ショートフィルム

科学者に持ち出された先祖の遺骨 アイヌとは何かと問い続ける人々の闘い

寺田和弘

TVディレクター

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北海道浦幌町の一級河川、十勝浦幌川の河口から約1キロのところで9月20日、初漁のサケの祭りであるアイヌ民族の伝統儀式「アシリチェップノミ」が、初めて執り行われた。伝統儀式を復活させたのは、浦幌町のアイヌ子孫で作る「ラポロアイヌネイション」。彼らは「サケ捕獲は先住民の権利」として河川でのサケの漁業権を主張している。
なぜサケの捕獲を求めるのか、その先にどんな未来を描いているのか。その背景を知るために現地を訪ねた。

この日、祭壇に供えられた1匹のサケ。長さ約7メートルのトドマツを手作業でくりぬいた木舟を使い、刺し網による「特別採取」で捕ったものだ。「特別」と名前がつくには訳がある。これは憲法13条が保障する文化享有権に基づき、北海道知事に許可申請し、認められて採取したものだ。つまり現在、彼らには、漁業権として、川でサケを捕る権利は認められていない。
 河川でのサケ漁、アシリチェップノミ等、これらはすべてアイヌの生活の一部で、本来は代々に受け継がれるべき伝統だったが、ラポロアイヌネイションのメンバーにとって、すべてはじめてのことだった。なぜ彼らの伝統が失われたのか。

■差別されたアイヌの過去
「アイヌ」とは人間を意味する言葉だという。そのため彼らは自分たちをアイヌと呼んだ。アイヌの多くは北海道に先住し、独自の言語、宗教や文化の独自性を有する先住民族だった。しかし明治政府は、強制的にアイヌに戸籍を作り、和人化を図った。そしてアイヌが使用してきた土地も狩猟権、漁業権も一方的に取り上げた。貧困と差別。あまりにも過酷な状況の中でも必死に命を繋いだ先人たちは、伝統儀式や言葉を親から子に引き継ぐことはできなかった。こうした同化政策が推し進められ、アイヌの人々は誇りを失っていく。

ラポロアイヌネイション名誉会長の差間正樹さん(69)は、北海道浦幌町で昭和25年に生まれた。両親は共にアイヌだが、差間さんも親からアイヌの言葉や暮らしについて一切教えられなかったという。
「特に母親は自分が困ったことがないようにといろいろ気を遣ってくれるんですよね。やはり親に心配をかけないようにというのがあったんですね」
差間さんが自らアイヌと名乗り活動をするのは、母・ウメノさん(享年75)が亡くなってから。民族差別の解消を目指す差間さんの背中を押したのは、差別に耐えた父親の姿だった。父・佐資(サスケ)さん(享年83)は、定置網漁の漁業権を自ら手に入れた人物だった。「アイヌが定置の漁業権を手に入れるというんで、周りからの圧力も相当あったみたいです」

■「学問のため」持ち出されたアイヌの遺骨
アイヌの人々が奪われたのは“生活の種”だけではなかった。全国の科学者たちによって、アイヌの墓が次々を掘り起こされ、遺骨や副葬品が持ち出されたのだ。当初、掘り出されたアイヌの遺骨は形質人類学という学問のために利用されていた。頭骨をさまざまな角度から測定し、その計測値をアイヌ・和人・朝鮮人などのデータと比較し、アイヌの特徴を明らかにしようとした。ラポロアイヌネイションの代理人を務める市川守弘弁護士は著書『アイヌの法的地位と国の不正義』(寿郎社) で「この比較研究は、戦前の“大和民族優越”思想のもとでの“アイヌは劣り”“和人は優秀である”との結論を出したいがための研究であったとの指摘もあり、さほど学問的な実績を残したと言えなった」と述べている。
こうして集められた遺骨は膨大なものだった。文科省の調査結果によると、北海道大学、札幌医科大学、東京大学など全国12大学に1700体を超える遺骨が集められた。

■遺骨の返還 心境の変化
浦幌町でも102体の遺骨が北海道大学(95体)、札幌医科大学(1体)、東京大学(6体)に保管されていることが分かった。2014年5月、差間さんたち浦幌アイヌ協会(現ラポロアイヌネイション)は、北海道大学に対して遺骨の返還を求め裁判を起こした。当初、北海道大学は「祭祀継承者でなければ返還できない」としていたが、2017年3月、和解が成立し、まず82体の遺骨と69件の副葬品が浦幌アイヌ協会に返還されることになった。祭祀継承者ではなく、地元のアイヌ集団への遺骨返還が実現したことに、大きな意味があったと市川弁護士はいう。「最高裁の判例は遺骨の所有者は祭祀継承者にあるとしています。しかし、この和解では裁判所が適当と認める集団に返還するとしています。つまり従来の日本(和人)の法理論を先住民であるアイヌの人たちには適用しないと宣言したことになるんです」これによって身元不明の遺骨についても、掘り出された場所が明らかであれば、その地域のアイヌ集団に遺骨を返還するという道が開けたのだ。その後、札幌医科大学、東京大学とも和解が成立し、今年8月には、東京大学から6体の遺骨が戻った。浦幌町から持ち出されたすべての遺骨が、これで地元の土に還ったことになる。

この遺骨返還は、アイヌの若者たちに心境の変化をもたらした。長根弘喜さん(35)は遺骨返還訴訟が始まったころは「ひとごと」と見ていた。しかし、遺骨返還が決まり、神を祈る儀式・カムイノミや先祖供養の儀式・イチャルパの準備をしていく中で、持ち出された遺骨は地元の土に還してこそ眠りにつける、亡くなって土に還ることこそアイヌの生き様そのものだと考えていくようになる。今年4月、差間さんが会長を退くことが決まると、長根さんは「差間さんのあとを継ぐ」と自ら手を挙げた。また、7月には浦幌アイヌ協会の名称をラポロアイヌネイションと変更した。ネイションは国や民族の集団などを意味し、地元の浦幌で自治を行ってきたアイヌの子孫であると掲げた。

■先住権の確認を求めて
遺骨の返還は“先祖の生活”も蘇らせた。北海道大学から返還された副葬品の中に「アバリ」という網をつくろう道具が見つかったのだ。これは差間さんや長根さんの先祖が、地元の浦幌十勝川で網を使った漁をしていたという証だった。
2017年5月、差間さんと甥の啓全さん(53)は、先住権の事例を学ぶため、アメリカに向かった。50年前まで、北アメリカ大陸48州に居住する先住民・インディアン※は、連邦政府と結んだ不平等な条約で僅かに残った土地(リザベーション)での先住権しか認められず、もともとの漁場(リザベーションの外)でサケを捕獲しては逮捕される日々だったという。そのどん底の状態から闘い続け、先住民族としての権利を次々と拡大させたサケ以外の水産資源である貝類やコククジラの捕獲権も勝ち取っただけでなく、サケの産卵のための遡上を妨げていたダムの撤去まで実現させた。同じ先住民である彼らの戦いの歴史を差間さんたちは知ることになった。

遺骨返還、アメリカへの訪問…こうした活動を経て、ラポロアイヌネイションのメンバーは“先祖の営み”を取り戻したいと考えるようになっていく。その活動の一環として、今年8月、彼らは、先住権としてのサケ捕獲を求めた裁判を起こした。河川での経済的なサケ捕獲は先住民族の集団が持つ権利「先住権」について、これを禁じた法律や規則が適用されないことを確認するため国と道に求めたのだ。

〜取材に対し、水産庁資源管理部は「訴訟継続中のため、コメントは差し控える」とし、北海道庁は「まもなく裁判が予定されており、今後の裁判に影響を及ぼす可能性がありますので、訴訟に関する道のコメントは差し控えさせていただきます」と回答している。
(第1回口頭弁論は、10月9日午後2時から札幌地裁で行われる)〜

ラポロアイヌネイションは訴状で「経済活動として漁業行為を行うことによって、浦幌地域のアイヌが経済的に自立し、行政に頼らず自活していくことができる」と主張している。現在、十勝地方で捕獲されるサケは人工ふ化事業によるものだ。こうした中、彼らは、地元の十勝浦幌川でのサケの自然産卵を取り戻すことを夢見ている。その夢の実現で豊かさを手にするのはアイヌだけだろうか。私は50年後の浦幌の姿が楽しみだ。

※現在、アメリカでは「インディアン」という表現が公的にも存在し、インディアン〇〇法という法律名が多数存在しており、本原稿では筆者の判断を尊重した表現とした。

クレジット

取材・撮影・編集 寺田和弘(パオネットワーク)

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