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世界遺産富岡製糸場における防火設備の今昔を紹介!明治時代から高い防災意識が分かる

栗栖成之防災士×探偵ライター
筆者撮影

2023年12月に世界遺産である富岡製糸場に行ってきたのですが、世界遺産として現代まで存在し得た理由のひとつと思われる、高い防災意識に驚かされました。

そこで今回はみなさんに、富岡製糸場の防火設備の今昔をお伝えします。

雨水を無駄にすることなく防火水槽に溜めている

写真のように富岡製糸場の建物全てにおいて、雨樋を上手く加工して雨水を防火水槽に溜める仕組みとなっています。

多くが建物の東西南北の各面の雨水を1箇所に集めて、大きな防火水槽に溜まるようになっていました。既に壊れている防火水槽もありますが、現在でも雨樋は傾斜がつけられていて、当時の防火水槽に雨水が集まるようになっています。

これをみて「なるほど!」と思わない方はいないでしょう。この防火水槽が明治5年からある歴史的な遺物であり、建物を火災から守る知恵がつまっているのです。

現在でも引き継がれている理由

写真を見ればお分かりのように雨樋は新しくなっていますが、仕組みを変えることなく当時のまま再現されています。

製糸場内の案内の方に伺うと、「富岡製糸場の歴史や文化財としての価値を伝え、貴重な遺産として後世へ残すことが重要」なため、補修はしていますが仕組みは変えていないとのこと。そのため、破損した防火水槽も当時のまま残されているようです。

女工達の健康管理は敷地内の診療所で行われていた

写真は1940年(昭和15年)に建てられた診療所で、当初から数えると3代目に当たるそうです。富岡製糸場内には開業当時の明治5年から診療所が開設されており、医師は日本人でなくフランス人が治療に当たっています。

東洋医学でなく西洋医学に長けた医師が常駐していることから、世間と比較しても待遇のよさが伺えます。

女工の多くは旧士族などの娘が多く、よい待遇を受けている

開業した1872年(明治5年)時点での女工の人数は210人で、必要人数の半数程度だったようです。そのため翌年には旧士族の娘たちが集められ、404人態勢でフル稼働に至っています。

そのため、一般的にイメージしてしまう身売りされ強制労働的なことは一切なく、エリートとして集められ労働時間は7時間45分、日曜日は完全休日であり朝・昼・晩の3食が与えられ、当時では珍しいお風呂も毎日入浴できるなど、好待遇で不自由なく働いていたようです。

2018年(平成30年)から最新の防災設備が設置されている

富岡製糸場が世界遺産に登録されたのが、2014年(平成26年)6月25日です。その後2018年(平成30年)より、製糸場内全ての建造物を火災から守り後世に維持継承するため、総合防災工事が開始され2020年度に1期工事が終了しています。

消火用水を製糸場内各所に送るために、直径約30cmのパイプをいたる所に配置。当時の景観を損ねないよう目立たない着色がされていますが、知らずにパイプを見つけると「なんだこれ!」と驚くほどです。

世界遺産は多くの地元の方たちに守られていた

富岡製糸場はとても広く、一通り見て回るだけで約1時間~1時間半かかります。これだけの広大な敷地に建つ木造建築物を守るためには、多くの地元の方の努力がありました。

暖冬とは言え、暖房のない吹きっさらしの建物の前で観光客を案内するスタッフや、広い倉庫の2階で出迎えるスタッフ。当然観光客の案内もありますが、心無い観光客による落書きや、歩きタバコなどから施設を守る役割も担っています。

今でも蚕のさなぎを食す文化が残っている!

ご当地グルメというものはその土地によって変わりますが、富岡地方では現在でも蚕のさなぎを食す文化が残っていました。

写真のお土産屋さんでは店頭に乾燥した蚕のさなぎが販売されており、現地のお年寄りは現在でも美味しくいただくそうですよ。

物珍し気に除いていたら「よかったら食べてみていいよ!」とおすすめされましたが、筆者はイモムシ系が超苦手なので丁重にお断りしました。

防災士×探偵ライター

これまで、洪水・土砂災害・地震・津波・高潮など、あらゆるハザードマップを作成。2017年に防災士とひょうご防災リーダーの資格を取得。2014年からWEBライターとして活躍し、現在では経験と資格を活かしてさまざまなメディアに多ジャンルにて記事を投稿中!フリーでの執筆活動をメインにしつつ、探偵として地域の困りごとも解決している。

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