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「街が面白くなくなった」――五輪を開催した東京で、建築家と芸術家が提案する新しい風景

柿本ケンサク映像作家/写真家

「ビルが増えて実用的になって、街に物語がない、楽しいことがない」。東京・青山にあるワタリウム美術館を、姉弟で運営してきた和多利恵津子と和多利浩一。東京で育ち、1964年のオリンピックの頃は、街が変わっていく様子を目の当たりにした。近年、再開発が進むにつれ、街に対する「ドキドキ感」が失われていると語る。東京が再びオリンピックの開催地となった今夏、2人は新国立競技場の周りで、ある実験的な建築プロジェクトを仕掛けた。長年、街を見つめてきた姉弟による、東京の未来に向けた提案とは。(文中敬称略)

●1964年、高速道路の思い出

和多利浩一(以下、浩一)「1964年のオリンピックで東京が変わっていくのは、当時小さかった僕らもひしひしと感じていました。いきなり高速道路ができて、新幹線が通って。街に対するドキドキ感がありました」

そう語るのは、和多利浩一(61)。姉の和多利恵津子(64)とともに、30周年を迎えた現代アートの私立美術館・ワタリウム美術館を運営してきた。64年当時、姉の恵津子は小学校2年生、弟の浩一は4歳だった。

浩一「小さい頃は、代々木のアパートに住んでいました。アパートの窓から、ぴょんっと工事中の高速道路に渡っていけたんですよ。車はまだ通っていなくて。そこで遊んでいて、姉がどこまでも遠くまで行ってしまって、僕は怖くてすぐ戻る。そんな記憶があります」

2人は子どもの頃からずっと東京に暮らし、街の移り変わりを見つめてきた。

浩一「高度経済成長期は街にも活気がありました。80年代も広告やファッションブランドが街へアクティブに打ち出していて、歩くだけでドキドキするような感覚があった。バブルが崩壊し、失われた20年を経て経済が停滞していくなか、街から驚きが失われてしまいました」

和多利恵津子(以下、恵津子)「いつの頃からか、東京では再開発という大きなエリア改造が多数進行しています。便利でクリーンで見違えるように変身し、私たちはそこでたくさんの恩恵をうけ、豊かな生活を満喫している。でも、街が面白くなくなった。ただビルが増えて実用的になって、街に物語がない、楽しいことがない」

●街を面白くする取り組みを、どうしてもやりたい

「街に驚きを取り戻したい」「都市の物語を新たに作ろう」という思いから、「パビリオン・トウキョウ2021」というプロジェクトを企画した。オリンピック、パラリンピックが開催される9月5日までの間、新国立競技場周辺を中心とする複数の場所に、建築家やアーティストが建物やオブジェを設置する試みだ。

このプロジェクトは、東京都と公益財団法人東京都歴史文化財団 アートカウンシル東京が主催する「Tokyo Tokyo FESTIVAL スペシャル13」のうちの一つ。オリンピック、パラリンピックが開催される東京を文化の面から盛り上げるため、企画を募集し、集まった2436件の中から13のプロジェクトが選ばれた。オリンピック、パラリンピックと同様に1年延期された。

浩一「新しく建設された新国立競技場の周りで、建築家やアーティストがパビリオン(期間限定の建築やオブジェ)をつくる。日本の人にも海外から来た人にも、日本の建築や文化の奥深さ、幅広さを見ていただきたいと思いました」

建築家の隈研吾を名誉実行委員長に、和多利姉弟が中心となって企画した。参加しているのは、建築家の藤森照信、妹島和世、藤本壮介、平田晃久、石上純也、藤原徹平と、アーティストの会田誠、草間彌生、真鍋大度+Rhizomatiks。国際的に活躍するクリエーターが集った。

恵津子「(参加するクリエーターは)これまでに何か一緒につくったことがあり、東京に対して何か意見を持っている方にお願いしました」

浩一「最初にお声がけしたのは、藤森照信先生。藤森先生はもともと建築史家ですけれど、45歳で建築家としてデビューされて、見たことのないような個性的な茶室などをつくられている。巨大な新国立競技場と、極小の茶室を対比させると面白いのではないかと思いました。藤森先生が快く引き受けてくださって、できあがったのが五庵という茶室です」

藤森照信の「五庵」は、芝で覆われたユニークな茶室。千駄ヶ谷のビクタースタジオ前、車が行き交う道路沿いに設置されている。梯子で2階にのぼり、茶室の窓から外を見ると、新国立競技場がどんと目に入る。

恵津子「1964年の時、ひょっこり変わったものができて、街が変わっていくぞ、という興奮みたいなものがあった。今回のオリンピックではそういうものがない。あそこに変なものがあったな、という記憶を街の子どもたちに体験させてあげたい。あの辺に、こんな茶室がにょきにょき生えていたよ、というような」

パビリオンを設置する場所は、多くの場合、クリエーター自身が場所を選び、和多利姉弟が許可取りを行った。場所の使用許可を取るにあたっては、苦労も多かった。

例えば会田誠のパビリオン「東京城」は、明治神宮外苑 いちょう並木の入口に設置されている。石塁の上に、ダンボールとブルーシートでつくられた2つの城がそびえ立つ。会田の作品は過激で痛烈な社会批評を含み、議論を呼ぶことも多い。和多利姉弟は「東京城」をこの場所に設置するため、2年近くかけて各所と交渉した。

設置するハードルの高い場所でも、企画を実現できた理由は何だろうか。

恵津子「一つは、あきらめなかったこと。街を面白くする取り組みを、この機会にどうしてもやりたいという思いが強くあった。『無理です』と言われても、ここに設置するのはこういう意味があり、どうしてもここでなくてはいけない、と時間をかけて説明しました。もう一つは、私も弟もずっとこの辺り(新国立競技場周辺エリア)に住んでいて、この土地の人たちをよく知っていること。地域の皆さんが仲間になってくださったことも大きかった」

浩一「住人や商店を営んでいる人が『面白いんじゃない?』と言ってくださった。その力をもとに、役所や場所を管理する公的機関に丁寧に説明しました。一つのパビリオンをつくるために、3、4のアプローチを考えた。このルートが駄目だったら違うルートで、と粘り強く交渉したことで、なんとかできたと思います。建築家やアーティストはそれぞれ、こだわっている部分が違う。それがすごく面白い。こだわりを生かせる環境をつくっていくのが僕たちの仕事の中心です」

●子どもたちに「自分たちの街だ」という感覚を

そうしてできあがったパビリオンでは、子どもたちが遊ぶ風景も多く見られる。

恵津子「子どもたちが楽しんでくれているのがすごく嬉しい。小学校2年生の時、この高速道路に乗って、果てしなくどこまでも走っていけると思った。理屈じゃなく、『自分たちの街だ』という感覚があったんです。そういう体験は大事なことなんだと、後になって思いました。パビリオンで遊んでいる子どもたちが大きくなって、ふと思い出してくれたらいいな、と」

青山通りにある旧「こどもの城」前には、藤原徹平が「ストリート ガーデン シアター」を設置している。こどもの城は東京の子どもの遊び場だったが、2015年に閉館。取り壊しの議論があり、近年は付近が閑散としていた。

浩一「『ストリート ガーデン シアター』ができたことで、人間味のある空間になった。子どもたちがわいわいしていた雰囲気が少し戻っている。パビリオンは一時的で小さなものですが、僕らが望んだのは、それによって人の流れや街の風景が変わっていくこと。なくなったらまた寂しくなるのは目に見えているけれど、それでも今、提案できてよかったなと思っています」

恵津子「今回のパビリオンは、エンターテインメントでもなくて、デザインを求めた美しいオブジェでもなくて、便利な役目も持っていません。でも、これらがたくさんの方々、とりわけ子どもたちの心に自由や喜びのようなものを伝えてくれることを願っています」

これから街の風景はどう変わっていくのか。和多利恵津子は「パビリオン・トウキョウ2021」に「『生きている東京』を」と言葉を寄せた。未来への願いが込められている。

クレジット

出演:和多利恵津子/和多利浩一/藤森照信/妹島和世/藤本壮介/平田晃久/石上純也/藤原徹平/会田誠/真鍋大度+Rhizomatiks
監督:柿本ケンサク
撮影:柿本ケンサク/小山麻美/関森 崇/坂本和久(スパイス)/山田桃子(DP stock)/岩川浩也/飯田修太
撮影助手:荒谷穂波/水島陽介
編集:望月あすか
プロデューサー:金川雄策/初鹿友美 
ライター:塚原沙耶  
Special Thanks:C STUDIO

映像作家/写真家

映像作家・写真家。映画、コマーシャルフィルム、ミュージックビデオを中心に、演出家、映像作家、撮影監督として多くの映像、写真作品を手がける。柿本の作品の多くは、言語化して表現することが不可能だと思われる被写体の体温や熱量、周辺に漂う空気や気温、 時間が凝縮されている。一方、写真家としての活動では、時間と変化をテーマに作品を制作。また対照的に演出することを放棄し、無意識に目の前にある世界の断片を撮り続けている。2021年トライベッカフィルムフェスティバルに正式招待作品に選出。グローバルショーツではグランプリを受賞。ロンドン国際フィルムフェスティバル、ソノマフィルムフェスティバルにて優秀賞受賞。

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