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徳之島を「世界最北端のコーヒー豆生産地」に――失敗と試練の40年、挑戦を続ける76歳

庄輝士映像ディレクター

鹿児島県の離島・徳之島。今年7月、奄美大島や西表島とともに世界自然遺産に登録された。この島を「世界最北端のコーヒー豆生産地」にするべく、約40年にわたって奮闘している人がいる。台風の被害を受けて仲間が去ったこともあれば、出稼ぎをして生活をつないだ時期もあった。試練続きの道のりだが、今では外部企業、役場、生産者が一体となり、徳之島の新しい産業として盛り上げている。「あと5年もすれば、コーヒー豆栽培でご飯を食べていける人が何十人も出てくる」。人生を捧げる「国産コーヒー豆作り」について聞いた。

●「馬鹿じゃないのか」と言われた無謀な挑戦

「徳之島を国産コーヒーの生産地にしたい。もし仮にこれが成功すれば、世界で一番北のコーヒー生産地にもなる。(周囲からは)『あいつ馬鹿じゃないのか』というのが一つと、『ようやるね』と」。

そう話すのは、徳之島コーヒー生産者会会長の※吉玉誠一さん(76)だ。奄美大島と沖縄本島の間に位置する人口約2万人の徳之島。動植物の多様性が認められ、2021年7月、世界自然遺産に登録された。主な産業はサトウキビ、ジャガイモなどの農業と近海漁業だ。

吉玉さんが徳之島にやってきたのは、1980年のことだ。36歳の頃だった。

「10代の頃、農業移住者としてブラジルに移民するという夢がありましたが、周りの反対もあってあきらめました。それから月日が流れ、サトウキビの収穫に携わるため、徳之島へ来ることに。夢の続きが見られるとよいなと思っていました」

徳之島に来て2年目、吉玉さんはキャッサバが生えているのを発見した。キャッサバといえば、熱帯で栽培される作物。ブラジルでは日常的に食事に使われる食材でもある。ブラジルに憧れていた吉玉さんは、かの地の植物を見て「天地がひっくり変えるほどの衝撃を受けた」と振り返る。

「こ〜れは大変な島だ。無限の可能性がある、と。キャッサバが育つなら、熱帯果実、熱帯作物を作っていけるだろう。もともとコーヒーに興味があったこともあって、コーヒーノキがあれば成功するというふうに考えました」

吉玉さんは知人の紹介でコーヒーノキ(コーヒーの木)を譲り受け、畑を借り、コーヒー豆の栽培を始めた。

そもそもコーヒー豆は、赤道を中心とした南回帰線から北回帰線の間にある熱帯地域を中心に栽培されている。「コーヒーベルト」と呼ばれる地域だ。全日本コーヒー協会の統計によると、日本はブラジル、ベトナム、コロンビアからの輸入が大半を占める。日本はコーヒーベルトから外れているが、国内でも少量生産されていて、主な生産地は小笠原諸島、沖永良部島と沖縄県名護市などだ。徳之島で実現すれば最北端になると吉玉さんは考えた。

●台風で「全滅」。生活のために出稼ぎへ

コーヒー栽培は土壌、気候、標高などが複雑に関係する。山の傾斜など、高地で育苗することが多い。高い山ほど昼夜の気温差が大きく、豆の味が引き締まるといわれているが、気温が高すぎたり低すぎたりすると生育に適さない。高温多湿を嫌い、害虫や病気にも弱いため、生産者は常に気を使う必要がある。

意気込んで栽培を始めた吉玉さんだったが、海の近くは塩害、山の上は冬が寒すぎて枯れてしまった。コーヒーノキは永年作物で、手入れ次第で30〜50年収穫できるものの、収穫までには数年を要する。まず1年間の育苗期間。その後、畑に植えつけられ、そこから3年を経て徐々に芽をつける。本格的に収穫できるのは種の段階から5、6年経った頃で、そこで初めて味が分かる。

収穫すれば「成功」というわけでもない。1987年、吉玉さんは収穫した豆を初めて知り合いの喫茶店に送り、焙煎してもらった。ところが、豆が焙煎に負けて炭になってしまった。原因が分からず、トライし続け、焙煎に耐える豆が作れたのは4年後だった。「今思えば、低地での栽培が影響していたのかもしれない」と吉玉さんは言う。除草、乾燥防止、堆肥作りなど、あらゆることを試した。

加えて、徳之島は台風の通り道として知られ、何度もコーヒーノキが「全滅」した。

「途中でメンバーが増えたりしてよかったんですけども、台風が連続してきて、若木が全部ぶっ倒されて、枯らされたというのがありました。そこで諦めてやめられた方がかなりいて。コーヒーでご飯を食べるのは大変なことだな、と。ちょっと出稼ぎに行ったりしながら、時間を費やしてしまった」

「ものすごく寂しいんだけども、生きてる木が若芽を吹き返していく。ああ、これはまだやっていける可能性はある、と思いました。全部枯らされたわけじゃないから。大した収穫量もとれなくて、ゆっくりゆっくりとやってきたっていう感じです。家内が一生懸命支えてくれた。今でもとても感謝している」

格闘すること、およそ30年――。ようやく人に提供できる、納得のいく味のコーヒーができた。「これが自分のコーヒーの味か、と。おいしかったです」と、吉玉さんはその時のことを振り返る。

●35年を越える格闘の後に訪れた転機

逆境ばかりのコーヒー豆作り。約35年の月日が流れた後、思いも寄らない転機が起きた。別件で来島していた丸紅株式会社の飲料部長が、吉玉さんのコーヒーに目を留めたのだ。部長一行は、吉玉さんの妻が営業している喫茶店でコーヒーを飲み、その後、吉玉さんの畑を訪れた。

吉玉さんは「視察だけだろう」と思っていたが、1カ月後、丸紅株式会社と味の素AGF株式会社から「和菓子とコラボレーションする国産のコーヒーを作りたい」と声がかかった。

突然の展開に、吉玉さんはすぐに返事ができなかった。徳之島コーヒー生産者会や徳之島伊仙町役場と相談の後、決意を固める。2017年、徳之島コーヒー生産者会、伊仙町役場、丸紅株式会社、味の素AGF株式会社で4者プロジェクトを発足させた。

個人の栽培規模とは打って変わり、畑が増加し、台風対策のための育苗ハウスも設置された。それまでは手で実をむいていたが、その作業も機械にとって変わった。

現在、徳之島コーヒー生産者会も約30人に増え、全部で約10種類のコーヒーノキを栽培している。「おいしいコーヒーを作ることも大事だけど、島の経済の一助になること、生産者が生き生きと働けることも大事にしたい」と吉玉さんは話す。

徳之島コーヒー生産者会の伊集院一博さん(71)はもともとジャガイモを栽培していたが、数年前からコーヒー栽培を始めた。伊集院さんは違いをこう語る。

「吉玉さん達が何度も挑戦し、だんだんと実がついていっているのを見て、『私もやってみようかな』という感じで始めました。ジャガイモは値段の変化が大きく、よい時もあれば悪い時もある。また、収穫期は忙しくて農家同士が助け合うのが難しい。コーヒーは半年ほどかけて収穫するため、自分のペースも保てるし、値段もある程度落ち着いている」

伊仙町役場経済課の伊藤勝徳さん(61)は、雇用の創出にも期待する。

「サトウキビが中心だった島の農業にコーヒーが加わり、新しい働き口が生まれるのではないでしょうか。島を出た若い人たちも島に帰ってくるかもしれません」

さらに、徳之島コーヒー生産者会は地元の高校、障がい者施設に育苗を委託。対価を支払い、島民も一体となった栽培を目指している。

吉玉さんは今も仲間と知恵を出し合い、台風対策や生育環境の試行錯誤を続けている。これからの夢をこう語った。

「今後は『これが徳之島コーヒーの味』というものを出せるようにしたい。そして、あと5年もすれば、コーヒー豆栽培でご飯を食べていける人が何十人も出てくるだろうと。それを目標にやっています」

※吉玉の「よし」は上が土に下が口

クレジット

取材・撮影・編集:庄 輝士

取材協力:
徳之島コーヒー生産者会
徳之島伊仙町経済課
株式会社モスク・クリエイション 徳之島ベース
徳之島障がい者支援センター いっぽ
音野阿梨沙
ゴマ

映像ディレクター

京都府出身で関西を中心に映像制作を行う。大学で語学を学んだのち映像の世界に入り、様々なジャンルの映像制作に携わって来た。語学力を武器に海外のクライアントとの映像制作にも積極的に参加し、英BBCなど海外メディア媒体のショートドキュメンタリーの制作も任されてきた。自分の視点での日本のストーリーを世界に発信中。

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