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【京都市】下京区 仏教総合博物館「龍谷ミュージアム」で『浄土真宗と聖徳太子』について学ぶ!

高津商会RICALIFE&文化芸術☆プロデューサー/ジャーナリスト(京都市)

鎌倉時代に大きな盛り上がりをみせた「聖徳太子信仰」。

「高津商会」の本社がある京都「太秦」界隈にも「聖徳太子」ゆかりの場所がたくさんあります。

また「高津商会」の小道具たちが何年か前の某テレビドラマ「聖徳太子」にて活躍したこともあり、その際に使用された「聖徳太子」ゆかりの飛鳥時代などの小道具たちを実際に倉庫で保管されているのを見た時はドキドキしました♪

さて、聖徳太子とは何者なのか…

昨年は聖徳太子にとって特別な年でした。2022年に迎えた聖徳太子没後1400年にあたり各地で聖徳太子ゆかりの特別拝観や法要などが行われていました。

四天王寺や斑鳩寺、法隆寺、広隆寺など取材も兼ねてあちこちに訪問するたびに、聖徳太子への興味が強くなり、「聖徳太子」が私のライフワークのなかの一つとなるまでに!

親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年記念 春季特別展「真宗と聖徳太子」
2023年4月1日(土)~2023年5月28日(日)

龍谷ミュージアムでは、<親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年記念>春季特別展「真宗と聖徳太子」を開催中。

浄土真宗宗祖の親鸞による聖徳太子への深い思いは格別で、「和国の教主」と崇めてました。また、太子の造形化にも関わり、その信仰の深さを伺い知れます。

親鸞は二九歳のときに京都の「六角堂」に参籠して夢告を受け、それがきっかけで法然と出会い、法然聖人の門下となったと伝わります。

「六角堂」は「聖徳太子」建立という言い伝えのある建物であり、法然との仏縁は「聖徳太子」の導きによるものだったと信じていました。そのため、晩年には聖徳太子を題材にした複数の和讃を執筆しています。龍谷ミュージアムではそれらも見ることができましたよ!

また、「西本願寺」で21日まで行われていた親鸞聖人750回大遠忌法要では、その和讃を聞くこともできました♪

西本願寺
西本願寺

今回のこの龍谷ミュージアムにて行われている春季特別展では、親鸞とその後継者たちが生み出した太子ゆかりの宝物、重要文化財3件を含む約90件が特別展示。

第1章:
親鸞聖人と聖徳太子
第2章:
真宗が生み出した聖徳太子像
第3章:
聖徳太子絵伝とその周辺
特別編:
聖徳太子信仰の文化遺産
-伝記・絵伝・太子像

日本で一番信者数の多い浄土真宗の祖、親鸞による聖徳太子信仰を学ぶきっかけとなる素晴らしい展示会となっており、学びが多くありました♪

「聖徳太子」についてある程度知っているつもりでいた私も、長野県「善光寺」との密接な関係についてはそこまで知りませんでした。

善光寺」では、聖徳太子の妃であった刀自古郎女(とじこのいらつめ)が出家して「善光寺」大本願の初代上人(尊光上人)がなったと伝わります。

「善光寺」の境内に幾つもの聖徳太子像が、また、聖徳太子ゆかりの寺である法隆寺(奈良県)や四天王寺(大阪府)には「善光寺如来」が祀られていることを思い出し、その深い関係性を改めて龍谷ミュージアムで確認しました。

「善光寺」の本尊「一光三尊阿弥陀如来像」(善光寺如来)は、天竺から百済に伝えられたもので、552年(欽明天皇13年)に百済の聖明王から贈られた日本最古の仏像です。

ほかにも、皇極天皇が地獄から救い出される際の地獄絵には、皇極天皇は地獄に落ちる寸前に善光寺如来と善光の子、善佐に救い出されたという伝説があり、観音さまが閻魔大王のもとへと直訴をされてるお姿が見れました。

あと聖徳太子が48歳のときに「人魚」が差し出されているときの絵には、その人魚の姿やそれを見る聖徳太子の顔の表情に思わず笑みをこぼしてしまいました!

多くの学びがある龍谷ミュージアムへ、<親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年記念>春季特別展「真宗と聖徳太子」は28日までです!

龍谷ミュージアム
住所 〒600-8399 京都市下京区堀川通正面下る(西本願寺前)
TEL 075-351-2500

LIFE&文化芸術☆プロデューサー/ジャーナリスト(京都市)

京都で生まれ育つ。世界各地を周遊、欧米中心に20年ほど滞在し京都に帰還。日本のコアな伝統文化や芸能、神社仏閣や裏歴史、催事らを国内外の旅サイト・雑誌・新聞で執筆。経験に基づく“陰謀説”の電子書籍出版あり。ジャーナリスト、写真映像家、イベントプロデューサー、特殊ツアーガイドから日本庭園庭師までマルチに活躍。京都太秦にある老舗『髙津商会』にて映画・美術装飾・アート&エンタメ、海外事業に携わりつつ伝統文化・芸能などに関わる史実や古美術らについて勉強中。『京愛』や『日本愛』を深める毎日。

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