映画「君たちはどう生きるか」心理学者が解説する評価の賛否が真っ二つに分かれる理由とは【ネタバレ含む】
みなさんこんにちは。仕事に役立つ心理学の赤田太郎です。
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今回の記事では、すこし趣きを変えまして宮﨑駿監督の最新作「 君たちはどう生きるか」を観覧して私が感じた評価の賛否が分かれる理由について、お話したいと思います。
ちまたでは映画の賛否について、楽しかったと言う人と、楽しくなかったという人が分かれているようです。たしかに、その意見はよく分かりました。何故なら私も観覧後に、なんの感想も出てこなかったからです。
それで、私が面白かったかどうかを一言で言うなら、断トツに面白かったと思います。なんの感想もでてこないのに面白かった体験はこれまで初めてです。その点が面白かったと言えるかもしれません。
なぜこんな気持ちになるのでしょうか。映画のレビューをいくつか読んでみると、分からなかったと言う人が多いようです。その理由を心理学から読み解きましょう。
象徴(イメージ)で織りなすストーリー
心理学を学んでいると、深層心理学で「象徴」という働きを学びます。この象徴というのは、例え話や代わりとなるイメージのことです。たとえば、「母なる大地」という言葉にあるように、大地には、母親のイメージが重なっていて、無自覚にわたしたちはこのイメージに共感するのです。
しかし、このイメージは仮のもので代用されています。だからこそ、よくわからないけれど、こころには響いてくるのです。
劇中に存在する、さまざまな普遍的な象徴(炎、ペリカン、あおさぎ、矢羽、洞窟、航海、わらわら、鳥の王様、若返り、こけし、インコ、石などいろいろ)が次々と現れては消えていくストーリーは、はっきり言って一貫性がまったくありません。だからこそ、「訳分からなかった」となって、映画の評価が下がる人がいるのだと思います。
また、一人の人物を追いかけても一貫性がありません。たとえば、最後のシーンに登場するインコの王様はその最たるもので、突然現れて味方なのか敵なのか分からずに、最後の石を真っ二つにします。
え?どういうこと?となることは必死です。
しかし私にとって、これこそが本質だと思いました。そもそもこの世界には敵、味方というような明確な区別なんて存在しないからです。敵には敵の正義があるわけです。歴史を学んでいると、よく勝者の歴史というような言い方をしますが、敵味方というのは、一つの見方に過ぎないのです。
そういう意味で、ある存在が状況によって味方になったり敵になったりすることは、私たちの世界では当たり前のことだということです。
私は、アンパンマンのような敵味方がはっきりした非日常の世界に溺れすぎていたのかもしれない、と思い返すきっかけになりました。
まるで多義図形のような映画
こんなにいろいろと自分のイメージを投影できる作品は、これまでなかったのではないでしょうか?
映画の評論家の中には宮﨑駿の人生そのものをあてはめて映画に批判的な人もいますが、それも一つの見方です。
心理学には多義図形というものがあります。見方を変えることでいろいろな見え方ができる図形です。
たとえばこの絵(アヒルとうさぎのだまし絵)は、長細い方をくちばしと捉えるとアヒルに見えるし、それを耳とみるとうさぎに見えます。同じ図形にも関わらず、いろいろな意味としてとらえることができるのです。
このように多義図形は、一つの絵にも関わらず、わたしたちの見方によって意味が変わることを体験させてくれるものですが、この映画も同様に、見る人によってさまざまな意味を当てはめることができるのではないかと思います。
この映画を見てどのように感じたかを尋ねると、おそらく人によってみんな異なるように思います。世代を超えて、意見が異なるのは、まるで多義図形のようです。だからこそ、この映画は観た人の心の状態をそのまま反映すると思うのです。
あなたはこの映画を見て何を感じましたか?是非わたしにおしえてほしいと思います!
記事を最後までお読みいただきありがとうございました。
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