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「ALSの親友と一緒に日本料理を楽しみたい」 誰もが一緒に楽しめる箸の開発秘話

佐々木航弥映画監督・映像ディレクター

障害がある人とない人が、ともに気兼ねなく料理を楽しみたい――。東京都で障害者支援に携わる前田有香(35)さんが、そんな思いで立ち上げたプロジェクトが「ちがいとけあう食事会」だ。その最初の集まりがこの秋、京都市内で開かれた。参加したのは前田さんの親友で筋萎縮性側索硬化症(ALS)を患う高橋由香(40)さんと、前田さんが招いた健常者たち。そこで全員に出されたのが、前田さん特製の「お箸」だ。見栄えがよく、手先の不自由な高橋さんでもうまく使えるように工夫が凝らされていた。障害者と健常者の「違い」をなくすための最適解を見つけるのではなく、違いがあるまま一緒に「同じ」体験を楽しむ場を広げたい。一風変わったお箸には、こんなメッセージが込められていた。

●高橋さんとの食事は無意識に食事がしやすい環境を選んでいた

京都市四条の京料理店「木乃婦(きのぶ)」で開かれたプロジェクト初の食事会。集まった面々の前に並べられたお盆の上には、端正な木製の箸置きに載った一見するとトングのような変わった箸が置かれていた。「どうやって使うのだろう?」。こう首をひねる人もいた。

前田さんが「ちがいとけあう食事会」を企画したのは、あるコミュニティを介して知り合った高橋拓児(54)さんとの出会いがきっかけだった。拓児さんは木乃婦の三代目主人。京料理の常識にとらわれない独創的な懐石料理を考案してきた。

ある日、前田さんが友人と木乃婦に食事に行こうとして、ふと気づいたことがあった。だれと一緒に行こうかと考える時に、お互いに「マエユカ」「タカユカ」と呼びあう親友の高橋さんを無意識に候補から外していたのだ。高橋さんは、数年前に ALSと診断されていた。手足など末端の筋肉から弱り始めるため、手先が不自由だ。

「タカユカと外食するときは、いつもマナーが重視されないファミリーレストランなどを無意識に選択してきた。ファミレスではフォークもお箸も置いてあるので、彼女が食べやすいものを選択できる。でも、日本料理はマナーが大事。いくら周りが気を遣わないと言っても、彼女自身がうまくお箸を使えないことで、周りの目を気にしてしまうだろう」と前田さん。そう思い込んでいた自分自身にショックを受けたという。そこで企画したのが、健常者を招いて高橋さんとともに日本料理を楽しもうという会だ。

●前田さんが研究する「ケイパビリティ・アプローチ」とは?

前田さんはかつて、障害者支援学級の教師をしていた。小学校教諭を目指していた大学時代にボランティアで障害がある子どもたちと触れあい、その純粋な心にひかれたのがきっかけだった。支援学級の教師を3年務め、障害者の目線に立って初めて気づいたのが、障害者が最低限の暮らしをできるサービスは増えてきたが、それ以上のサービスはほとんどない現状だった。思い立ったらすぐ行動に移す性格。教師を辞め、障害者を取り巻く環境を根本から変えようと、一般企業で障害者にかかわる業務を担当しつつ、大学院で障害者のケイパビリティ・アプローチの研究をしている。

ケイパビリティ・アプローチとは、各個人が自由意志によって、自分の人生を豊かにするための選択ができる状態にあるのかを計る指標のことである。簡潔にまとめると、あらゆる人が社会的背景(貧困や身体障害など)を踏まえても、人生を豊かにする選択を平等に「できる」状態にしようという考え方だ。現状では障害者が生きる上で「できないこと」が多く存在する。前田さんは「例えば私たち健常者が何かスポーツをしたいと考えた際には、『やりたくないからやらない』という選択も含めて、自由にどんなスポーツをやるのかを選択できる。それに対して、障害を持つ人はそもそもやりたくてもできるスポーツが限られてくる」という。

日常生活においても、障害者はそういった人生を豊かにするための選択の自由が少ないことが多くある。例えば、エレベーターが設置されている駅は増えたが、乗るにはホームの端っこまで行かなければならない。「最低限の暮らしは担保されているが、まだまだ何不自由なく、かつ人生を楽しめるようなサービスは少ないと感じる。特に食に関しては、より少ない気がする。私もタカユカも食べることが大好きで、美味しい料理を食べるにはお金は惜しまないが、健常者と同じように楽しめるサービスは存在しない。『最低限の暮らしができるからいいよね』にとどまらず、障害がある方でももっと楽しめるサービスを考えていきたい」という。プロジェクトには「障害者でも人生を楽しむ『贅沢』ができるサービスがもっと存在すべきだ」というメッセージも込められている。このプロジェクトもまさにケイパビリティ・アプローチの考えを発信するひとつの動きと言える。

●誰もが同じように使える箸の考案

前田さんがプロジェクトを進める上でまず着目したのは箸だった。障害者でも使いやすいユニバーサルデザインの箸もあるが、無機質で、いかにも「介助される側の物」というデザインばかりだった。一方、前田さんは高橋さんだけが使いやすい箸にするのではなく、健常者にも同じ箸を使ってもらうことをめざしている。

そこで拓児さんの協力を得てつくったのが、トングのように使える木製の箸だ。高橋さんに試作品を使ってもらい、改良を重ねた。「プラスチックの市販のお箸より、コンビニなどでついてくる割り箸の方が滑らなくて使いやすい。最近は質の高いツルツルしたものもあるが、昔ながらのザラザラした材質の方がありがたい」。こんな高橋さんの声を尊重して、質感を重視した。何といってもこだわったのはデザインだ。高級感を出すことで、日本料理の席でも違和感がないようにした。

前田さん宅に高橋さんを招き、試作品で食事をした時のことだ。高橋さんは「みんなは普通に箸置きに置けるけど、私は手が震えるから箸置きに置くことも難しい。せっかくきれいに食べられても、最後にお箸を置けないのはマナーとして良くないと思う」という。最終的には高橋さんでも簡単に置ける箸置きも作り上げた。こうして、これまでにない新しい箸が誕生した。

●2人のユカ

前田さんは、障害者向けファッション誌の編集をしていた時に、モデルをしていた高橋さんと出会った。ともにスポーツ観戦が好きだとわかり、一気に距離が縮まった。前田さんが仕事でパラスポーツに関わるようになった際には、2人で車椅子ラグビーの観戦に足繁く通った。名前の読みが同じことから「ダブルユカ」としてファンの間で有名になるほどだったという。

「タカユカは学生時代には陸上部でとても活発。リハビリとは関係なく、今も筋力トレーニングを欠かさない。普通に歩くこともままならない状況なのに、ある日、突然『ジャンプがしてみたい』と言いだして。単純にやりたいから練習するというその姿勢が好き。彼女と一緒にいると自然と元気をもらえる」と前田さん。高橋さんも「マエユカは私が長野から上京したいと考えていたときも背中を押してくれた。今も近所に住んでいるのでよく遊んでいる。社会人になってこんなに頻繁に会う友人ができるとは思わなかった」と笑う。

●「ちがいとけあう食事会」

木乃婦での食事会。前田さんが招いた知人はみな健常者で、はじめは箸の使い方に戸惑った様子だった。だが、食事が進むにつれ、それぞれが食べやすい使い方を考え、近くの人と話しながら料理を楽しみ始めた。

高橋さんは、こう声を弾ませた。「いつもは私だけが不自由な思いをしているけれど、今日はみんなが最初はお箸の使い方に困っていて、それでも最後は同じように食事を楽しんでいたのが新鮮だった。やっぱり、お箸も含めて食事を楽しむということなんだと思った」

前田さんも「タカユカは普通のお箸よりは使いやすくて、健常者は初めてのお箸だからちょっと使いづらくて、結果的に同じ目線で食事を楽しめたのは新たな気づきだった。お箸や料理の話題で持ちきりで、もはや誰もタカユカの障害のことなんて気にしていなかった」と満足気だ。

前田さんは、これからプロジェクトをどう広げていくのだろうか。

「使いたい人がいたらこのお箸を使ってもらいたい。でも、別にこのお箸が正解というわけではない。次回はフレンチなどフォークとナイフを使うお店で食事会を開催したい。友人の中には手首から先がない人もいる。タカユカもフォークとナイフは使いづらいと言っていた。どんどん輪を広げていって、障害者でも健常者でも同じように楽しめるサービスをどんどん作っていきたい」

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記事・撮影・編集・監督
佐々木航弥

映画監督・映像ディレクター

1992年生まれ。岩手県宮古市出身。大阪芸術大学卒業。AOI biotope所属。大学時に映画監督の原一男に師事。撮影・編集・監督をした卒業制作のドキュメンタリー映画「ヘイトスピーチ」(2015年)が座・高円寺ドキュメンタリーフェスティバルのコンペティションで入賞。その後、劇場公開される。その他、撮影・編集・監督をしたドキュメンタリー映画「僕とケアニンとおばあちゃんたちと。」(2019年)「僕とケアニンと島のおばあちゃんたちと。」(2022年)を劇場公開している。

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