描いた場所にたどり着きました。ここは、匂橋という橋のたもと。旧町名でいうところの朝日町と栄町の中間地点にあたり、桜川の眺めを一望できるスポットとしても人気があります。

引用『絵葉書にみる土浦』(土浦市立博物館)
引用『絵葉書にみる土浦』(土浦市立博物館)

昭和8年(1933)頃の匂橋のたもとの写真です。この頃から花見の人気スポットであったことがこの写真からもうかがえます。

引用『絵葉書にみる土浦』(土浦市立博物館)
引用『絵葉書にみる土浦』(土浦市立博物館)

桜の樹には町内商店などのぼんぼりが点され、やわらかな灯りが川面に映える様子はとても幻想的。その光景は、不夜城の観があったそうです。

遮るものがなにもないまっすぐな一本道も見どころのひとつ

こちらが匂橋。昭和8年(1933)に架けられた橋です。

人と自転車のみ通行できる橋で、玉砂利が洗い出されたコンクリート製の欄干はレトロな雰囲気が漂い、さまざまな映画のロケ地にもなっています。

野田さん「匂橋の向かいにあるこの通りは、八間道路も通過して桜町三丁目、かつての匂町までまっすぐに続いています」

中城通りや本町など、これまでに歩いてきた土浦の町は屈曲の多い道ばかりでしたが、それは江戸時代の城下町ならではの特徴でもあり、新市街地として発展した桜町界隈は碁盤の目のような整然とした路地が特徴です。

引用『むかしの写真土浦』(土浦市立博物館)
引用『むかしの写真土浦』(土浦市立博物館)

上の写真は昭和13年(1938)頃の匂橋から見た市街の様子です。洪水に見舞われ、町が浸水してしまっていますが、道がまっすぐであったことがわかる一枚です。

野田さん「大正11年に阿見に霞ヶ浦海軍航空隊が開設されたことを受けて、市内に点在していた料理店などが埋立地に集められました。栄町と呼ばれるこの一帯に繁華街が出現したのは大正15年頃。これによって土浦の市街地はいっそう賑わいます」

栄町の目抜き通りであるこの道沿いには信号もなく、ただまっすぐに続くこの道こそ、当時の土浦を感じることのできる名所です。

幕末の彫工が社殿を手がけた小さな神社

匂橋を背にして左側の土手沿いを歩いていくと、右手にまた大きな通りがあります。この通り沿いにあるのが「栄稲荷神社」。朱色の奉納旗と鳥居が目印です。

野田さん「この神社は、元々は中城町のとある商家に勧請されていたものだそうです。その商家は醤油醸造業を手がけていたのですが、諸事情があって事業をおやめになります。その番頭をしていた方が醤油醸造を引き継がれました。醤油蔵などとともにお社を引き継いで、小松の工場、さらに栄町の屋敷へと遷されました」

町名である栄町は、昭和47年(1972)に実施された土浦市の住居表示整備・町界町名整理によって、桜町へと名称が変更されて旧町名の歴史は幕を閉じます。

栄町がここにあったという歴史を残すために「栄稲荷神社」という名が付けられたそうです。

この神社の社殿は、後藤縫殿之介(ごとうぬいのすけ)という幕末の彫工が手がけたもの。

後藤縫殿之介の手がけた彫刻作品は、成田山新勝寺の本堂(現・釈迦堂)や笠間稲荷神社の社殿などが有名で、その実力は明治10年(1877)には、第1回内国勧業博覧会に出品した獅子の彫刻で「花紋賞」が授与されるほど。

貴重な社殿ということで、平成22年(2010)に土浦市の指定文化財に。小さな神社なのでつい見逃しがちですが、土浦の歴史を感じられるハッケンスポットですので、ぜひ参拝に訪れてみてください。

<栄稲荷神社>
住所:茨城県土浦市桜町二丁目10 MAP

古い建物を見て回るのも桜町ならではの楽しみ

「桜町界隈にはところどころに古い建物が残っていて、見て歩くのも面白いんですよ」と野田さん。夜は闇の中に姿を消してしまう建物たちも、日中にはくっきりとその姿を楽しむことができます。

電灯に表示された店名を見て歩くのも楽しいですし、今では希少なトタン造りの建物を見つけることも。

「こんなところに路地があったんだ」「あの建物はいつの時代からあるのかな」などと想像しながら歩くのも一興です。

栄町、匂町の旧町名の由来の刻まれた石柱もぜひ探してみてください。

<栄町の石柱>
茨城県土浦市桜町二丁目9-12(桜町二丁目公民館敷地内) MAP
<匂町の石柱>
茨城県土浦市桜町三丁目13-6(関東信用保証会社前) MAP

土浦在住ライター(土浦市)

土浦市在住のフリーランスの編集・ライター。海外・国内の旅行関連のガイドブックや書籍制作をはじめ、ブライダル情報誌の編集にも携わる。食べること・飲むことが好きで、趣味が興じて最近では食を中心にWEB、紙媒体などで取材執筆活動中。地元土浦の飲食パトロール、歴史やカルチャー学習も積極的に行っています。

コイケケイコの最近の記事