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「にっぽんの音 身近に」 ーー街中で“和の音“減少、伝統と革新の着地点を探すギタリスト

庄輝士映像ディレクター

「リスナーと継承者が減少している」。日本の伝統邦楽の担い手達が危機感を抱える中、伝統の旋律を現代音楽に取り込み、現代のリスナーに届けようと奮闘するギタリストがいる。渥美幸裕さん(39)は、「今の生活環境に合わせた新しい日本の音楽を作りたい」と話す。伝統邦楽の担い手たちとともに歩む渥美さんの音楽作りに迫った。

<答えられなかった日本の音楽>

渥美さんはかつて、10年ほど東京でスタジオミュージシャンや、シンガーのバックミュージシャンとして活動していた傍ら、自身のオリジナル作品も積極的にリリースしていた。拠点を海外へ移そうと下見に訪れたヨーロッパで人生の転機を迎えた。現地のミュージシャンが自国の音楽について語る中、渥美さんは日本の伝統邦楽について何も答えることができなかった。以来、日本の伝統邦楽の仕組みを学び、自身の楽曲へ組み込むことを決意。フラメンコやボサノヴァなど、その土地から生まれるギター音楽のような「日本の伝統邦楽から派生したギター音楽」の制作を目指して2012年、京都に移住した。伝統邦楽の奏者達に声をかけ、その仕組みを学び始めた。

<にっぽんの音 ギターで表現>

最初にぶち当たったのは、伝統邦楽ならではの壁だった。多くの楽曲が口承で楽譜が無いため、仕組みを学ぶのは困難を極めた。「曲を何百回も聴き、ノイローゼになりそうだった」ほど、精神的に追い込まれた。地道に活動を続け数年たった頃、”日本の音”の特徴に気づき始めたという。「JazzやRockなどアフリカ派生の音楽はハートビート(心音)をベースに作られているのに対し、日本の音楽は呼吸や間をベースに作られています。そして、それらの間は自然の中での生活や、農作業などの効率を上げる中で生まれたものでは無いかと感じています」。古の日本人が編み出して来た、日本の音の根源だった。

「音楽が作られる五大要素があって、メロディ、リズム、ハーモニー、ニュアンス(歌い方)、グルーヴ(ノリ)。これらの要素を全部邦楽のキャラクターにしていくと、ギターだろうが洋楽器だろうが、邦楽になるんじゃ無いかと考えています」と渥美さんは話す。これらの考えの元、日本のルーツを自身の演奏スタイルに取り込み、新しい邦楽の形を模索してきた。

多くの邦楽奏者と携わり、また自身も一緒に演奏をする機会を得ていく中で、伝統邦楽全体のリスナー減少、そして継承者の不足に気付いた。自身の活動が彼らにとって何かしらの貢献になれば、と考えるようになったという。遡れば平安時代の雅楽から続く日本の伝統邦楽に一体何が起きているのか。そこには日本の生活環境や音楽教育の欧風化や、主に伝統邦楽界に見られる師弟制など様々な要因が絡んでいた。

<リスナーと継承者の減少 背景に時代の流れと業界の仕組み>

渥美さんが定期的に三味線の稽古を受けている、宮川町(祇園の南に位置する花街)のお茶屋 花傳の柳 古美糸乃さんは「戦後の音楽教育で和の音が外されてしまった。戦中・戦後生まれの方がお座敷で遊ぶようになった時にカラオケが出て来て、それまで市民のポップスだった端唄・小唄も歌われないようになった」と話す。

三味線や端唄、小唄の音楽的な表現を増やすために、渥美さんとのコラボレーションに期待を寄せている。「西欧音楽でしたら色んな楽器が、オーケストラとかいう風に、組み合わさってできてますよね。三味線の音というものを決まりきった形ではなく、違う何かと合わせて、お互いがお互いを良くするような、そういうコラボレーションというのを必ずあるはずだと思ってますので、模索できたら良いなと思いますね」。

渥美さんは洋楽的な音楽が演奏される日本の状況に対し「日本が洋楽的な(音楽の)魅力を消化する時だと思う。消化した先に日本の音楽の新しい姿がある」と考える。

渥美さんの主催する「邦楽2.0」のプロジェクトに参加し、度々共演をしてきた小山豊さんは、津軽三味線小山流の三代目だ。「伝統邦楽のリスナーの年齢は若くても50代、あと30年ほど経つとそこで聴く人がいなくなるのでは無いか、という危惧があります」と危機感をあらわにする。

小山さんは、それらの状況に陥った理由を生活環境の変化と指摘する。「街中で和の音が聴けることが少なくなった。個人的な意見だが、曲調が今の生活にどうやっても合わないので、良い物は残して、勇気を出して変えるべきところは変えないといけないと思っています」。

また小山さんは、業界特有の制度が原因で後継者が減少してきているとも感じている。邦楽と言われる多くのジャンルは、楽器や唄を始める垣根が高く、縦のつながりが強いことが挙げられるという。「協会などを作って、”この形じゃないとダメですよ”という風にして守ってきた。これはある意味素晴らしい面でもあるが、門戸を閉ざす要因にもなってしまった。現在は流派に属さず、個人での名前で活動を希望する方も見られます」と弊害も指摘する。

<曲作りの難しさ、渥美さんの葛藤>

もともと東京でスポットライトを浴び、ミュージシャンとして成功を掴んだ渥美さん。突然大きく邦楽のスタイルに舵を切ったことで、その難しさから「辞めようと思ったこともある」と振り返る。初めて自身のスタイルを前面に出したギターを人前で披露した時には、驚くほど反応が無かったそうだが、ここ数年で徐々に評価をしてくれる人が増えてきた。昨年リリースしたアルバムは、iTunesとApple Musicのインストゥルメンタル部門で、世界7カ国で1位を獲得するまでになった。自身のビジョンに共感した他アーティストからも、共演やコラボレーションの声がかかることも増えた。枯山水庭園「波心の庭」で知られる東福寺 光明院(京都市東山区本町)での演奏の機会も得て、そこには老若男女幅広い年齢層のオーディエンスが集まった。

<伝統と革新の着地点を探すということ>

日本の生活様式や価値観の変化に伴い、日本の伝統文化が長い時間をかけて日常生活から離れた特殊なものとなり、文化そのものの存続が危ぶまれるケースも出てきた。伝統を守るために現代の生活様式を日本古来の生活に戻すことはもはや現実的では無い。もともとあった文化と入ってくる他国の文化、伝統と革新、一見対立する事象の着地点を見つける渥美さんの姿に、解決の糸口があるように感じた。

クレジット

取材協力:
小山豊
柳古美糸乃
BANG ON STUDIO 代官山
THE GLEE
両足院
東福寺 光明院
丹羽優太

映像素材提供:
Ryu Kodama

映像ディレクター

京都府出身で関西を中心に映像制作を行う。大学で語学を学んだのち映像の世界に入り、様々なジャンルの映像制作に携わって来た。語学力を武器に海外のクライアントとの映像制作にも積極的に参加し、英BBCなど海外メディア媒体のショートドキュメンタリーの制作も任されてきた。自分の視点での日本のストーリーを世界に発信中。

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