【札幌市中央区】エスタの思ひ出2 札幌駅前バスターミナル
前回の掲載より時間が空いてしまいましたが、9/30にクローズしましたエスタ(ESTA)の思い出、その後編、札幌駅前バスターミナル編です。今回の写真は8/31エスタ本体クローズ時ににまとめ撮りをしていたものです。
札幌駅前バスターミナル。
今は駅付近のあちこちに機能分散されてしまった、札幌駅前バスターミナルの機能。
もうその不便さにも慣れてきたのではないでしょうか?
エスタでは1階にバスの発着プラットフォーム、2階にインフォメーションや待ち合わせを想定していただろう喫茶店など、鉄道駅を思わせる風情が漂っていましたね。まだ覚えていらっしゃいますか?
4代目札幌駅(1952-1988)は、現在の駅前広場、JRタワーのすぐ前からタクシー乗り場のあたりくらいにあり、エスタの北端が、おおよそ駅の南端でした。駅は北側にずれたのです。
この看板のある階段も、1988年までは駅を出ると、すぐ左側(西側)にあったというイメージでした。
駅前バスターミナルに入る無数のバス。そのおかげでこの部分のアスファルトは凹凸がかなりありましたね!札幌駅にバスが着く時、結構波打っていたのを覚えていますでしょか?残念、今はこのスペースにもう入る事ができません。
いやあ、まだ数ヶ月しか経っていないのに、もはや懐かしい光景です。
2階のバスターミナルの敷地内には、こんな喫茶店があったのを覚えていますか?私は何度か打ち合わせで使いました。
そうして、今は札幌駅のコンコースに移動した中央バスの定期観光バス窓口も、ここにありましたね。
定期観光バスはもちろん朝に出るので、まるで朝市のような営業時間!
札幌の20世紀後半のデザインは、雪の結晶をモチーフにした六角形状なものが多かったイメージ、ありませんか?なくなった厚生年金会館など。。。
そうしてついに、ここで洋服のお直しを頼む事はなかったのですが、いつも覗いていました。
ゼロ、の痕跡。
下から見上げたエスタと5代目駅舎の隙間。
かつて4代目駅舎のあった頃は、ここに0番線がありました。
この件、記憶が当たっているか確認するために、ポロコン(サッポロコンシェルジュ)のアドバイザーでご一緒させてもらっている、ブラサトルこと和田哲さんが解説してくださったテレビ番組の記録でも確認しました。和田さんありがとうございます。
なにせ、私の4代目の記憶は、父親の転勤や自身の大学からしばらくの間の生活基盤が東京だったため、7歳の頃までのものなのです。
エスタができてから10年間ほどは、札幌駅はまだ4代目駅舎の時代でした。上の写真の通路スペースですが、そこに降りて行く事のできる階段があったという事なので、その時の名残りでしょうか?
先程、4代目から5代目になる時、札幌駅は北側にずれたと言いましたが、当然線路も北側にずれたのです。かつての線路は、おおよそ現在のJRタワーの辺りにありました。
そしてそのスペースは、大体はそれ以前の3代目駅舎を取り壊したスペースを使っていたのです。
地層というものは普通上下に重なりますが、札幌駅の地層、と言いますか時間の記憶は、どうやら南北に重なっているようです。
近い将来を、眺める。
もう見ることはできない、エスタ1階からの光景。
向こうに見えているセンチュリーホテルも、来年2024年の5/31、つまりまもなくさよならですね。。。
歴史とは自分たちの過去の記憶の集積でもあるので、時には数ヶ月前でも、もう今と変わってしまった光景をたまに思い出してみるのも良いかも知れません。
◾️札幌駅前バスターミナル
バス乗り場の移転は、こちらを参照ください。
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