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【寿司薀蓄】最近は高級店も立ち食い寿司屋を出店?江戸の庶民は米食べすぎ?

富江弘幸ライター・編集者

立ち食い寿司にはついつい惹かれてしまう。

高級寿司屋でゆっくりおいしい寿司を味わうのもいいし、回転寿司屋でフライドポテトなんかも注文しながら楽しむのもいい。そういった選択肢がある中で、1人でサッと食べられる立ち食い寿司は非常に魅力的だ。

そもそも江戸時代の江戸では寿司はファーストフードという扱いで、屋台で立ち食いするものだったにも関わらず、現代になって「立ち食い寿司」なんて名前がつくようになってしまったのもおもしろい。

寿司の由来から話すと長くなるが、今の寿司に近い形になったのは江戸時代だといわれている。今の寿司よりもかなり大きく、おにぎりの大きさに近かった。にもかかわらず、おやつの扱いだったというが、江戸の庶民がどれだけ米を食べていたのかがうかがえる。

江戸時代には、1人1日5合の米を食べていたとも言われている。それに加えてなのかわからないがおやつ扱いで寿司を食べていたわけで、相当な米の消費量だった。そのせいもあって、江戸時代には脚気になる人が多かった。脚気はビタミンB1の不足から起こるもので、食欲不振や倦怠感が表れ、進行すると動悸、息切れ、最悪の場合は心不全に至る。

脚気は江戸患いともいわれ、江戸を出ると治る病気でもあった。それは玄米に含まれるビタミンB1が失われた白米ばかり食べていたからだそうだ。

寿司の話からずれてしまったが、ちなみに江戸時代に江戸前の握り寿司を考案したのは、華屋与兵衛という人物。華屋与兵衛というレストランチェーンがあるが、特に歴史的なつながりがあるわけではない。

ま、それはともかく、もともと立ち食いだった寿司屋が立たなくなった店になり、最近では立ち食い寿司回帰の傾向があるらしい。

もちろん、以前から「魚がし日本一」などの立ち食い寿司チェーンはあった。スシローももともとは立ち食い寿司だったらしい。しかし、最近の傾向としては、高級老舗寿司屋が新しい業態として立ち食い寿司屋を出しているのが目立つという。

例えば、白金の「鮨 龍尚」による新橋の「立喰い寿司 あきら」、「鮨 銀座おのでら」による表参道の「立喰鮨 銀座おのでら本店」、目黒の「鮨りんだ」による荏原中延「ブルペン」が知られている(といっても、自分はそんな高級店に行ったこともないのでよく知らない)。

ウンチクばかり書いてしまったが、立ち食い寿司の魅力は短時間でサッと食べられること。この文章も短時間でサッと読める、庶民的な文章になっているといいのだが。

ライター・編集者

ライター・編集者。1975年東京生まれ。法政大学社会学部社会学科卒業。卒業後は出版社・編集プロダクションでライター・編集者として雑誌・書籍の制作に携わる。その後、中国留学を経て、英字新聞社ジャパンタイムズに勤務。現在はウェブ、紙を問わずさまざまな媒体で記事を執筆している。日本ビアジャーナリスト協会のビアジャーナリストアカデミー講師も務める。著書に『教養としてのビール』(SBクリエイティブ、サイエンス・アイ新書)など。

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