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前身は新日鉄釜石 地元密着チームの課題と「選手兼事務局員」26歳ラガーマンの奮闘

佐々木航弥映画監督・映像ディレクター

岩手県釜石市といえば、長年のラグビーファンにとっては特別な思いがある地名だ。ここを本拠地とした新日鉄釜石ラグビー部は1979年からラグビー日本選手権7連覇を果たし、「北の鉄人」と呼ばれた。その後身の「釜石シーウェイブスRFC」に所属する美崎正次さん(26)は2023年9月のある日、市内の小学校で児童たちと体育館を駆け回っていた。子どもたちにラグビーに親しんでもらう体験授業の一環だ。美崎さんは釜石SWの選手兼事務局員。その生活を支えているのは、事務局員としての収入のみだ。19年に国内初のラグビーワールドカップ(W杯)が開かれ人気に火がついた日本では、23年のフランス大会も大きな注目を集めている。華やかな国際試合の一方、競技を続けるためには練習時間を削って働かなければならない選手たちも多い。そんな日本ラグビーの裾野を支えるひとりである美崎さんの日々に密着した。

■「選手兼事務局員」の日々

釜石シーウェイブス(SW)は、日本最高峰のラグビーリーグ「リーグワン」のディビジョン2に所属している。北海道・東北地方で同リーグに参戦している唯一のチームだ。

美崎さんは釜石SWで選手として活動しつつ、地元企業で働く「会社員選手」だった。しかし、今年の8月にその職場を退職。「アルバイトで食い繋ぐことも考えた」という美崎さんに手を差し伸べたのが釜石SWだった。選手としての活動を続けるかたわら、チームの事務局員として働くことになった。

午前8時からウェイトトレーニングをこなし、10時には事務局に出勤。18時からチームの全体練習に参加する。事務局員としては電話の応対やチームのスケジュール管理、宣伝などあらゆる業務をこなしている。

釜石SWに所属する選手には大きく分けて3つのパターンがある。競技に専念するプロ選手、チームを経済的に支えているパートナー企業日本製鉄の社員選手、そして地元企業で働きながらプレーする社員選手の3つだ。プロ契約の選手はもちろん、日本製鉄の選手も学生時代などに活躍した選手がほとんどだ。

リーグワンは2021年に発足した。前身の「トップリーグ」が企業チームで構成されていたこともあり、参戦しているのは首都圏や大都市の企業がほとんどだ。地域や行政と連携して地元に応援されるチームをめざすのがリーグワンの理念だが、そもそも地方を本拠地とするチームは少ない。その中で古くから地域と関わる釜石S Wは貴重な存在である。

美崎さんは和歌山県有田市出身。小学生でラグビーと出会った。本格的に取り組んだのは、近畿大学附属和歌山高校に進学してからだ。全国高校ラグビー大会、通称「花園」にも出場。近大に進んだが、度重なるケガや首脳陣との考え方の違いなどもあり、公式戦は未出場で終わった。「まだまだ自分はやれるという悔しさがあった」という美崎さんは、コーチからの勧めで受けた釜石SWのセレクションに合格した。ポジションは、ラグビーの要と言ってもいいフランカー。リーグワンのほとんどのチームでは、外国人や日本代表クラスの選手が担っている。釜石SWも同様だ。

美崎さんは、2021〜2022年のシーズンは主力選手のケガなどで活躍のチャンスをつかんでいた。だが、そこでの無理がたたって足首を痛め、2022〜2023年は出場試合が激減した。

■地元に支えられる釜石のラグビー

人口3万人ほどの小さな町で釜石SWが活動を続けているのは、栄光の歴史があるからだ。新日鉄釜石ラグビー部は東北・北海道の高卒選手らを徹底的に鍛え上げ、1970年から85年まで全国7連覇の偉業を成し遂げた。東京・国立競技場での決勝戦には6万人もの観客が訪れ、小さな町のラグビー部は観客を魅了した。

しかし、85年を最後にチームは低迷を始める。2000年の入れ替え戦で敗北し、下部リーグに落ちた。新日鉄本社が運動部の強化を抑制する方針を決定した時期と重なり、チームの存続も危ぶまれた。

釜石の人々は市民の誇りのチームの存続を願った。そこで誕生したのが釜石SWだ。企業チームから地域密着型のクラブチームとして再出発。新日鉄社員だけでなく、地元企業で働く選手も参加できるようになった。市役所の職員や学校の教師などさまざまな職種の選手がひとつのチームになって戦ってきた。

2011年3月に東日本大震災が起きると、活動を一時休止してボランティア活動に参加した。そして19年W杯の日本開催が決まると、釜石市は開催地として名乗りをあげたのだ。

新日鉄ラグビー部や釜石SWでプレーしてきた元日本代表の桜庭吉彦GMは「震災で家族を亡くされた方々を間近で見てきたので、W杯を誘致するのは正直、反対だった。しかし、『釜石でワールドカップを見たい』と多くの声を頂いた。そこで私も目が覚めた。そういった方々を勇気づけられるならと、開催地に立候補した」と振り返る。

津波で流されてしまった小・中学校の跡地に「釜石鵜住居復興スタジアム」が作られた。フィジー対ウルグアイ戦が行われ、国内外から多くのラグビーファンが訪れた。ウルグアイが勝利する番狂わせによって、世界のラグビーファンに「釜石」の名が知れ渡った。

釜石SWはその釜石鵜住居復興スタジアムを本拠地にかまえる。桜庭GMは「ほとんどのリーグワンのチームが専属のホームスタジアムを持てない中、我々がホームスタジアムをかまえることができているのは幸せなこと。津波で流された小・中学校の跡地であり、W杯の試合が行われたスタジアムでプレーできることを誇りに思って選手たちは戦ってくれているはず」と語る。

美崎さんは当時、釜石SW入団1年目で、地元のレンタカー店で働いていた。「こんな小さな町にあんなに多くの人が訪れるなんて信じられなかった。仕事が忙しくて試合は見られなかったが、肌でワールドカップの雰囲気を味わうことができて感動した。中学生の頃にテレビで釜石の震災の映像を見た。そんな釜石でW杯が行われるなんてすごいこと。ここでラグビーができるのは自分の人生にとって貴重な経験だ」と語る。

とはいえ、都市部のチームと比べ、釜石SWが置かれている状況は厳しい。日本製鉄のサポートは未だに大きいが、その他のスポンサーは地元の小さな企業がほとんどで財政状況は安定しない。地域密着型の理想を掲げるものの、その道は険しい。他のリーグワンのチームは都市部の地の利を生かした豊富な資金力を背景に積極的に補強を進め、近年は世界的なスター選手の獲得も話題だ。一方、釜石SWが獲得した選手は大卒新人がほとんどで、今のところ外国人選手の顔触れは昨シーズンと変わらない。

リーグワンの中で、地域企業で働く選手がいるのは釜石SWとディビジョン3に降格した清水建設江東ブルーシャークスだけだ。それでも2年続けてディビジョン2に残留できている要因について桜庭GMはこう話す。

「我々は地元の企業に支えられ、地域の方々に熱い応援をいただいている。その団結力こそが強み。無理して資金を増やすのではなく、身の丈にあった戦い方をしていきたい」

■「いまはこの町のために」。美崎選手の思い

釜石SWは今年から行政と連携して小・中学校を中心にラグビー教室を開いている。子どもたちにラグビーを体験してもらうためだ。美崎さんはこの教室の企画・運営を任され、小・中学生と一緒に汗を流している。

その狙いについて美崎さんは「昔からチームを知っているのは40代以降の方々が多い。若い人に少しでも釜石SWに興味を持ってもらうことが今後の課題。まずはラグビー体験を成功させる。それからは新たなグッズの展開などを積極的に提案して、釜石をもっと『ラグビーの町』にしていきたい」と話す。

12月に始まるリーグワンのシーズンにも、選手として目を向ける。「僕の課題はラインアウトなどセットプレーとディフェンス。まだまだ、ラグビーをうまくなれると思っている」

9月にはフランスでW杯が開幕し、国内でもさらに人気が高まっている。「(日本代表の)ジョネ・ナイカブラ選手は大学時代に同じリーグで戦った。他にも何人も対戦したことがある選手が代表に選ばれている。とても刺激を受けている」と語る美崎さん。日本代表は全員がプロで美崎さんとはおかれている環境に雲泥の差がある。それでもこれから行われるリーグ戦では、そうした選手たちと戦っていかなければならない。

「やっぱりラグビーを続けている以上、W杯への憧れはある。でも、まだまだ実力が足りないことも理解している。小学生のとき初めてラグビーをやって楽しいと思った気持ちが未だに続いている。やめられないものを手に入れた」と美崎さん。「町を歩いていると色んな人たちに声をかけられる。選手が町に溶け込んでいる。こんな町は他にない。最初、釜石に来たときは山に囲まれて息苦しい町だと思っていたけど、いまはこの町のためになりたいと、より一層思うようになった」

ラグビーは地域とどう共存していけばいいのか。美崎さんや釜石SWは、これからも発信を続けていく。

【この動画・記事は、Yahoo!ニュース エキスパート ドキュメンタリーの企画支援記事です。クリエイターが発案した企画について、編集チームが一定の基準に基づく審査の上、取材費などを負担しているものです。この活動はドキュメンタリー制作者をサポート・応援する目的で行っています。】

「ラグビーワールドカップ2023」が、2023年9月8日から10月28日まで開催されます(現地時間)。Yahoo!ニュースでは、オリジナルコンテンツを通して、大会をより一層楽しめる情報をお届けします。

映画監督・映像ディレクター

1992年生まれ。岩手県宮古市出身。大阪芸術大学卒業。AOI biotope所属。大学時に映画監督の原一男に師事。撮影・編集・監督をした卒業制作のドキュメンタリー映画「ヘイトスピーチ」(2015年)が座・高円寺ドキュメンタリーフェスティバルのコンペティションで入賞。その後、劇場公開される。その他、撮影・編集・監督をしたドキュメンタリー映画「僕とケアニンとおばあちゃんたちと。」(2019年)「僕とケアニンと島のおばあちゃんたちと。」(2022年)を劇場公開している。

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